カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

イスラム圏の醜聞07

2016年03月07日 05時43分22秒 | 海外

中東・中近東などの概念は、歴史的に大きく変わってきましたが、いまや混迷する世界情勢を理解するにはとても大切な地域となりました。ここでは「中東」とすることにします。


<パレスチナ人>「二重難民」30万人 シリア内戦で毎日新聞 2015年11月13日

紛争が発生し難民となってパレスチナを脱出してシリアへ逃れたパレスチナ人の中には、今回、再び紛争が発生したため難民となってシリアを脱出した人がいるようです。

  • 人生で2回目の難民になろうとは、いったい誰が予想できたでしょう。
  • そもそも「難民発生」が間違っており、国内統治者に重大な責任がありますが、その立場にある人が「歴史をさかのぼれば、介入した国外勢力に責任がある」として自分の「正当性」を主張し、現実の責任を覆い隠すために、またまた国外勢力から武器を得たり空爆させて沈静化を図ろうとしています。結局この外国の介入が、再び後日の「正当性」に利用され、輪廻・流転の様相を呈しています。

昔からの宗教対立に原因があるとも言えますが、異教徒が共存していた時期もあったようですから、一概に宗教のみの対立だとも、言いきれません。そこに大国の思惑や現在の利害がからんでいます。

とにかく「そこの住民が一番の被害者である」ことに異論はなさそうです。


パリ同時多発テロ:過激主義に屈するな:毎日新聞 2015年11月15日

「過激派の暴力に屈するな」という気持ちは理解できるし、現状を武力で変えようとするのは現代の手法になじまない、私もそう思います。

ただし喫緊(きっきん)の短期の対応として「暴力に訴えるのが許されない」のは当然としても、「なぜ暴力に走るのか」という中長期の考察も同時に必要です。

  • これは中国の「武力による現状変更意図」にも関係するようにもみえますが、少し違うでしょう。
  • 中国の場合、自分勝手に「ここはうちの領土だ」と一方的に宣言しれば、それがそのまま通用する時代ではないことを「教育で理解させる必要」があります。これは「明らかに無知による」信仰から出たものですからなぜ暴力に走るのか」という中長期の考察は比較的簡単で、ひずんだ「愛国」を考えさせる「普通の教育」が必要で、このため経済制裁で為政者の思考を変えるよう対応するしかないでしょう。

これが中国の混乱と中東の混乱の違いではないか、と思っています。

イスラム過激派のテロや難民問題に関しては、さしあたっての暴力否定・停戦と、「なぜ暴力に走るのか」という考察、の両方が必要だと思うのです。 


 生物・化学テロの懸念強まる=「イスラム国」、兵器保有か―仏 

【パリ時事】パリ同時テロを受け、フランスで過激派組織「イスラム国」が新たに生物・化学兵器を使ったテロ攻撃を実行することへの懸念が強まっている。:時事通信 2015年11月24日

力で支配しようとする人がいるからテロが起きるのか、それともテロが起きるから力で押さえ込もうとするのか、私には両方とも正しいように見えます。

とにかく、どんな時代になろうとも、不満をもつ人は存在し続けるのですから、その不満を生物兵器・化学兵器でもって発散させないような努力も必要なのでしょう。 


シリア停戦で主要国が合意、1週間以内の履行目指す 

(CNN) 米国務省のケリー長官は12日、ドイツ・ミュンヘンで開かれた外相級協議で、主要国がシリア停戦と援助物資の即時配送で合意したと発表した。:CNN.co.jp 2016年2月12日

さて、あまりにもひどすぎるシリア内戦ですが、関係国が集まって「とにかく停戦」を目指しているようです。

ただしこの停戦合意にISが含まれないので、中東では「誰の責任か」を別とすれば、

①停戦に応じ「話し合いの場」をもとうとする勢力

②停戦には応じない「問答無用」の勢力

があると分ります。

一方アジアでは、

停戦には応じない「問答無用」の勢力

言い替えると北朝鮮・韓国・中国しか存在せず、その大元となっている中国の暴走が最も危険視されています。ある意味で、中東より混迷を極めた状態になっています。

不自然な状態を続けてきたキューバも折れ始めアメリカとの関係が見直されつつある現代。

いまでは、別々の場所にある北朝鮮とシリアが、一触即発〔いっしょくそくはつ〕の対立を見せ、不安を増大させています。 


法王、ロシア正教会とトップ会談へ…対話宣言か

【ローマ=青木佐知子】ローマ法王庁(バチカン)は5日、法王フランシスコが12日、キューバで、ロシア正教会のキリル総主教と会談すると発表した。: 読売新聞 2016年02月05日 リンク切れ

まぁ何もしないよりはマシだとは思うものの、一言でいえば「キリスト教内の対立でさえ、この体たらく」であり、それを考えると「キリスト教とイスラム教の対立」は、この1000年程度では収まりそうにありません。

現代社会では今のところ、キリスト教徒が表面的に「人道的」風を装っていますが、水面下ではそうとも言えず、まだまだ相当の宗教対立が残っております。

「宗教の対等」意識など芽生えず、「自分の宗教が唯一最善」とする思考から一歩も出ていないということです。

これが一神教の怖さですね。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、そして形こそ違え儒教も、みな同じでしょうか。

今となっては、世界のどこにでも見られたはずの「異教徒の併存」は日本だけに見られるようで、それはそれなりに問題があるとしても、私としては、深刻な武力抗争より相当マシ、だと思っています。

ただしそういう

「マシ」な状態を否定し、混乱を増大させ、自分だけの利益しか考えていない勢力が現実に存在する

ことにも留意したいものです。

自分の利益だけしか見えない人たち、そこで金儲けしようとする人たちが、現実に存在するのですね。