「異常」の使われ方(1)に続いて、「異常」の使われ方(2)を用意できました。
(1)としたからには、(2)以降もあるだろう、と思ったかたがいらっしゃったかも知れませんが、本人は1回で終わるかも知れないと思っていたので、続けられて「まことに、おめでとうございます!」と言うところ。
継体天皇は、出身地も即位も、それまでと比べ異常であった。
推論:天皇家ではなく豪族出身者で、実力で皇位を奪ったのでは? 出身地も、日本書紀では越前とあり、古事記では近江となっている。この継体天皇が、渡来系氏族の多く住んでいるところに、筒城宮・弟国宮を造っている。・・・・
立場の不安定な自分を支える基盤として渡来系の氏族を頼った、とも考えられる。:P.126 井上満郎(共著)「古代豪族と朝鮮」
古代史の資料には、推測や偽装がつきものなので、実在したかどうかについては複数の資料による厳密な検証が必要です。
もちろん天皇に関してもそうで、宗教的な信仰対象としている人は別ですが、学問的には相当あとの天皇からが実在した人物だとされています。それが誰からなのか、については諸説があります。
私としては素人ながら、特異な経歴をもっているとされるこの26代天皇の継体〔450年?-531年〕あたりからが実在ではないか、と考えております。
古い時代のことでもあり何も根拠はありませんが、古事記や日本書紀では、初代とされる神武を先に設定して埋め合わせようとしたため、逆算して割り当てると驚くほど長い寿命になってしまった天皇もいるようです。
それがようやく、継体のあたりからようやく実情にあうようになったのではないか、そう私は考えてええいます。
後鳥羽院に、一首の異常な、あるいは不思議な歌がある。
あはれなり世をうみ渡る浦びとの
ほのかにともすおきのかがりび
「おき」は「沖」であるとともに将来配流される「隠岐島」か。また「あはれ」は土御門天皇の「阿波」か。
この歌は夫木(ふぼく)和歌集にのみおさめられているものであて、後鳥羽院御集にも後鳥羽院御百首にも、新古今集にもないもので、隠岐流刑以前の作と考えられている。・・・・
隠岐に流された代表はほかに、小野タカムラ(平安前期の朝臣・歌人・漢学者)で隠岐に流され、後にゆるされて召還され、参議に進んだ人。・・・・
菅原道真(右大臣・学者)藤原時平のザンによって太宰府へ左遷、配所で没した。・・・・
新古今集にとられた道真の歌12首は激越なものばかり。:P.152 堀田善衛「定家明月記私抄」 新潮社
81代天皇の安徳が幼くして海へ沈んだ時に、三種の神器の宝剣も海へ沈み、引き上げることができなかったらしく、即位するときに「神器なき天皇」とされた82代天皇の後鳥羽でした。
- ひょっとすると、ですが、後鳥羽〔1183-1198〕は才能豊かな人だったかも知れません。しかしその溢れる才気・才鬼ゆえか異常な暴政に走り、承久の乱〔1221〕を起こして政権を転覆させようとしたため、時の執権によって隠岐の島へ配流〔1221:38歳〕の身となり、後日当地でなくなっております。
- 承久の乱では、息子の83代天皇土御門(つちみかど)には何の罪もなかったようですが、親が佐渡へ流されたため、自ら進んで土佐への配流を希望し、後に阿波(あは)へ移ったため、「あはれ」は息子の「阿波」ではないかとする説もあるとのこと。また「おき(沖)」は配流先の「隠岐(おき)の島」では、とも考えられています。
なおあまりおなじみではない「夫木和歌抄(ふぼくわかしょう)」に掲載されている歌は、こちらから御覧下さい。
和歌集には、公の勅撰和歌集と私の私選和歌集とがあり、前者が534年間で「古今和歌集」~「新続古今和歌集」の21があり、無数にある後者のひとつが夫木和歌抄のようです。
新羅による朝鮮半島の統一である。同じ民族によって統一がかなったのだから、一見問題ないように見えるかもしれないが、新羅の場合は事情が違う。
新羅による統一は、外勢である唐と結託して、同胞の国であり、当時、アジアの強国であった高句麗と、世界の最高級の文化と芸術の国であった百済を不意打ちすることによって滅亡させたものだった。(百済が660年、高句麗が668年)。
民族反逆の末に、自らを唐の属国としてしまった。ここに韓国人の意識構造に、異常を招く事態となった。
新羅は進んで唐の属国となることによって、卑怯、利己主義、機会主義、事大主義をはびこらせ、漢民族を転落させたのだった。これは朝鮮半島に禍根を永久に残すことになった大事件であるが、今日の表現を用いてみれば、無頼漢(ムレハン:ゴロツキ連中)が他民族の勢いを借りて、自分たちの民族国家を打倒したのだった。
:P.24-26 崔基鎬(チェ・ケイホ)「韓国堕落の2000年史」祥伝社黄金文庫
新羅(しらぎ/しんら、紀元356年-935年)は、古代の朝鮮半島南東部にあった国家。・・・・・・
新羅の半島統一
その後、唐が西方で吐蕃と戦争している隙に反乱を起こして、676年に唐の行政府に駐留する役人や警備部隊を奇襲して殺害、旧百済領と旧高句麗領の南半分を合わせて朝鮮半島をほぼ統一することに成功した。これ以後を日本では統一新羅時代と呼んでいる。:Wikipedia
崔基鎬の説では、
新羅が中国にヨイショし始めたのが朝鮮半島人の異常の始まりらしい。
これを見ていると、その後の朝鮮半島の混乱と、イランやロシアにヨイショした結果として大混乱に陥ってしまった現在のシリアが、そっくり同じに見えてきます。
視野を広くすると、
ある程度「外国の力を必要とする」時期があってもいいかと思いますが、特定の外国に傾きすぎると間違いなく「利用」されてしまい、危ない、のは明らかです。
- 身の回りを見てもそうで、親戚縁者の力を借りること自体には何も問題がないのでしょうが、自分たちで解決しようとせず外部に依存し過ぎると大混乱を招き、場合によっては自らを滅ぼしかねません。利用されたからに、ほかなりません。
- 江戸末期の日本で、対立関係にあった薩摩と長州が薩英戦争(1863年)を経て薩長同盟(1866年)を結び、結果的に徳川幕府を倒し明治政府を樹立したものの、明治政府が一方的にどこかの国に依存して欧米の植民地争いに巻き込まれることがなかったようです。
- 最近の韓国が異常なほど中国に接近していますね。これが1000年以上に渡る朝鮮半島のやむを得ない結果だとは思いながらも、特定の外国に傾きすぎるとこの上なく危ない、と言えます。
就職情報産業が、日本で異常なまでに肥大したのは、日本の大企業が、人間に対する主体的な目をもっていないからですね。そのために、就職情報産業にそれを代行させて、ここまで大きくしてしまった。
つまり自分の企業にとって有益な人を採ろうと思えば、自らの尺度で、独自の試験を行なって選考すべきなんです。:P.34 佐高信「日本の権力人脈」講談社
内橋克人が語ったとされます。
たしかに日本の就職産業は、異様な成長を遂げていて、他国には見られないらしい。←だからといって悪いわけではありません。
大学側が独自の入学試験をする負担を軽減するために、共通一次試験(1979-1989)やセンター試験(1990-現在)などが生まれたのだと思いますが、これにも様々な問題が提起されています。
就職問題にも入試問題にも、すべて日本の社会習慣上の問題が含まれ、総合的に変革する必要があるでしょう。でないと互いに「自分には非がなく社会制度に問題があるとして改善を拒否する」、からです。
一言でいえば、
「どのように人を評価するか」という根本の問題です。「公平」を装って一律の評価をしようとすると、妙な序列を生んでしまい、かえって「公平性」を失ってしまいます。
「妙な公平を装わないほうが、公平に近いのではないか」とする見方にも、留意したいものです。
- 日本でも、時の権力者によって、「公平性」の概念が変わってきます。テレビ局や自民党のやり方に疑問がある、と言えばお分かりでしょうか。
- アメリカでは、マスメディアに公平性を求めることがなくなったようで、「ある程度の社会の成熟」が前提条件とは言え、「公平性」に異論があるのは明らかでしょう。ここに日本との大きな違いがみられます。
- フランスでは「自由のために公の場所での宗教色を禁じる」のですが、アメリカでは「自由を尊重するがゆえに公の場所でも宗教色を禁じない」のでした。同じ目的があるとはいえ、その手法には大きな違いがあります。
- 中国・韓国では、絶対者である為政者の決めた方針に合致するものが「公平」とされるようです。これに合致しないものは「公平ではない」ため、拘束・粛正・社会的抹殺の対象となってしまいます。
【香港18日時事】香港紙・東方日報は18日、動物の行動観察による地震予知を研究している中国広東省の深セン野生動物園で、12日午後に四川大地震が起きる直前、ダチョウが集団で狂ったように走り回るなど異常な現象があったと報じた。ダチョウが走り回ったのは12日朝。
このほか、同日昼には、ゾウが鼻でしきりに鉄製の門をたたいたり、普段はおとなしいカモシカが不安そうに延々と歩き続けたりした。また、カメが水に入ろうとしない、ヘビが寝床の箱から出て来ないといった異変も見られた。地震発生後、動物の行動はすべて平常に戻ったという。 :2008年05月18日 5月18日17時0分配信 時事通信
いつも大地震の直後には各地から、動物の異常行動、自然の異常現象、が報じられます。
「明らかに否定されていない」内容ならば堂々と報道されていいのですが、中には怪しげな情報も紛れ込んでいるため、疑ってかかる必要があります。
世の中にはいつも、信頼できるかできないかギリギリの境界線上にあるものがある、と思っておきたいものです。
- 「どんなに厳密に分類を決めても、どちらに分類すべきか悩むものが存在する」のは、図書館や書店の例をあげるまでもないことです。
- 私たちは誰でも日常生活で、必ず何らかの分類をしており、「分類が必要不可欠であることに異論はないものの、完ぺきに分類しようと考えるのは無意味」なのでした。
つまり必要最小限の分類に限っておくのが、無難なところなんでしょうね。
福田康夫首相は1日午後9時半から、首相官邸で緊急に記者会見し、「新しい布陣の下、政策実現を図るためにきょう辞任を決意した」と述べ、退陣する考えを正式に表明した。国会運営や衆院選の時期を巡って連立を組む公明党との亀裂が生じたことから、与党内の求心力が低下。民主党が攻勢を強める中で臨時国会を乗り切るのは困難と判断し、自らの退陣によって事態の打開を図ったものだ。
昨年9月12日に安倍晋三首相(当時)が突然、辞任表明したのに続き、福田首相もわずか1年足らずで政権を投げ出す異常事態になった。:2008年09月02日 毎日新聞(リンク切れ→こちら1 こちら2 )
第一次安倍政権(2006/9-2007/8)と福田政権(2007/9-2008/8)のころの話で、
- 相当古い話だろうと思っていましたが、たった10年ほど前のことなんですね。
- 「たった10年」としましたが、「たった1ヶ月」でも上下関係を決めてしまう日本の世の中を揶揄しています。
- こんな国が、韓国の「腐敗した序列意識」を語れるとは、とうてい思えませんが(大笑)。
私は次のように「暗記」しております(笑)。
森 小泉 安倍 福田 麻生太郎
森と泉に囲まれて、安心・幸福、ウソだろう!
なお最後の「ウソだろう」は「あそう・たろう」の事です。念のため。
そのあと民主党政権が3年(2009年-2012年)続き、第二次安倍政権(2012/12-現在)に至っていることは、御承知の通りです。
こうみてくると、「異常」にも、それなりの情緒があるものですね。
それぞれに深い問題点があるものの、歴史上の様々な経緯があることを知ると、軽々に何かを言えなくなるのです。
まぁそれでも、何も言わないよりは、何かを言うほうが、マシなのでしょうか・・・・・・。