カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

旭日旗の問題

2019年10月19日 13時10分55秒 | スポーツ

東京五輪に観客が持ち込む恐れがあるらしい「旭日旗」ですが・・・・・・


東京五輪への「旭日旗持ち込み」問題 新聞社説が“賛否両論”真っ二つに分かれた理由:文春 2019/10/18


別にこの「旭日旗」に限らず

日本の新聞社には「論調」があり、中国・韓国には見られない「多様性」は、日本人たちが想像さえできないほどです。

「真っ二つに分かれた」という現象は、日本では昔からあったのであり、それを冷静に見ている第三者もいたのは、今に始まったことではないことを、まず申し上げておきます。

中国はもとより韓国には、「多様性」などまったくありません。

中国では一色だし、韓国では第三者は許されず二者択一なのですね。

韓国では、対外的には意見が一つにしぼられこれに反論できない仕組みができあがっていて、対内的な激しい対立は、この反動です。

全体主義・マスゲーム・一糸乱れぬ動き・一致団結・挙党体制・違反者を社会的に抹殺・視野狭窄症・異論反論を許さない、など「一律が韓民族を象徴する言葉になっております。

ただし日本でも

すべての社員や記事が「論調」に沿っているとも言えません。

伝統的な社風はあるとしても、それぞれの社にそれぞれの論調があり、CM先への幾分かの配慮も必要でしょうし、CMの配置にさえ神経を使うことでしょう。

そう

人は「誰かに合わせているだけの場合には、強硬になれ

もし「自分の考えに沿っているなら、強硬にはなれない

    • 万が一間違っていても、誰かに合わせているだけで「責任を転嫁できる」場合には強硬になれるのであって、
    • もしも本当に自分の考えならば「そうだろうか」と不安になるもので強硬にはなれないのです。

合議制は、独裁者を防ぐために必要なことでしょうが、こういった負の問題もあります。

こうみてくると、韓民族はほとんど他人の意見に同調するだけのように見えてきます。自分の考えのように見せかけて、実は他人の意見だからこそ、あれだけ対立が激しく、また強硬になれるのでしょう。一見して視野狭窄症のようにも見えますが、むしろ本質はそこにあります。

もし

「相手が嫌がることをあえて挑発するようなことをしない」という「立派な」方針を守る人がいる場合、「いつも相手が嫌がる姿勢を示し、なんでも相手の行動を挑発だととらえる」人をどうとらえるか、と反問されることでしょう。

「いつも相手が嫌がることを繰り返す」人

「なんでも相手の反応を挑発だととらえる」人

にどう対応しますか。「そんな人が出ないように努力する」ですか。

しかし、努力が失敗したからと言って、「つきあわない」というわけにはいかないのです。

最悪を考える人には、最悪の人がいるという前提が外せません。

最悪を考えながら、最悪の人はいないと考えますか(笑)。

そんな人のいうことを聞いていたら、それこそ「内政干渉されっぱなし」になるでしょうが、それでもいいのでしょうね。

主に「旭日旗」が悪だとするのを初等教育から施しているのは

中国や朝鮮半島でしょうが、そういった地域の人の言うことだけを聞いて、禁止措置にしていると、どうなるでしょうか。

それだけで終わるはずがないのでして、次から次へと要求は出てきて、際限なく呑まされる事になりかねません。そんなことを韓民族が理解できるはずがありません。

今はなき与党民主党(2008-2012)代表鳩山由紀夫の「被害者がもう謝罪しなくてもいいと言う時まで加害者は謝罪する心を持たなければいけない」という2019/10/11発言などあり得ないのです。別にどう表明しようとも構いませんが、間違った判断であると私は見ております。鳩山由紀夫は韓国で初等教育からの洗脳がおこなわれてきたなど不都合なことを聞かないふりをしているだけなんでしょうか。

それを無限に繰り返させるのではなく、終わらせるのはどうすればいいかですが、「そういった地域の人の不快感を「法で禁止」しない」こと、いわば「内政干渉させないこと」しかありません。

そのためには「禁止法」を定めないことです。

いくら面倒でも、その場その場で処理しなければならないのです。

中国の人が昔いっていましたが

国家が細かくなると民はずる賢くなるもので、抜け穴を探すようになるのです。行き着くところ、恣意的な法運用となり、すでに多くの全体主義国家(中国・北朝鮮・韓国など)でそれが見られます。

「人がずる賢くなる」ことが分かっていない人たちは、細かい法律を「他国に要求」します。

属国にならないためには、こういった内政干渉を許さないことです。

法治国家が、擬似民主国家・非法治国家の言うことを聞くものではありません。

記事では

「サッカーではだめなのに、なぜオリンピックではいいのか」と質問するのですが、「オリンピックではいいのに、なぜサッカーでは禁じられているか」と考えたことがありますか。

安易に流されずに、真剣に考えたことがありますか(笑)。

そこには、自分の信じる理念がありますが、それは多分に後天的なものであり、国によって異なるのです。

それが国外でも通用するかどうか、微妙なところです。

考えたら

北京五輪の海外聖火リレーで大きなトラブルがあり、旭日旗で韓国がトラブルを起こしました。なぜ中国・韓国だけがたくさんの大きな問題を引き起こすのでしょう。

それはこれらの人のうぬぼれ(儒教が災い?)と、日本がすべての国の要求を呑もうとしたことにあるでしょう。 

東京五輪が「共生社会を実現することを目指している」

つまり、日本は「人が嫌うことをあえてしない」のでしょう。

しかし、すべての人を満足させることはできません。

自分の国内だけで通用するのに成功しただけで、世界のどの国でもそうあるべきだ、と考える「幼稚」な人などを、どう扱うかでね。

つまり「共生社会」を否定する人をどう扱うか、です。

「共生社会」を信じる人は、「共生社会」を否定する人の言い分さえ認めるのですか。

そんな視野狭窄症の人が国外に出て、その国でも自国内と同じようにすべきだと考えているなら、そちらを先に問題とすべきでしょう。 


結論になりますが

法律が細かくなると、国民はずる賢く」なります。

中国・韓国でずる賢い偽善者が多いのはなぜか。

両国民が法を信じていないのには共通点があります。擬似民主国家・非法治国家であるという共通点ですね。

そんな国の人に、その国以外の人が合わせられるかどうか、考えたいものです。 

日本の多様性を発揮して、「旭日旗」を禁止にしないで

  • 日本人に問題行動があったらその都度処理をし
  • 中国・韓国人に問題行動があったらその都度処理をする

それでいいのです。

中国・朝鮮半島では見られませんが、なんでもかんでも法で処置しなくてもいいのです(そのくせ恣意的な法運用がこれらの地域の特徴です)。

世界中の人が

日本人と同じだと思ってはいけません。

よって人の嫌がることを「法で禁止」することに私は反対です。 

少々長くなりましたが、皆様はどう思われますか。 


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