5~6月にかけて、業界最大手のバス会社でアルバイトをしていた。仕事の内容は、バスに乗って停留所ごとの通過時間と、乗降があった場合にはそれぞれの人数を調査用紙に記入していくというもの。至極簡単。バスに座って、景色を眺めつつ少し数字を記入すればいいだけ。これほど楽なバイトはないんじゃないかというくらい。その分時給は800円に届かないのだけれど。
そして何より、すごく楽しかったのだ。
出勤すると担当するダイヤを与えられ、そのダイヤを運転するドライバーと1日行動を共にすることになる。事務の人が今日はこのドライバーさんだよ、と紹介してくれる。どんなドライバーと一緒になるか毎回どきどきであった。普段バスに乗っていると、無口で不機嫌そうな顔をしている人が結構いらっしゃるイメージがあるから、そんな人と一日中一緒じゃ精神的に厳しいだろうな、と。しかし、その不安は毎回きれいに解消されたのだ。7~8人のドライバーさんに出会って、毎回。
意外とおしゃべり。事務所を出て、バスに向かうまでのわずかな時間から、どこから来たのか、今日何回目なのか、などなどいろいろ質問が飛んでくる。車庫からバスを出して運転を始めてもまだしゃべる。駅や終点の折り返し地点でもしゃべる。21歳の自分と40~60代の自分の父親世代のドライバーが、仕事の話から世間一般のことまでとりあえずしゃべる。そこで毎回、よくなされた会話の質問事項を以下に。
①ドライバーから自分
Q.何歳なの?学生?
Q.どこから来たの?
Q.今日ここ何回目?
Q.なんでまたこんなバイトしているの?もっといいバイトあるんじゃない?
Q.お父さん何歳?
Q.将来何になるの?
Q.趣味は?
Q.彼女はいるの?
Q.次はいつここに来るの?
②自分→ドライバー
Q.運転楽しいですか?
Q.なぜこのお仕事を?
Q.今日は~の道混むでしょうか?
Q.このバスは新しいのですか?
Q.みんな仲よさそうですね?
Q.明日もお仕事ですか?
以上のような質問をベースに、会話をしていく。ドライバーによって話し出すタイミングはまちまちであった。上述のように事務所出たすぐ後からの場合もあれば、2回目の休憩が終わってからという場合もあれば、こちらから話しかけてやっと、といった場合もあった。
このバイトの醍醐味はドライバーの方々とお話できることだ。だから時給がいくら安くても良い。話をして仲良くなれば、飲み物を買ってくれたり、社員食堂で定食を自分の食券で出してくれたり、帰りは近くの駅まで送ってくれたり、と本当に涙が出るほどよく面倒を見てくれた。そしてどのドライバーも自分を気遣ってくれる。車内は寒くはないか?とかトイレは大丈夫か?とかちゃんと休憩できたか?とか。人間的に温かい人が多かった。普段のバスの運転士とはちょっと違った顔をお持ちでいらっしゃった。バイトとして会社に雇われたのだが、それをドライバーは”仲間”とみなしてくれたのかもしれない。会社の中の人と、その外の人とではやはり対応も変わってくるだろう。特にこの会社、中にいる人間の仲間意識が高いように思われた。
そして、ドライバーさん同士、非常に仲が良い感じだった。事務所ではドライバーさん同士の談笑が絶えない。年齢や年功がどれだけ違っていても関係ないようだった。仕事の話、慰安旅行の話、家族の話、テレビの話・・・みんなが分け隔てなく楽しそうに会話をしている。碁を打つ人もいる。上下関係もなにもない、誰かが誰かにこびへつらうこともない。だから自分は質問してみる。「すごくみなさん仲よさそうですね?」「そう?その中にもいろいろあるんだよ」と答えが返ってくるが、まんざらでもなさそう。あるドライバーは「会社に来るのが楽しいと初めて思ったね。とりあえず会社に来たくなる」
ドライバーと、勤務や点呼を管理する事務員の方もまたしかりである。彼らも彼ら同士、またドライバーとも仲よさそうにしている。ある航空会社では現場と労務の関係が非常に悪い、という話を聞いたことがあるが、ここではまったくそういうことはなさそうだった。あだ名で呼び合い、「明日このダイヤできる?」など軽く会話が飛ぶ。
ごくわずかな期間しかいなかったし裏にはさまざまな事情が隠れているかもしれないが、思った。「この会社で仕事できれば面白そう」
しかしドライバーさんたちは口をそろえて言う。仕事はつまらない、と。やりがいはない、と。夢も希望もない、と。
激務なようだ。月に休みは6日。連休は2回しかない。それで不規則な生活。朝早いときは5時台の出勤、あるときは午後に出勤して日付がかわるまで乗務、そしてあるときは間に4時間の休憩があるダイヤ、などこれらが組み合わさって勤務しなくてはならない。通しのダイヤだと12時間は軽く越しての拘束時間。やはり身体はつらいという。この状況下、安全運転を至上の使命として乗務する。狭い路地や渋滞、混雑する車内など精神的な苦痛は容赦なく襲い掛かる。定時運行というプレッシャーも大きいらしい。また、昇進もあってないようなもので(ほとんどのドライバーに肩書きは付かない)、目指すべき目標はかすむ。賃金面では長年昇給はない。残業して何ぼの世界だという。会社は黒字だしているのに・・・、と嘆く。
このあたりに、普段不機嫌そうなドライバーが多い原因があるかもしれない。自分の仕事を肉体労働だというドライバーもいた。乗客から求められるのは時代の流れからして、丁寧な接客や安全運転などサービス業としての仕事だ。ただ漫然と運転するだけ、というのでは済まされない。時代錯誤。ドライバーは40代以上の人が多く、昔はバスは遅れて当然のものだったし、そもそも乗客からの目がそんなに厳しくなかったために、多少の好き勝手も許されたのかもしれない。トラックからの転職も多く、お客様ありきの商売という感覚が薄く、サービス業という自覚がどうも欠けてしまっているように思われた。会社の教育の徹底がなされてこなかったのだろうし、また彼らを取り巻く厳しい労働環境が、やはりサービス業としての仕事と受け入れられないのかもしれない。
衝撃的なのは、ドライバーの余命が短いということ。どうも仕事をやめた定年後、急逝されてしまったり、若いときに命を落とす人もいるらしい。そして焼かれた後、骨がほとんど残らないというのだ。あるドライバーが言っていた。「やはり相当に精神的にも肉体的にもきつい仕事なのではないだろうか」
本当にいい人たちばかりであった。なのに上記のようなことがあっては納得できない。生きるべく人が生かされない。労働環境の改善が急務だ。
そして、自分はまた会社の”外”の人間になった。一乗客に成り下がり、もう彼らの仲間ではない。しかし、本当に楽しい時間がすごせた。あの方たちがいなかったらこうはならなかっただろう。感謝してもしつくせない。
そして何より、すごく楽しかったのだ。
出勤すると担当するダイヤを与えられ、そのダイヤを運転するドライバーと1日行動を共にすることになる。事務の人が今日はこのドライバーさんだよ、と紹介してくれる。どんなドライバーと一緒になるか毎回どきどきであった。普段バスに乗っていると、無口で不機嫌そうな顔をしている人が結構いらっしゃるイメージがあるから、そんな人と一日中一緒じゃ精神的に厳しいだろうな、と。しかし、その不安は毎回きれいに解消されたのだ。7~8人のドライバーさんに出会って、毎回。
意外とおしゃべり。事務所を出て、バスに向かうまでのわずかな時間から、どこから来たのか、今日何回目なのか、などなどいろいろ質問が飛んでくる。車庫からバスを出して運転を始めてもまだしゃべる。駅や終点の折り返し地点でもしゃべる。21歳の自分と40~60代の自分の父親世代のドライバーが、仕事の話から世間一般のことまでとりあえずしゃべる。そこで毎回、よくなされた会話の質問事項を以下に。
①ドライバーから自分
Q.何歳なの?学生?
Q.どこから来たの?
Q.今日ここ何回目?
Q.なんでまたこんなバイトしているの?もっといいバイトあるんじゃない?
Q.お父さん何歳?
Q.将来何になるの?
Q.趣味は?
Q.彼女はいるの?
Q.次はいつここに来るの?
②自分→ドライバー
Q.運転楽しいですか?
Q.なぜこのお仕事を?
Q.今日は~の道混むでしょうか?
Q.このバスは新しいのですか?
Q.みんな仲よさそうですね?
Q.明日もお仕事ですか?
以上のような質問をベースに、会話をしていく。ドライバーによって話し出すタイミングはまちまちであった。上述のように事務所出たすぐ後からの場合もあれば、2回目の休憩が終わってからという場合もあれば、こちらから話しかけてやっと、といった場合もあった。
このバイトの醍醐味はドライバーの方々とお話できることだ。だから時給がいくら安くても良い。話をして仲良くなれば、飲み物を買ってくれたり、社員食堂で定食を自分の食券で出してくれたり、帰りは近くの駅まで送ってくれたり、と本当に涙が出るほどよく面倒を見てくれた。そしてどのドライバーも自分を気遣ってくれる。車内は寒くはないか?とかトイレは大丈夫か?とかちゃんと休憩できたか?とか。人間的に温かい人が多かった。普段のバスの運転士とはちょっと違った顔をお持ちでいらっしゃった。バイトとして会社に雇われたのだが、それをドライバーは”仲間”とみなしてくれたのかもしれない。会社の中の人と、その外の人とではやはり対応も変わってくるだろう。特にこの会社、中にいる人間の仲間意識が高いように思われた。
そして、ドライバーさん同士、非常に仲が良い感じだった。事務所ではドライバーさん同士の談笑が絶えない。年齢や年功がどれだけ違っていても関係ないようだった。仕事の話、慰安旅行の話、家族の話、テレビの話・・・みんなが分け隔てなく楽しそうに会話をしている。碁を打つ人もいる。上下関係もなにもない、誰かが誰かにこびへつらうこともない。だから自分は質問してみる。「すごくみなさん仲よさそうですね?」「そう?その中にもいろいろあるんだよ」と答えが返ってくるが、まんざらでもなさそう。あるドライバーは「会社に来るのが楽しいと初めて思ったね。とりあえず会社に来たくなる」
ドライバーと、勤務や点呼を管理する事務員の方もまたしかりである。彼らも彼ら同士、またドライバーとも仲よさそうにしている。ある航空会社では現場と労務の関係が非常に悪い、という話を聞いたことがあるが、ここではまったくそういうことはなさそうだった。あだ名で呼び合い、「明日このダイヤできる?」など軽く会話が飛ぶ。
ごくわずかな期間しかいなかったし裏にはさまざまな事情が隠れているかもしれないが、思った。「この会社で仕事できれば面白そう」
しかしドライバーさんたちは口をそろえて言う。仕事はつまらない、と。やりがいはない、と。夢も希望もない、と。
激務なようだ。月に休みは6日。連休は2回しかない。それで不規則な生活。朝早いときは5時台の出勤、あるときは午後に出勤して日付がかわるまで乗務、そしてあるときは間に4時間の休憩があるダイヤ、などこれらが組み合わさって勤務しなくてはならない。通しのダイヤだと12時間は軽く越しての拘束時間。やはり身体はつらいという。この状況下、安全運転を至上の使命として乗務する。狭い路地や渋滞、混雑する車内など精神的な苦痛は容赦なく襲い掛かる。定時運行というプレッシャーも大きいらしい。また、昇進もあってないようなもので(ほとんどのドライバーに肩書きは付かない)、目指すべき目標はかすむ。賃金面では長年昇給はない。残業して何ぼの世界だという。会社は黒字だしているのに・・・、と嘆く。
このあたりに、普段不機嫌そうなドライバーが多い原因があるかもしれない。自分の仕事を肉体労働だというドライバーもいた。乗客から求められるのは時代の流れからして、丁寧な接客や安全運転などサービス業としての仕事だ。ただ漫然と運転するだけ、というのでは済まされない。時代錯誤。ドライバーは40代以上の人が多く、昔はバスは遅れて当然のものだったし、そもそも乗客からの目がそんなに厳しくなかったために、多少の好き勝手も許されたのかもしれない。トラックからの転職も多く、お客様ありきの商売という感覚が薄く、サービス業という自覚がどうも欠けてしまっているように思われた。会社の教育の徹底がなされてこなかったのだろうし、また彼らを取り巻く厳しい労働環境が、やはりサービス業としての仕事と受け入れられないのかもしれない。
衝撃的なのは、ドライバーの余命が短いということ。どうも仕事をやめた定年後、急逝されてしまったり、若いときに命を落とす人もいるらしい。そして焼かれた後、骨がほとんど残らないというのだ。あるドライバーが言っていた。「やはり相当に精神的にも肉体的にもきつい仕事なのではないだろうか」
本当にいい人たちばかりであった。なのに上記のようなことがあっては納得できない。生きるべく人が生かされない。労働環境の改善が急務だ。
そして、自分はまた会社の”外”の人間になった。一乗客に成り下がり、もう彼らの仲間ではない。しかし、本当に楽しい時間がすごせた。あの方たちがいなかったらこうはならなかっただろう。感謝してもしつくせない。
ドライバーさんがかわいがってくれるのは図子君が愛想が良くて何よりバスのことが好きで知識があるからでしょう♪
バスのこと話しているキミは世界で一番輝いているもの!!!
彼女いるの?
でも、もっと浮世の話が良いな~。
個人的には・・・
約束は、守りましたよ☆
やはり会社は金を出し惜しみするんだろうね。
普段一人で運転されているわけだから、ちょうどいい話し相手になったのかもね。
彼女?そりゃ片手じゃ数え切れないくらい・・・。
>ヨドバシ
書きましたとも!さて、日記を毎日書いてもらいましょうか、エディンバラからも。
なんとまあ、うまいことを言うもんだなあ・・・。まったくその通りだわ。
「暇」って一文字で書かれるとセイ〇リーさんみたいじゃないですか(¬_¬;まぁ、最近は彼女忙しそうなんで暇とは程遠い存在になってしまいましたが…。なんだかそう呼ばれていた時代が懐かしいですね( ̄~ ̄)ξ
ヒマタは暇じゃなくても、僕たちの永遠のアイドルなんだよ!!mixiで日記やってるから、読めなくてさびしいでしょ。