日韓では「映画・歴史」のとらえ方が異なっているようです。
ここではドラマも映画の中に含めており、「映画ドラマ」と「歴史」のとらえ方の違いについて述べております。
日本では
「日本は、韓国とは大きく異なる」と考える人が多く
韓国では
「韓族が日本に教えてやった」ので「外国である日本が韓国の言う通りにすべき」というおそろしく未熟な考えの人が多いようです。
一色を好み異論を許さない上に、「韓国が北朝鮮に対してもつ劣等感」がそうさせた、と思われます。
映画
▲日本人の見方:映画は、社会の一部を切り取る娯楽。
▼韓国人の見方:映画の内容は真実で、文化的な証拠。
歴史
▲日本人の見方:
歴史映画の場合でも史実に反しない範囲で自由に創作可能。
一方で、「歴史は史実」だと考える人が多いのは、一方的な歴史記述が少ないからでもあります。
よって新しい発見によって映画が史実に反することになれば再上映(放送)されなくなるので、これを避けるため、できるだけ史実に反しない内容にするでしょう。
歴史が分りにくいとされる一面です。
▼韓国人の見方:
映画で描かれた内容は正しく、文化的な証拠だと考えます。
そこに時の政権にヨイショする危険が潜んでいるのですね。
つまり「映画≒歴史」と考えることで、娯楽の域を出なかったのに、いつの間にか過激な表現を競い合うことで、厳密な吟味を必要としなかった映画の「文化的な証拠性」がより強まるのです。
こうして更に映画の表現内容が正しいと思う人が増え、例の「だまし・偽造・偽装」が闊歩する世界とありなります。
これらすべては、韓国の「法の未整備」が原因です。
韓国の歴史のほうが分りやすいと言えますが、まったく厳密性がなく、一方的な「おとぎ話(悪者がいてこれを懲らしめる)」になりがちで、信頼性がありません。
日韓の「映画」「歴史」の見方には、こういった違いがあります。
日本では、歴史と名がつくものは「風雪に耐える」価値があるかどうかで決まるようです。
韓国ではそんな吟味は不要ですから「これが歴史だ」という思い込みで結論づけ、「みんなが言っていることなので証拠など必要がない」となり、史実かどうかなど意味がなくなるのです。
- やがて、韓国で100年も経過すれば法が整備されるようになり、冤罪(えんざい)が表面化するでしょうが
- 今の韓国社会では司法・行政はおろか立法さえ信じる人が少なく(法体系に疑問もつ人が多過ぎ)、いまだ冤罪(えんざい)さえ表面化しません。
私の結論ですが・・・・・・
韓国では法整備が未熟なので、映画と史実を同一視する
分りやすく言えば・・・・・・
韓国社会では「映画で描かれたことは歴史的な事実」と信じる人が多く、これがある種の人には好都合で、それが「法の未整備を証明しているとともに、法の整備を遅らせている」
と思うのです。
こんな違いがある日韓で、共同の歴史教科書をつくろうというのは、無謀な試みで、日韓中となればさらに意味がなくなるでしょう。
さてさて、皆様はどう思われますか。