tagawaさん、せーさん有難うございました。といっても何のことなのか分らないと思います。実は、お礼を言いたいのは、映画の話をつなげて頂いたことに対してなのです。もちろん映画は映画でしかないのですが。でも、お二方の映画を通しての当ブログの記事なしには、僕の感謝の言葉をここに書くことはできなかったのです。
しかしそれにしても、世の中不思議なことがあるものです。こうした巡り合わせというのは、「天の配剤」というか「摂理」というのか単なる「偶然」というのか、あるいは何でもない「普通」のことなのか、何なのでしょうか。といっても何のことなのか、説明しないと分っては頂けないと思います。
感謝の言葉の意味合いは三つあるのです。一つは、tagawaさんに教えて頂いた「天のしずく」の辰巳芳子さんを検索する過程で、昔お世話になった仕事先のHPを見ることができたのです。最近リニューアルされたばかりのHPを、懐かしい関連施設のHPも含めて鑑賞させて頂いたというわけです。そしてその施設の内容も素晴らしいと思える方向に変っていたので、嬉しいやらびっくりするやらという訳でもありました。何にせよ、あの規模でMSW(社会福祉士)が6人もいる訳です。HPも僕にとっては最優秀レベルといえる程本当によくできていました。そしてなんといいますか、この作品(映画)に協力をしてもいたのでした。
辰巳さんについては、雑誌の記事で読ませて頂いたことがあってお名前などは知っていました。この映画もいつか鑑賞させて頂きたいと思います。もしかしたら、僕という存在の根底にある何かの、欠けている部分について教えていただけるかもしれません。封切りは今月の3日でした。予告編も見て解説なども読ませていただきました。監督と脚本は河邑厚徳さんです。知らない方なので検索したのですが、感激してしまいました。NHKでディレクターをされた後、NHKエデュケーショナル在籍のまま、現在は女子美の教授なのです。驚いたのは、NHK時代に作られた作品や著書が素晴らしいと思ったことです。もちろんというか多分僕は見ていないと思うのですが、作品群(受賞作品の多さもです)があまりにも素晴らしいのでURLを入れさせていただきます。少し抜き書きをしようと思ったのですが、とても多いし、もしかして僕と同じような興味をもたれる方がいるかもしれませんので http://9oo.jp/lHMOS
それから二つ目は、せーさんが見られた「終の信託」についてです。この映画は僕も見ようと思っていました。何といっても、監督・脚本は周防正行さんです。映画の内容にも興味がありました。せーさんも仕事柄、周辺的な事態については直面する場合もあるのではないでしょうか。この作品の原作者・朔立木さんというお名前はペンネームで、著名な弁護士(主に刑事)さんでもあるのだそうです。そして実は、この方の検索をする過程で、あるHPに出会ったのです。僕が感謝をする理由は、このHPに出会ったことでもあるのです。 < 「終の信託」は http://9oo.jp/eoBDQ >
そのHPは「日本裁判官ネットワーク」です。HPの「設立の趣旨」を読んでみてびっくりした訳です。そこに書かれていることを少しコピーしてみます。
本ネットワークは、開かれた司法の推進と司法機能の充実強化に寄与することを目的とする、現職の裁判官の団体です。
本ネットワークの性格を一言でいいますと、「司法改革を目指す緩やかで開放的な裁判官団体」、ということができます。ここには、3つの基本要素が入っています。
本ネットワークの準備には7年間を費やしています。この準備活動の内容は、別のページをご覧下さい。この間、実務的な改革を検討する一方、裁判所職員、弁護士、学者、学生、マスコミ、経済団体、市民団体、外国裁判官等様々な分野の方々と交流してきました。その中で、我が国の司法の弱点を、「閉ざされていること」「機能的に十分なものではないこと」と整理認識し、改善のためにどのような形態、内容の運動が必要なのか議論を重ねてきました。その結果が3つの基本を持つ本ネットワークなのであります。
こうしたネットワークを、「最高裁と対決するグループ」などと位置づける方もおられると思います。しかし、それは誤りです。本ネットワークは、司法の将来像を真摯に考えている機関や個人とは、すべてにわたって建設的な対話を重ねていきたいと考えています。最高裁、法務省、弁護士会等とはもちろんのこと、可能なら司法制度改革審議会やその委員の方ともです。すでに最高裁には、本ネットワーク設立の趣旨と本の出版についてメンバー裁判官から説明する機会を持たせていただきました。
こうしたネットの設立は、日本で初めてのことであり、私たち自身手探りの状態であることは否定できません。しかしながら、司法制度改革審議会の設置をはじめとして、各分野で司法に対する関心は徐々に高まりつつあるように思われます。そうした時期に、本ネットワークを立ち上げるのは機が熟したと考えられます。今後、様々な活動を通じて、司法の改革に貢献したいと願う一方、私たち自身が裁判官として成長していくことを国民の皆さんにお約束したいと思います。今後も、本ネットワークの活動にご理解をいただければ幸いです。
「日本裁判官ネットワーク」 http://www.j-j-n.com/
明日はというか、もう今日になってしまいましたけど、テニスの対外試合があるのでもう寝ます(笑)。今宵のお酒はもう終っています。しかしとにかく、いつも生意気なもの言いばかりしているのが恥ずかしいですね。思いかえしてみたら、昔お世話になったグループにも、東京高裁の判事さんがいました。尊敬できる方だったという想い出があります。そしてまた、検事さんにも想い出があります。副検事さんだったかもしれませんが、以前僕が交通違反として切符を切られた事案について、検察に異議申し立てをしたのです。そしてその結果、その検察庁の検事さん名義で、確か「不起訴」という賞状のような書類を頂いたことがあります。要するに罰金を納める必要はありません。その案件については交通違反ではありません。というわけなのでした。
このことについては書くと長くなってしまいます。しかし、その切符を切った警察官の「道路交通法」の解釈が理不尽な気がしたので、多少調べて,、申立書、書証・挙証(現場の写真や。現場と運転状況をビデオ映像ーこれは受付不可とされた)を作って、「無実」を勝ち取ったわけでした。しかし、その検察官に対しては、お会いすることはなかったのですが(事務官から書類を渡された)感謝しましたのです。交通違反の異議申し立てで不起訴を勝ち取るのは大変難しいのだそうです。担当していただいた検察官は、僕の申立書をキチント読んでくださった訳で本当に感謝したのでした。
まあその後の、いわゆる行政点数の問題で公安委員会とのやり取りもあったのですが、長くなるのでやめます。ただ、今でも思い起こすと、「公安委員会」には腹立たしい思いがいっぱいです。
交通違反点数の取り消し請求の「審査請求」は、公安委員会に対してする訳です。そしてその審査も公安委員会がするという可笑しくて不思議な仕組みになっています。確か。つまり審査といっても、公安委員会内部での身内審査でしかないのです。僕の立場からしたら、僕の交通違反とされた事案は検察によって不起訴になったのだから、行政罰として誤って科された違反点数は、消去されるのが当然だと思いませんか?
しかし公安委員会は、こちらは検察とは別であるよ、というわけなのでした(違反点数は「交差点左折後の赤信号無視」で2点でした。そもそもその不規則的な交差点の補助標識の設定不備と、当該「道路交通法」の曖昧な規定が問題でした)。僕としても、点数の問題ではなく、そうした流れに対して納得できるかどうかという問題の訳でした。しかし、審査請求は、請求してから裁決までに半年近くかかったように記憶しています。否とされた裁決書を読んだら、僕の請求書面をよく読んでいないとしか思えないような、お粗末で簡単で形式的・事務的な内容でした。そして確か、今後についてはご自由に裁判でもなさってください、というお達しを頂いたように記憶しています。
僕は訴訟も考えて裁判所に問い合わせたら、印紙代が3万円とのことでした。何回続くか分らない裁判所へ出向く労力も考えたら、2点を取り消す(その時は既にゼロ点でした)のも馬鹿らしくなって、結局諦めました。何だか、けっこう書いてしまいましたです。この個所についてでもご不快と感じられる方がおられましたら、どの個所でも改変・削除・書き込みなど、どうぞよろしくお願いいたします。 寝るのも遅くなって…
何故か過日見たロダンの「地獄門」(在・国立西洋美術館前庭)。toiletの人は我が家にもいます。
それから三つ目(の不思議さ)なのですが、実は少し前に宝くじもどきに当ってしまったようなのです。そうなのです。まあ宝くじといっても、巷で言われるようなお金がらみの「一攫千金の宝くじ」という訳ではないのです。もっとも宝くじならよかったのですけど。でも宝くじは買わないと当たらないですよね。しかし何の因果でそのようになってしまったのでしょうか(笑)。ある人から、それは「貴方ですよ!」と言われたときに思い浮かんだ言葉は、「選ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」という太宰治の有名な言葉でした。
それで太宰のどの本だったかなと思い調べてみました(意味合いは大分違うのですが)。そうしたら、その書名はともかく、その言葉は本来太宰の言葉ではなく、堀口大学訳のヴェルレーヌの詩集からの引用なのでした。しかしここでもまた、いつも通り大分脱線してしまいました。要するに、こうしたご指名という出来事は、集団お見合いの結果のご指名とかといった、願ってもない話ではないのでした。恥ずかしいのでといいいますか、とにかくここには書きえないことでもあります。だったら何故書くのですか、といわれても仕方ないのですね。とにかく何故なのか自分でもよく分らない、不思議な出来事なのでした。
今日のこの記事の絵文字は、少し前にTVでみた記録映画の影響で向日葵にしたのでした。向日葵の花言葉は<「あこがれ」 「私の目はあなただけを見つめる」「崇拝」「熱愛」「光輝」「愛慕」「いつわりの富」「にせ金貨」>なのだそうです。何だか意味不明な言葉群の二項対立だと思うのですけど。でもしかし、これこそ、『向日葵』そのものなのかもしれません。深刻な場面が多かった記録映画の残像が未だ脳裏にあるのですが。余談ですが、何だか何かが歯間に挟まっていて中々とれないので困っている昨今でもあります。そうだ歯科に行こう。 。