多くのひとは、誰でも苦労をするものです。
中には、
- そんなのは苦労のうちには入らない、とするものもあれば
- 悲惨すぎて事実をそのまま語れず、一般論でごまかす場合
もあるようです。ここでは
自分が経験した苦労を「部下や子供」が同じように経験
- するべきでない
- するべきだ
という両極端にわけてみました。多くは、その中間のどこかにあると思いながら、分りやすさを前面にだして・・・・・・。
自分と同じ苦労は「部下や子供」はするべきでない
- きっと優しい人なんでしょう。
- 今の時代は、かつての自分の若い時代とは違って、別の苦労があるのだと理解しているに違いありません。
- 「昔と今とで共通のことも多い」はずで、それに対して自信をもっており、それだけは譲ろうとしないのが普通です。
- しかし「昔と今とで共通のことがあるはず」と思っていても既に「共通ではなくなっている」かも知れず、これが心配なのです。
- グローバル化を否定し駅前通りがシャッター街になったのは自民党のせいだとする左翼野党(岡田)もいるようですが、残念ながら直接的には岡田に縁があるイオン(ジャスコ)に責任があり、複合的には政策の問題があり、ひょっとしたらアメリカの政策に原因があるのかも知れません。
- 何でも与党の責任にしなければ気が済まない野党の特徴でしょうが、その「分配をどうするか」「財源をどうするか」はどの党をも悩まし続けます。
自分と同じ苦労を「部下や子供」はするべきだ
- きっとその人は、苦労から多くを学んだのでしょう。
- 今の若い人たちも、苦労してこそ本当の人生があるはず、と信じて疑いません。
- しかし同じ時代でも違う見方をする人もいるし、時代が変わっているので同じ苦労があるとも限らないのです。そんなの大した苦労ではない、と思われるものが、新しい時代の人には深刻な悩みの種なのかも知れません。
- 自分たちの時代と同じで、若い人たちには今まで自分が経験したのとは違う別の新しい苦労が待ち受けているものです。これは、新しい人たちには不可解なのと似て、新しい時代を経験しようがないかつて若かった人たちにも不可解、なのでしょう。
- 結局は、前の時代の人たちの意見はあくまでも参考程度であり、多くは自分と自分の世代の人たちが解決するべき問題です。
- もしも「今の人たちが自分たちが経験したのと同じ苦労をすべきだ」と言うならば、新しい時代の人たちにはそれだけ苦労が増えることになり、いったいどれだけの苦労が必要なのか分らず、「苦労で押しつぶされる」のがオチでしょう。そんなはずがありませんね。
- そう、「昔と今とで共通のことも多い」と信じているのが、すでに間違っているのかも知れません。「昔と今とで共通のこと」が既に「共通でなくなった」と心配する人がいるのです。
- 中国人は、自分たちの頃とくらべて「子どもたちのアルバイト料金が少ない」と嘆くようですが、一方では「子どもたちに楽をさせてはいけない」と現状を維持する考えもあるようです。問題なのは「楽をさせてはいけない」のは分るとしても、「自分の若い頃の苦労と同じことをさせたい」とうぬぼれことが多く、自分の経験が普遍性であると疑いなく信じているのが心配です。この人も、急激に変わりつつある世の中で「昔と今とで共通のことがあるはずだ」と疑ってはいないようです。
かくして世代間のギャップは
- 変化がないように見える安定した地域でも起こり得るし
- 激変しつつある地域でも、より一層起こり得るのです。
これらが分っていない多くの場合、常に年配者たちは
- 「異なる時代」に生きていると部下や子からは
- 「過去の栄光を重んじる」と疎んじられ軽んじられます。
言い替えれば「世代間のギャップ」は避けることができず常に存在します。
これを解決する方法は、今のところ2つあり
- 世代間ギャップの存在を、深刻な大問題とは考えないこと
- 多くの米社会の如く、かつての日本より親子の関係を疎にする
ことでしょう。
よく言われるのは
雇われる人には、雇う側の苦労が分らないもの
さてさて、皆様はどう思われますか。