根津公子の停職『出勤』日記

2006-05-21 21:35:31 | 教育
立川二中に。「停職『出勤』日記」をご覧になったという父子が来てくださった。21歳の息子さんは中学生の時、信仰から起立を拒否された。その時クラスメイトに殴りかかられたという。殴った生徒にとってはは知らされない故の無知、そして、「正義感」からの行為だったのだろう。教員たちが黙っていたら、学校はこうした「少国民」を生み出すことになってしまう。黙っていることは、強者に荷担すること。自覚したい。

5月16日(火) 
 
 午前中は鶴川二中に。今日も副校長はプラカードの文字を写真に収めた。雨で濡れて書き換えただけなのに、一目見て違うと気づくのだから感心する。「3ヶ月が終わったところでその記録写真をくださいね」とお願いした。学校のすぐ近所に住まわれる保護者OBの方が友人から聞いたからと訪ねてくださった。午後から教育基本法の国会審議の傍聴ができることになり、出発しようとしたところに、オートバイが止まった。若いカップルだった。横浜から私を訪ねてくださったのだ。ゆっくり話をする時間がなくて、お二人には申し訳なかったし、残念だった。 
 
 午後は国会を傍聴をした。教育基本法改定の趣旨説明とそれを巡っての各党質問。提案は半世紀経って、社会の変化や教育・子どもをめぐる問題が起きている現状に合わないからというもの。趣旨説明とは言えない趣旨説明を補強する自民党下村博文議員の質問。例の通り、「不登校、学力低下、凶悪な少年犯罪…どれも戦後教育にある。改正は自民党結党以来の悲願だった」と脈絡なく切り出した。他方、共産党石井議員と社民党保坂議員は改定の問題点を指摘し、質問された。 
①「国を愛する態度とは、戦争することに忠誠を誓えということだ」――答弁:「子どもを戦争に追いやるものではない」と言うが、その裏付けはなし。 
②「議論を尽くしたというなら、その会議録を出すべき」――「政府は答える立場にない」。都合のいい逃げことば! 
③「愛国心で評価評定するのは再び非国民を作ること。歯止めがあるというならそれを示せ」――「生徒に強制するものではない。教員は指導する立場にある。内心の自由を侵害するものではない」。7年前に聞いた答弁だ。 
④「不当な支配とは、誰が誰にするものか。どこで判断するのか」――「この法律…に定めるところにより」と政府案の条文を読むだけ。誰が誰に、どこで、には答えず、これも逃げた。「愛国心」はもちろん問題だが、この条項が最も問題だ。教育行政が教育内容を決めてもいいことになりそう。報道は、ここの問題点を「愛国心」と並べて報道してもらいたい。 
⑤「国家神道を復活させる意図はないか」―― 「一般的な宗教観を教えるもので神道ではない」。戦前神道を宗教と区別し、学校に入れてきた歴史を見たら、「一般的な宗教観」=神道であることは明白であろうに。 
⑥「全体の奉仕者、を削除した理由は」――「私立学校も含むから」。ということは、学校の忠誠度に応じて助成金の額に格差をつける、特色のある私立校は切り崩すという、国立学校にしたと同じことをするということか?! 
 理由や証拠を示して答弁してもらいたいものだ。趣旨説明にも答弁にもならない政府の対応をしっかりたたき、広め、緊急に反対する声を大きくして行かねば。これを通してしまったら、全国の教育が東京状態になってしまうから。 
 
5月17日(水) 
 
 今日は全日「君が代」の人事委員会審理。被処分者合同で都教委近藤精一指導部長、臼井勇人事部長(いずれも当時)に対する尋問だった。組織や校種を超え、一丸となって取り組むことは都教委にとっては、脅威だろう。団結を見せつけられたのだから。被処分者の会の皆さん、ありがとうございました。近藤精一元指導部長と臼井勇元人事部長に対する尋問が行われた。二人とも、「職務命令は校長に出した。だが、『職員に対し、職務命令を発せよ』とは言っていない」と逃げ切ろうとした。 
 
◆近藤精一元指導部長尋問:氏は10.23通達を出した担当部長。10・23通達をなぜ出すに至ったかを訊かれ、「学習指導要領に沿ってほしいと願った」と言う。学校現場に抵抗が強い、その理由をまじめに考えたことがあるかと問われても、「学習指導要領」。戦前の教育の反省から生まれた教育基本法には触れずに学習指導要領しか言わないが、学習指導要領の全てが正しいと言えるのか、と問われると、「戦前のことはわからない」。 
 また、「指導・助言」を超えて校長に職務命令を出すことは法に触れないかを検討したかと訊けば、「法のことはわからない。対策本部と各部で検討してきたはず」。横山教育長(当時)らが随所で言ってきた「日本人としてのアイデンティティー」に触れ、一つの考えを学校現場に及ぼすことの妥当性を訊くと、「(それが)特定の考えではないと信じている」。無理矢理立たせることは生徒の内心の自由を侵害することになりますよね、と問えば、「教育の方法としては無理矢理はいけない」とは言うものの、「憲法の問題としてはわからない」。わからないままに通達を出されたのではたまったものではない。 
語尾不明瞭、なるべくなら答えたくない、という様子だった。 
 
◆臼井勇元人事部長尋問:氏は懲戒処分を決定する責任者。近藤部長と性格は対照的。ちょっと追及されると居直り、投げやり的な口調になった。氏も「公教育の根幹は学習指導要領」と言った。 
 10・23通達は都教委による教育への関与(介入)が考えられるが、検討したか、と訊かれ、「指導部で検討したと思う。こちらでは詳しくは検討していない」。責任逃れの、なすり合い。04年3月の処分は、「分限審査委員会を開かずに書類を持ち回り、押印した」だけ。不起立者の思い等は「斟酌したが量定に入れなかった」。それは斟酌しなかったということ。外形的行為だけで処分を決めたということだ。立つか立たないかの行為のみ、あとは一切関係ない!と聞こえる。「入学式を前に」(見せしめ的に)早くに処分発令をしたかったとも。東京だけの加重処分については、「裁量権者の問題。裁量の範囲」だと言う。触法の危険があると「裁量」にシフトするのは、都教委の常套手段だ。 
 
 何と言うことか!教育的視点の微塵もない官僚たちが付いたハンコ一つで停職3ヶ月。十分想像はしていたが、こうぬけぬけと言われると、改めてはらわたが煮えくりかえる。 
 上意で動くこの人たちには、上意が学習指導要領ならば、学習指導要領。そのまま受け入れる。考える、という行為はない。そうやって政治や行政が動いていることを多くの人に知らせよう。 
なお、この傍聴に40人もの都庁職員が動員され、傍聴のくじを引いた。時間とお金を使って傍聴に来た人たちを入れさせないためでしょう。傍聴する権利を奪うことが職務なのかどうか、この職員たちにも、ご自分の頭で考えてもらいたい。 
 
5月18日(木) 
 
 立川二中に。「停職『出勤』日記」をご覧になったという父子が来てくださった。21歳の息子さんは中学生の時、信仰から起立を拒否された。その時クラスメイトに殴りかかられたという。殴った生徒にとってはは知らされない故の無知、そして、「正義感」からの行為だったのだろう。教員たちが黙っていたら、学校はこうした「少国民」を生み出すことになってしまう。黙っていることは、強者に荷担すること。自覚したい。 
 今日は取材を受けた。放課後は生徒たちとわいわいがやがや、愉しませてもらった。 
 
5月19日(金) 
 
 都庁での情宣活動。今日も14人が参加してくださった。その後教育情報課に行き署名を836筆提出してきた。締めて、17136筆。17日の臼井人事部長の証言からすると、これだけ大勢の人の声も「斟酌したが、量定にいれなかった」と言うのか?29日の回答の場では、まともに答え、また、担当部署の回答できる人を同席させてほしいと念を押してきた。 
 その後、国会前の座り込みに、夕方からは多摩教組の総会に参加した。 





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