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霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

おどどい山へ

2006-03-21 17:49:32 | 交流/講演
 今朝は天気もよく、市のスポーツ課主催のハイキングに参加しました。9時30分木戸公園に集合して、参加フラグをもらい三箇所スタンプをもらって歩くのである。兄弟山と書いて「おどどいやま」と呼ぶのである。

 初めて参加したが、コースが四つあって汗かきコース、張り切りコース、お気軽コース、らくらくコースとある。私は一番きつい「汗かきコース」を選んだが、さほどの苦しさはなくあっというまに完走した。

 最後は山口名物「しっちょる鍋」のご馳走が出た。これは雑魚団子や鶏肉が入り山口の名産「花っコリー」が添えてある味噌味の鍋で大変美味しかった。またわかめご飯も運動のあとに塩味が利いてうまかった。

 楽しい一日であった。

OBと会う

2004-11-20 19:40:39 | 交流/講演
 今日OBを囲んで、昼食会をホテルの地下の日本料理『みやび』で行った。水田を6反耕作しているが第三者に小作してもらっていると、今は其の作り手もいなくなりそういった人が少なく、ようやく頼みこみ作ってもらっている状況であると、畑は50坪の面積で自分で耕作し自己で野菜を自給しているとのこと、月に一度は謡いに行き、晴耕雨読の生活と地域社会の世話役をやっていて何か悠々自適的生き方であった。ただし、嫁姑の関係だけは頭を痛めていてどこの世界もみな同じようである。

月面を見る

2004-11-19 21:23:50 | 交流/講演
 今日19時から天文館に月面を見る会に参加した。子供連れの家族が多く、盛会である。月は上弦の月で太陽が西から照射しており月の右半分が照らされていた。望遠鏡をのぞくと月面のクレーターがくっきりと見え、あばたのようなクレーターが多く、其のクレーターの中にまた小さいクレーターもある。クレーターの中が照らされて見えるものとクレーターの深いのは真っ黒に見えるなど様々な光景が見られ、静かな海も見えるなど、良く見えて不思議ですばらしかった。月ができたのは、星雲の状態で地球が回っていたとき一部が離れて、地球の引力でそこに定着した説と、地球に飛んできて引力で定着した説とあるらしい。

 月は地球の唯一つの惑星で、地球からおよそ38万km(地球の直径に約30倍)離れた所を27.3日で公転している。新月ー満月ー新月の繰り返しの周期は29.5日である。月の表面は、白っぽくクレーターの密集しているところが『陸』と呼ばれ、ねずみ色でクレーターがほとんど見られない『海」とよばれる部分にわけられる。

 月のうさぎ模様は、黒っぽく見える月の海も部分で、両耳が『豊かの海』と『神酒の海』、頭の部分が『静かの海』胴体の部分が『晴の海』でぬいぐるみのウサギのように見えるのである。

心の豊かさ

2004-11-07 10:40:43 | 交流/講演
 昨日、福岡県の粕屋郡篠栗町にある、南蔵院住職 林 覚乗 住職の講演を聞く年約250回も公演を重ねているので不住職とも行っていた。

   他人に優しさを求める性の話
 人はどうしてもやさしくしてもらいたい欲求が強く、嫁にしても姑に優しくしてもらいたい姑も年をとり、老いるので嫁からやさしさを求めお互いがして欲しいことばかり言い合ってけんかをしたり陰で言い合いをしあっている。本当はお互いに何をしてあげられるかいつも考え施しのできる人間になるのが大事である。募金できる人間になるのも必要かもしれないが、心で相手に施しを与えられることほど尊いものはなく。そういった親切が相手に分らなようにするのが大事である。いかにも親切をしているという振る舞いは。パホーマンスでもあり。醜いといえよう。島田洋七というタレントがいるが、家が貧しく、運動会のときは弁当は日の丸弁当と、沢庵ぐらいであったが4年、5年、6年、と担任の先生がいつもおなかを壊し、おなかには梅干がいいと交換してくれて豪華な弁当が食べれた。母に其のことを話すと先生はみんな優しい人たち、洋七も親切は分らないようにしなくてはいけないと諭されたらしい。
   
   福島選手の話
 巨人球団をドラフト一位で入団した福島選手は、肩を痛め活躍できず各球団を転々としたうえ近鉄球団のマスコット人形の中の人をやっていていつも挫折感にさいなまれ毎夜自棄酒を飲んでいたがある居酒屋で幼子と其の父が来て食事をしていた会話で幼子がマスコットが一番良かった好きで又行きたいと言う話にハットして、これが自分の天職だ天から与えられた仕事と思い、それからはマスコット人形のしぐさの研究をしたりどうすれば観客に喜んでもらえるかを追求し生きがいを持てるようになった。

 15年のベテランスチュワーデスの話
 高名な政治家や、俳優、タレントを乗せたが、印象には残っていない、一番印象に残っているのは結婚25周年記念に夫婦でカナダ旅行に行く予定で予約していたが妻が急逝して、子供たちが遺骨とともに一番行きたかったカナダに連れて行ってやって欲しいということで、搭乗した人がいたが初めはわからず暗い顔をし寂しそうであった。お茶のサービスのとき声をかけたり色々の機会に接触して訳を聴くと上述のことであった。それからは機長と相談し、普段家でやっておられるようなことをしてあげられたら良いのではと意見があり、機内に飾ってある。花をかき集め金婚式の花束のようにして座席の遺骨に飾ってあげ、食事も奥様の分にもと提供し奥様も乗っていらしゃるがごとくサービスを行ったところ大変感動され喜んでもらったことが一番印象に残るというこてでした。

 おひな祭りの話
 貧しくてひな祭り人形も買えない家庭の話し、そこには4姉妹の子供がいて、同級生や近所ではひな祭り人形を飾っている。家にはない欲しいといい、母親は困ったが。風呂上りに一人一人座布団に座らせて我が家にはこんなに可愛いい雛人形が四人もいてみんな綺麗よといってこんなに可愛いお雛様いるのにそれ以上のものはいらないですよと子供たちに優しく言い、折り紙で雛人形を作り飾って祝ったということである。

 いずれにしても他人と比較したりしても、心は豊かにならない、自分の気持ちの、持ちようである。マザーテレサも、癌とか糖尿病とか重い病があるが人間の病で孤独ほど怖い病気はないといっておられたという。事実かどうか知らないが。しかし人間みな孤独であり死ぬときはみんな一人で死ぬ。孤独が当たり前なのである。孤独と感じる必要はなくいつも孤独であるのが尋常と思うことが大事。孤独はいけないとか孤独は怖いとか言うのがおかしいのであって、孤独と思うことがこころがゆたかでないことであろう。孤独とは逆に言えば誰からも束縛されない自由な心と体を有しており自分の好きな人生や死に方を選べる贅沢な心持の人間である。心や生き方が豊かであれば決して孤独とは感じないのではないか。心を豊かにするには心の糧を増やしていくことで、読書をしたり、感謝する心、施す心から始まる、いつも何ができるか、してあげられるかを考えながら生きていくことが涵養と思えた。