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霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

中原中也とダダイズム

2007-03-25 12:46:12 | 人生・文学
 今日は小雨が降るので散歩がてらに中原中也記念館に行ってみました。

 今年の4月29日が中也生誕100年ということで4月のはじめから生誕百年祭が始まります。佳境は28日の前夜祭から5月6日目まで毎日ゲストを呼んでコンサートとサーカス小屋を作りサーカス団によるさまざまな芸があります。

 今日の記念館は中也が17歳のころダダイズムにのめり込み99ページの習作を大学ノートに書いているのである。このダダイズムというのは第一次大戦後起こった運動で第一次大戦は科学的・機械的兵器を使用し900万人が死んだという背景に厭世気分も入ってどうやら今ある社会をゼロにする、解体する運動であったといえよう。ダダイズムの詩を作りたければ新聞をカッターで切り刻み組み合わせれば出来上がると書いてあった。無意味がいいのである。

 中也はその後ダダイズムから離れフランス文学に傾注しフランス文学を数多く翻訳している。次第に「ランボー」を中心に象徴主義の影響を受けた詩が発表されたと思います。

 中也の詩の語彙にも研ぎ澄まされた言葉が使われているのがわかる詩や、やや難解な詩が多いのもその影響だといえましょう。やや硬派の抒情詩人といえるのではと思います。

 わたしの好きな詩は「汚れちまった悲しみに」「サーカス」「冬の長門峡」「帰郷」がお気に入りです。       

ダンスに目覚める

2007-02-11 18:01:21 | 人生・文学
 リズ・ラーマン ダンス・エクスチェンジワークショップ参加者による成果発表パホーマンスが2月11日16時から情報センタースタジオAで開催された。

 パフォーマンスと生活を同じ重さで考えているというダンスである。音やメディアをつかったコンポラリーダンスでいろいろなところからよい動きをひっぱつて来て表現をしている。

 各参加者の個性、トレーニングを積んだダンサー、クラシック、プロレス、などいろんな経験・背景ある個性、またトレーニングを積んでいなくてもその人の動きの個性を発見する。自分らしい動きを発見し持ち寄ることからこのダンスは生まれる。一言で言えば動きのコラージュとでもいえるかもしれない。

 今回の発表作品は「七つの歌」という題目である。中原中也の詩をメインに湯田温泉の足湯のイメージや変わらない山口の自然といった時代の流れを表現していた。 なかでも「人生は老いる」という言葉がなぜか残っている人生は生老病死、ただ生きているだけで価値がある気楽に生きろということであろうか。
 細君も出演をしていて自分なりの動きをしていてよくまとまったダンスになっていました。細君の新しい才能発見である!!!!。

えんこうさまの伝説

2006-09-28 07:59:28 | 人生・文学
 これは大内地区にある問田川近郊に伝わる話です。

 昔は毎年一人か二人は水死していたからお年寄からの言い伝えが今でも残っていて、えんこうさまといって祀られています。

 話は・・・
 むかし、むかし、問田川の深い淵に悪いえんこうがいた。
川で泳ぐ子どもが、このえんこうの為に何人も川に引っ張り込まれた。

 あるときのこと、このえんこうが、馬を引っ張り込もうとして、かえって馬に頭をけられ、とうとう村人に捕らえられてしまった。
村人達は子どもらの敵討ちだといって、えんこうを殺そうとした。

 しかしえんこうが両手を合わせて、しきりに命乞いをするので、村人も哀れに思い、「それでは死んだ子どもらの為に、石の地蔵様を建てるから、この地蔵様のお尻が腐らぬ限り、この川に出てはならぬぞ」といって、えんこうを許してやった。

 このえんこう地蔵さんは、川土手からいまは光巌寺の門前に移されている。

 いまは宅地開発が進み、住宅団地も大規模なものが2箇所もできている、また問田川沿いの道も拡幅されて車の往来は激しく、また川は汚れて、子供達の川遊びや川で泳ぐ光景もなくなっている。

 いまはそんな伝説があった事さえも消え去るように人口は数倍に増えてニュ―タウン化してしまい川や自然も昔の面影を失った。

伝説の話は「山口ところどころ」昭和49年山口市教育委員会発行から引用

180507

東桃園の碑

2006-09-11 11:21:36 | 人生・文学
 亀山公園の中の南の隅にこの石碑がある。

 東桃園は山口中学の教師であった人である。多趣味な人で絵画や俳句もたしなんでいた。作品も多く残っているというが今知られていない。
 初めて聞く名である。

 この石碑には同氏の句が刻まれている「みの虫の みののつづれに 陽(ひ)こまやか」
と詠われている。

 昔の自然とともに生きている姿が風雅である。

参考資料 山口ところどころ 山口市教育委員会編

国木田独歩に碑

2006-07-25 20:21:33 | 人生・文学
 この碑は国木田独歩の山口在住を記念して建てているものです。「山林に自由存す」と刻まれています。本当に森の中に朝日が指し込んでいてそんな雰囲気ですね。

 独歩は千葉県に生まれたが父が裁判所勤務なので各地を転勤しているいわゆる転勤族であった。この近辺は広島、柳井、山口と転居している。山口は13歳の時移り、駅前の今道小学校を出て、この亀山のふもとにあった山口中学に通った。学校と隣り合わせの為独歩もよくこの地に来たことであろう。作品に「山の力」「帰去来」など山口の出る場面がある。

7月は県立図書館に於いて国木田独歩展が開かれています。山口県に居住したときの関連した小説やエッセー、写真などが陳列してあります。近くにいかれたら立ち寄られると良いですよ。

参考資料 観光案内板

180503

御製の碑

2006-05-15 19:27:32 | 人生・文学
 今朝の散策で亀山公園に行くと御製と書かれた短歌の石碑があった。「御製」(ぎょせい)とは天皇が書かれた詩文や和歌のことです。この亀山公園にあることがびっくりです。

和歌の内容は

「ふりつもる
   み雪にたえて
     いろかえぬ
           松ぞををしき
            人もかくあれ」

 昭和21年の歌会始の御題「雪上松」のよる。なぜこの松にかかわる和歌がここに石碑としてあるのか説明がない。思うに山口県は県木が赤松である。この県庁の界隈には春日山やこの亀山公園に赤松が植生しており比較的たくさん赤松があるので松にかかわる歌を記念碑として建立したものと思えます。昭和天皇御製

親子関係

2006-04-27 22:59:31 | 人生・文学
「親は十人の子を養えども、子は一人の母を養わず」ということわざがありますが、この時代において母親を養っている子は少ないのが真実であろう。

 というのもいまの老人は社会福祉が昔より充実し、受給する年金で自活できているので逆に子どもに養ってもらう必要がなくなっているといえよう。

 それだけ老人パワーが強くなってきており若い者の発言力が弱まっている。

 むかしは「老いて子に従え」ということわざで、子どもに従うというのが当たり前であったが、今の時代は年寄も元気で子どもの世話になりたくないというのが本音であろう。

 高齢化社会を迎えて、高齢者は恵まれていると感謝しながら生きるよう心がけたいと思います。

笑顔はクスリ

2006-03-05 17:49:27 | 人生・文学
 「笑顔がクスリ」の著者がこの町に来た。在宅介護支援センターの開催の講演によばれてきたのである。

 この人は笑えばNK細胞・ナチュラルキラー細胞が活性化する。そうすると免疫細胞がたくさん出てガンとか病気を治していくというのである。

 笑いや、好きなことに熱中したり、歌ったり、ハイキングしたり、水中ウオーキングをしたりするとNK細胞が活性化するのである。農園で夢中になって作業をすることも同じである。

 がん患者と一緒にモンブランに登った医者でもある。今もモンブランに登ったガン患者の人たちはほとんど生きているという「モンブランに登ってよかった。好きな山の登れてスイスまでいけた。」という楽しみや夢中になることが免疫細胞の活性化につながったものと先生は言われました。

 

 「笑顔はクスリ」という本は5年位前に読んだが、免疫機能の活性化に役立つという臨床的な実証も得られている。

 笑いや唄うこと口笛を吹くこと。それと自分に「楽しい人生」と思い込むこと。病気も「なおる なおる 絶対なおる」と信じきることそしてそれを唱えること。

 生活習慣として人生を「楽しく生きる」ことを常に口ずさみ唱えながら生きていくことが一番大事。

 二番目には食、コレは旬のものを食べるということ、腹八分目に。

 また日本人等モンゴル系は「飢饉耐性遺伝子がある」ため雑穀や野菜中心の食事をすることである。肉食を取りすぎると腸が汚れたり腸に穴が開いたりしてガンにかかりやすい体質となるらしい。

 穀菜主義で食の生活をする。肉や魚は盆と正月だけでよいという生活習慣が大事といえよう。

 

 また産婦人科学会では食生活、とくにハンバーガーとインスタントラーメン中心の添加物の多い食品に偏った食生活を続けると男性の精子数が減退し不妊症の原因の半分は男性側にあるといわれている。今後も男性に精子数は減少を続けるのでますます少子化の拍車がかかるかもしれないと警鐘を鳴らされた。

 笑いの癖も色々あって十人十色である。みんな違ってみんないい。人それぞれの楽しい人生を送ることが必要である。

 三途の川を渡るときあなたは現世で楽しい人生を送りましたかと聞かれて、「ハイ楽しかったです。」といえるような残りの人生を送りたいものである。

 三途の川では「社会で何をしてきたか」は一切聞くことはしない。「人生楽しかったか」しか聞かないのであるらしい。残り少ない人生への示唆に富んだ話であった。

 生涯現役がぼけにならない方法。ヌレ落ち葉になればたちまちぼけてくるらしい。

中原中也の童謡

2006-02-01 10:42:30 | 人生・文学
 湯田温泉の錦川沿いの中原中也の童謡の石碑が立っている。

 しののめの
  よるのうみにて
   汽笛 鳴る

 こころを起きよ
  目を 醒ませ。


 しののめの
  よるのうみにて
   汽笛 鳴る

 象の目玉の
  汽笛 鳴る。

 1933、9、22の26歳の時の作である。
 
 この年上野孝子と結婚、「ランボー詩訳集」を発刊している。この童謡は小学校の教科書にも載っているということだが私には全く記憶がない。

 26歳で詩の翻訳をしたり「山羊の歌」の校正をするなど若いのに才能が豊かであったのだなと感心する。文学的の才能は30歳ぐらいまでの世に出ないと駄目なのだなあ・・・・・・

山頭火句碑1

2006-01-30 10:33:01 | 人生・文学
 種田山頭火の句碑が湯田温泉の錦川のほとりにすえられている。この句がびっくりするくらいやわらかいのである。

放送禁止用語に抵触するのではないかと思うのである。その句の内容は「 ちんぽこも  おそそも  湧いて  あふれる湯 」である。いったん裸になればみんな平等ですよ。と云っているのである。普遍的でまっとうのことを云っていてまじめな句でもある。

 山頭火は小郡の「碁中庵」に昭和7年秋から庵を作り住んでいたがその時から温泉好きというか老化の為かわからないが歩いて温泉に入りに来ていたらしい。しかし温泉好きが講じてついに湯田前町の竜泉寺の中に4畳の間が空いているのでそこを「風来居」と名づけて昭和13年11月末から14年初秋までいおりを組んで句作と温泉を楽しんでいたが松山に立ち「一草庵」で昭和15年10月。59歳の人生を全うしたのである。