なぜ韓国では、徹底して「反日」を続けるのか
これについては、いろんな説があるようで、どれも正しいようだし、どれもちょっと違うようです。
そこで、私の見解を述べることにします。
▲為政者は外敵を作りたがるもの
外敵をこしらえて内部結束を図ろうとする流れの中で「反日」が登場するであろうことに私も賛成しますが、それだけではなさそうです。
確かに韓国では「日本悪し」とすると「そうだそうだ」と支持が得られるようですが、それは為政者が「反論を許さない」社会システムを作りあげてきたからであり、「日本という外敵をつくりさえすれば『そうだそうだ』と異論を許さなくなるのはなぜか」についての十分な説明にはなっていないように思います。
きっとこの反動だと思われますが
- 韓国人の日常生活では、まったくどうでもいいことで意味のない対立が多すぎ、これが視野狭窄症の国民をして「この対立こそ人生で一番大切なもの」と思わせるのに成功しています。
- 過度の入学競争などにまつわる様々な不正などを見ていると、為政者としては喜ばしいことにちがいないのですが、実はこれが国家の品性低下につながっているとは・・・・・・あぁ無常!
日本に比べて「韓国語で悪口の語彙が多い」らしいことが、それを証明しています。
▲儒教では支配が1点に集中している
「名誉」と「権力」と言えば分りやすいかと思います。
日本の江戸時代
- 名誉は天皇に
- 権力は江戸幕府に
現在の日本ではずっと
- 名誉を象徴天皇に
- 権力を「国民から選挙によって選ばれた人たち」
に委ねております。
しかし儒教国では
- 名誉も権力も同一者にある
何でもないことのようですが・・・・・・
- 多様性がない
- 一極集中
- 反論を許さない
国民の思考もこれを上回ることができなくなり、「単なるクサイ演技」に堕するのでした。
こういった分散化のおかげで
日本でも「こうでなければならない」と死守する人も希に見られますが、多くの人がそうではなく「法の範囲内で最善をつくす」という思想が生まれるのであって、私は、こちらの説に賛同する次第です。
実際の分析ですが・・・・・・
韓国では
選挙で選ばれた人が名誉と権力の両方を得ているため、単一思考しかできず、異論を排除し、多様化がみられないのです。
- まだ今でも、ソウル近郊に韓国全人口の40%近くが集中しているらしい
- 軍事政権下では、地方自治体の首長(ソウル特別市など)が「政府による任命制」でしたが、1995年(20年ほど前)になってようやく「選挙によって首長が選ばれる」よう選挙が復活したらしい
- 1997年の金大中政権が実質的な民主化の始まりだとして計算すれば、2017年現在でちょうど20年です。軍事政権下の時代の方が30年以上であり長く、韓国は今でもまだ無法地帯そのもので、軍事政権の影響が色濃く残っていて、口が裂けても法治国家とは言えません(韓国は非法治国家)。
今、民主主義うんぬんと叫び脱軍事政権・脱全体主義を狙っている韓国ですが、残念なことに
- 軍事政権下の一極集中が依然として残っており
- 中央集権的な制度・全体主義独裁国家の余波がまだまだ国民の間に見られるのです。
「日本が韓国へ攻めてくる」というあり得ない洗脳で初等教育段階から恐怖をあおる国が、北朝鮮が暴発して韓国を攻撃する、などは考えられないのでしょう。
「反日」の言動は、悲しい「性(さが)」と言えます。
中国では
国民による総選挙などあり得ず、建国(1949年)以来ずっと共産党による一党独裁が続いており、この中国共産党が、名誉と権力の両方を手放さないどころか、一部の人から選ばれただけの中国共産党が中国国民を報道規制・言論弾圧しているのです。
「反日」の言動は、悲しい「性(さが)」なんでしょうか。
韓国・中国では、日本でもしばしば見られますが
これとは比較できないほどの「汚職・職権濫用」が常態化しており、韓国の歴代大統領が職を辞したあと「汚職」に関連して例外なく不幸な人生(逮捕・死刑判決・自殺など)を歩んでいることや、汚職を使って汚職を撲滅しようとする演出をおこなっているだけの中国のことなど、皆様よくご存じの通りです。
「儒教があるから」とまでは言えないかも知れませんが、名誉と権力を分離できないと、更に「反日」が過激になると思われます。
ただし「奇妙な序列や汚職を許さない儒教」なるものがあり得るかとなると、私には「あり得る」と断定するだけの勇気がありません(笑)。
さてさて、皆様はどう思われますか。