山口市歴史民族資料館では、山口お宝展の協賛事業として地域の皆様から寄贈・寄託された資料を特別展示している。
雪舟の弟子グループである雲谷派の山水人物花鳥図押し絵貼り屏風や一の坂銀山からの銀を使って造られた天又銀、ミニチュアの衣服、浄瑠璃で使用した見台とか、あるいは今八幡宮に大内義隆が天文3年(1534)筑前芦屋の鋳工大江宣秀に造らせ寄進した大きな鰐口、大村益次郎に関する書画の展示など変化に飛んだ陳列があり面白く見学することができます。
雪舟の弟子グループである雲谷派の山水人物花鳥図押し絵貼り屏風や一の坂銀山からの銀を使って造られた天又銀、ミニチュアの衣服、浄瑠璃で使用した見台とか、あるいは今八幡宮に大内義隆が天文3年(1534)筑前芦屋の鋳工大江宣秀に造らせ寄進した大きな鰐口、大村益次郎に関する書画の展示など変化に飛んだ陳列があり面白く見学することができます。
県立博物館で木戸孝允資料展が開催されている。弘治元年(1864)ごろ、但馬の出石に潜伏していたころの想いなどを漢詩にしている。元冶元年禁門の変で敗れ、朝敵とされたときの思いの詩、明治新政府の樹立について尽力している様子が伺える書状、戊辰戦争に軍艦を派遣するように報告した書状、明治2年9月明治維新の功績として1800石の永世禄が下付されたがこれを断った書状、明治4年から6年にかけ、岩倉具視の欧米使節団として参加したその成果としてヨーロッパの学校制度について述べわが国の学校制度樹立の参考にさせている書状など現在の日本の礎を築いた人の一端を知ることができて面白いです。
今日はJA傘下の第31回ふれあい農業祭りが9日10日と開催される。いつも例年と変わりなく、屋台と農工具、鍬鎌など、後は地物の野菜展示即売、地産地消の食彩店のPR、牛乳の試飲と雑炊の試食などがある。また植木や果樹の販売、JA産直コーナー、生活用品お買い物コーナー、餅つきコーナーなどがある。
テーマは広めよう「農と共生の国内自給」とあるがそれをテーマにした主張が見られず残念であった。もっと地産地消のメリットとか今後の農業の進め方などの改善点等の主張があればもっといいふれあいができたのではなかろうか?
181209
テーマは広めよう「農と共生の国内自給」とあるがそれをテーマにした主張が見られず残念であった。もっと地産地消のメリットとか今後の農業の進め方などの改善点等の主張があればもっといいふれあいができたのではなかろうか?
181209
今日は06年サッカーワールドカップの開催国ドイツに住んで日本に夫婦で仕事に来ておられるドイツ人の女性から見たドイツの生活についてお話を聞きました。
6月9日から7月9日までドイツでワールドカップ大会が開かれている間、ドイツのことがテレビなどで放映されることと思い勉強しました。
ドイツ人から見た日本は、ドイツの人はジャガイモが主食ではあるが日本のようにクロワッサンのなかにポテトサラダやツナが入っているのにびっくりしたと。また6月の蒸し暑さにものすごくびっくりしたといっていた。
住居面では玄関で靴をスリッパに履き替えること。トイレ、風呂、ベランダにもスリッパがあるなどびっくりしたといっていた。またガソリンスタンドの店員が給油したりガラスを拭いてくれるなどのサービス、レストランのサービスなどびっくりしたといっていた。
ドイツの生活はドイツのお店は金曜日までは6時に閉店する。土曜日は午後から閉店となっている。日本のように24時間開いている店などはない。
食事は牛乳を使った料理が多くビール、ワインは日本より安い。リサイクルの考えが進んでおり過剰包装はない。建物は昔の石とか木材を再利用して建材としていおり、古いものを大事に使う国民性が強いとのこと。建築にもルールがきびしく日本の建築のほうがバリエーッションは多いそうである。
ドイツの列車は定刻に遅れることが多い。それは色々な国と接続している為と、また自転車専用道路が都会にはもうけられていて自転車への理解が大きい、また風力発電や太陽光発電などの省エネに対する考えも強まっているとのこと。
食事はパンが多い、ライ麦、黒いパンなど種類が多い、チーズ、玉子焼きなど、昼ごはんを大切にしている。晩御飯はサンドイッチ、サラダと簡単である。
イースターはウサギや子羊の肉、メインはお肉とお魚である。冬は鍋物が多い。クリスマスはケーキより家庭でクッキーを作るケースが多い。日本ほど「おせち」のように決まりごとは多くない。
学校は大学進学まで13年のカリキュラムであったが最近は12年に変わりそれだけ以前ほどのゆとりはなくなったと。日本のように参観日もなく運動会もない、あるのは生徒だけ参加の記録会程度であると。どちらかというと放課後(午後1時頃~)は自分の為に自分で考えてする時間が多いということであった。趣味とかスポーツ(ピアノ、バレーなど)とかに没頭していると。
ドイツはリサイクルの先進国であるとおもった。また教育も専門学校として職能教育も明確である。国境を多くの国で接しているので自分で考え自分で行動できる人間作りが進んでいるようである。
6月9日から7月9日までドイツでワールドカップ大会が開かれている間、ドイツのことがテレビなどで放映されることと思い勉強しました。
ドイツ人から見た日本は、ドイツの人はジャガイモが主食ではあるが日本のようにクロワッサンのなかにポテトサラダやツナが入っているのにびっくりしたと。また6月の蒸し暑さにものすごくびっくりしたといっていた。
住居面では玄関で靴をスリッパに履き替えること。トイレ、風呂、ベランダにもスリッパがあるなどびっくりしたといっていた。またガソリンスタンドの店員が給油したりガラスを拭いてくれるなどのサービス、レストランのサービスなどびっくりしたといっていた。
ドイツの生活はドイツのお店は金曜日までは6時に閉店する。土曜日は午後から閉店となっている。日本のように24時間開いている店などはない。
食事は牛乳を使った料理が多くビール、ワインは日本より安い。リサイクルの考えが進んでおり過剰包装はない。建物は昔の石とか木材を再利用して建材としていおり、古いものを大事に使う国民性が強いとのこと。建築にもルールがきびしく日本の建築のほうがバリエーッションは多いそうである。
ドイツの列車は定刻に遅れることが多い。それは色々な国と接続している為と、また自転車専用道路が都会にはもうけられていて自転車への理解が大きい、また風力発電や太陽光発電などの省エネに対する考えも強まっているとのこと。
食事はパンが多い、ライ麦、黒いパンなど種類が多い、チーズ、玉子焼きなど、昼ごはんを大切にしている。晩御飯はサンドイッチ、サラダと簡単である。
イースターはウサギや子羊の肉、メインはお肉とお魚である。冬は鍋物が多い。クリスマスはケーキより家庭でクッキーを作るケースが多い。日本ほど「おせち」のように決まりごとは多くない。
学校は大学進学まで13年のカリキュラムであったが最近は12年に変わりそれだけ以前ほどのゆとりはなくなったと。日本のように参観日もなく運動会もない、あるのは生徒だけ参加の記録会程度であると。どちらかというと放課後(午後1時頃~)は自分の為に自分で考えてする時間が多いということであった。趣味とかスポーツ(ピアノ、バレーなど)とかに没頭していると。
ドイツはリサイクルの先進国であるとおもった。また教育も専門学校として職能教育も明確である。国境を多くの国で接しているので自分で考え自分で行動できる人間作りが進んでいるようである。
6月4日はアーカイブズウイークとして古文書館の祭事があり講演があった。高知市の(財)土佐山内家宝物資料館の渡部館長が来山され「山内一豊とその妻」についての講演があった。
私も5年間高知で過ごし、よく高知城や(財)土佐山内家宝物資料館に行ったものである。筆山など懐かしく竹林寺など思い出した。浦戸城もあったのであるが今はその跡形も見られない。懐かしいひと時を過ごした。
山内一豊の妻の名は千代といわれているが、それは間違いらしい。名は判明していないのが本当であるらしい。また千代にまつわる逸話が4つあるが3つはこれは需教の教えを強めるため江戸時代の新井白石など儒学者の創作であるらしい。
いづれにしても一豊の出世は秀吉の家臣として武功だけでなくいろいろと手広く人脈を駆使し先んじた情報を入手して、相手よりまさった行動をして功績を挙げた結果ではなかろうか。と私は思うのである。
竹中半兵衛や黒田官兵衛がそういった面では有名であるが、やはり家臣として使えるには色々情報を集め意見具申することが大事な仕事ではなかったかと思われる。ことわざに「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というがその当時でも情報戦はあったといえよう。
戦国時代は戦で主を失い浪々の身となる人が多く一豊のように仕官する人もいれば帰農する人も多かったという話である。
講演会の後、アーカイブズウイーク特別展示室に立ち寄り、織田信長の朱印状の本物、秀吉の書状、1221年の北条義時の下知状、足利義昭の御内書、黒田官兵衛の花押のある手紙、福嶋正則の書状のどの真筆を目の当たりに見てその筆ずかいの迫力や思いなどがじかに伝ってくる本物のすごさを垣間見ることができ感激の一日であった。
やはり本物を多く見ることがいいことがよくわかる気がしました。
私も5年間高知で過ごし、よく高知城や(財)土佐山内家宝物資料館に行ったものである。筆山など懐かしく竹林寺など思い出した。浦戸城もあったのであるが今はその跡形も見られない。懐かしいひと時を過ごした。
山内一豊の妻の名は千代といわれているが、それは間違いらしい。名は判明していないのが本当であるらしい。また千代にまつわる逸話が4つあるが3つはこれは需教の教えを強めるため江戸時代の新井白石など儒学者の創作であるらしい。
いづれにしても一豊の出世は秀吉の家臣として武功だけでなくいろいろと手広く人脈を駆使し先んじた情報を入手して、相手よりまさった行動をして功績を挙げた結果ではなかろうか。と私は思うのである。
竹中半兵衛や黒田官兵衛がそういった面では有名であるが、やはり家臣として使えるには色々情報を集め意見具申することが大事な仕事ではなかったかと思われる。ことわざに「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というがその当時でも情報戦はあったといえよう。
戦国時代は戦で主を失い浪々の身となる人が多く一豊のように仕官する人もいれば帰農する人も多かったという話である。
講演会の後、アーカイブズウイーク特別展示室に立ち寄り、織田信長の朱印状の本物、秀吉の書状、1221年の北条義時の下知状、足利義昭の御内書、黒田官兵衛の花押のある手紙、福嶋正則の書状のどの真筆を目の当たりに見てその筆ずかいの迫力や思いなどがじかに伝ってくる本物のすごさを垣間見ることができ感激の一日であった。
やはり本物を多く見ることがいいことがよくわかる気がしました。
これは国民文化祭協賛として、周布家の子孫が県に寄贈した資料を展示している。
特に周布政之助の政治に対する心意気や情報収集力はこの当時としては先見性があったのではないか、幕末の財政再建と尊皇攘夷の藩政を行った藩の重臣である。
七言絶句の漢詩が好きであった。たくさんの詩の巻が展示してあ。る
村田清風や坪井氏ら財政緊縮と軍備増強を図り、幕末維新を成し遂げる基礎を作った人々の一人としてあげられるのではないか。
桂小五郎の周布政之助の大酒のみをたしなめた戯れ画など親しみがあって面白い。また七卿落ちの日本画などもある。
180430
特に周布政之助の政治に対する心意気や情報収集力はこの当時としては先見性があったのではないか、幕末の財政再建と尊皇攘夷の藩政を行った藩の重臣である。
七言絶句の漢詩が好きであった。たくさんの詩の巻が展示してあ。る
村田清風や坪井氏ら財政緊縮と軍備増強を図り、幕末維新を成し遂げる基礎を作った人々の一人としてあげられるのではないか。
桂小五郎の周布政之助の大酒のみをたしなめた戯れ画など親しみがあって面白い。また七卿落ちの日本画などもある。
180430

山口にも伝説に似た話はあるらしい。問田川のエンコウ様とか姫山伝説、など探せばたくさんあるという。
昔は川や堤に行くとエンコウ様が引っ張っておぼれてしまう。川の淵に行き泳ぐとそこにはエンコウ様が引っ張るから危険と古老や老婆がよく言うが。
実際川の淵というものは深く底のあたりの流れは速く温度も冷たいのである。小さい子供であれば流れに引っ張られおぼれる可能性があるのでうそでもないらいしい。山口の大内にある問田川というところもエンコウ伝説があるといわれている。その問田川を渡れば向うは益田の殿様の領地といっていたという。
大内氏の家臣の益田氏が住んでいたところであるがその後島根県に移り今の益田市が栄えたのである。その後毛利氏の代となるとまた益田氏の領地になっている。

またこの近辺には狐が昔は多く住んでいて狐の恩返しという話があるそうである。狐が穴を掘りその中で子育てをするが次の年は別のところに作っていくので穴は毎年増えていくらしい。その穴のふちにたくさんの松茸が生えてきてくれるのである。
「狐どもおるかー、なば取りに来たー」と大きな声で呼びかけていって狐のおかげでナバやマツタケがよく取れていると恩を感じながら採ったというはなしである。
参考文献 山口ところどころ 山口市教育委員会編
18.04.22
昔は川や堤に行くとエンコウ様が引っ張っておぼれてしまう。川の淵に行き泳ぐとそこにはエンコウ様が引っ張るから危険と古老や老婆がよく言うが。

実際川の淵というものは深く底のあたりの流れは速く温度も冷たいのである。小さい子供であれば流れに引っ張られおぼれる可能性があるのでうそでもないらいしい。山口の大内にある問田川というところもエンコウ伝説があるといわれている。その問田川を渡れば向うは益田の殿様の領地といっていたという。
大内氏の家臣の益田氏が住んでいたところであるがその後島根県に移り今の益田市が栄えたのである。その後毛利氏の代となるとまた益田氏の領地になっている。


またこの近辺には狐が昔は多く住んでいて狐の恩返しという話があるそうである。狐が穴を掘りその中で子育てをするが次の年は別のところに作っていくので穴は毎年増えていくらしい。その穴のふちにたくさんの松茸が生えてきてくれるのである。

「狐どもおるかー、なば取りに来たー」と大きな声で呼びかけていって狐のおかげでナバやマツタケがよく取れていると恩を感じながら採ったというはなしである。

参考文献 山口ところどころ 山口市教育委員会編
18.04.22


今日は午後6時から県立美術館でモーツアルト生誕250年の記念行事のひとときとしてカルテットの室内演奏会に参画した。
フルート4重奏ニ長調やフルート4重奏ハ長調など8曲を聞いた来場者が多く立見席で鑑賞したがやはりモーツアルトの曲は心地よく脳を刺激してくれて心や精神がなごんできてやすらぐのがよくわかる。
だんだん聞いていると脳の奥の疲れが取れてくるのである音楽は確かに癒しの小道具である。
フルート4重奏ニ長調やフルート4重奏ハ長調など8曲を聞いた来場者が多く立見席で鑑賞したがやはりモーツアルトの曲は心地よく脳を刺激してくれて心や精神がなごんできてやすらぐのがよくわかる。
だんだん聞いていると脳の奥の疲れが取れてくるのである音楽は確かに癒しの小道具である。
いま山口県美術館で5月21日まで、開催されている。この名品展はオーストリアの一人の貴族が740点もの絵画をアカデミーに寄贈したことから始まったといわれています。その人は女帝マリア・テレジア(1717~1780)に使えていた外交官ランベルク伯爵(1740~1822)である。
オーストリアのハスクブルク家のマリア・テレジアの末娘マリー・アントワネットはベルバラで有名な人である。
ルーベンス・レンブラントなど17世紀のバロックの巨匠や細密に描かれた静物、風俗画が、あるいはクルーベのヨーロッパの風景画など約400年前の豪華絢爛なる時代の絵画を見ることができる。今回の展覧会はウィーン美術アカデミー美術館より84点を借りて展示されている。
このたて看板は皆さんご存知の「女帝マリア・テレジアの肖像」1759年の作品です。
オーストリアのハスクブルク家のマリア・テレジアの末娘マリー・アントワネットはベルバラで有名な人である。
ルーベンス・レンブラントなど17世紀のバロックの巨匠や細密に描かれた静物、風俗画が、あるいはクルーベのヨーロッパの風景画など約400年前の豪華絢爛なる時代の絵画を見ることができる。今回の展覧会はウィーン美術アカデミー美術館より84点を借りて展示されている。
このたて看板は皆さんご存知の「女帝マリア・テレジアの肖像」1759年の作品です。