はらじゅく86のブログ

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新聞を読んで(^。^)!

2011-10-28 00:18:19 | 日記

 この写真は建設途上の様に見えますが、完成した湯西川ダムです。現在は建設に使用した機械類を撤去している最中なのだそうです。写真のダムはこの画面の部分が中心ですけど、更に左右の方向に長く拡がり繋がっています。湯西川温泉郷は湯西川ダムの完成によって良質な温泉と恵まれた自然環境そして「平家の里」という看板と共に、ダムの町になりつつありますね。湯西川ダムの立ち退き戸数は85戸、面積は286haで、東京ドームだと約60個分だそうです。tagawaさんが行かれた頃と一番違っている光景は立派な新しい道路だと思います。鬼怒川から湯西川へ、昔の道は谷の底を這いずり回るような狭い道だったそうですから。それから温泉郷に近づいて行くと、新築の家並みが続いているのも印象的でした。僕は中学時代の同級生の集まりで行ったのですが、温泉がよかったですね。
 
 『食品の裏側』は確か、新聞の書評欄を読んで買ったと思います。06年版、数か月で13刷ですから大変な読まれ方だったですね。版元が東洋経済だったので、現在で言ったら経団連が東電を批判するような少し違和感を持ったのを憶えています(東経済新社のことを知らないのに)。表紙の帯には「知れば怖くて食べられない」と書かれています。僕の本には折り目がいくつかあり読んでみると、食品添加物とは「台所にないもの」のことだとか、過激で恐ろしい言葉が満載なのです。この本をもう一度読み返せるのもtagawaさんのお蔭です。とにかく忘れる名人である僕は<牛にならなければ>と思う次第です。
 こうした日常性(家事労働・健康)の事々についてもまた、色々と教えて頂けたらと思います。それから実は、いま僕が迷っているのは歯科のことなのです。歯科医の選択はホント~に難しいですね。まず手元の本を読むことから始めるしかないのですが、書くと長くなるので…。
 
 今日の新聞(朝日)は刺戟的な記事が沢山ありました。今日から読書週間みたいですね。関連の特集で「ノンフィクションの力」としてノンフィクション作家・佐野眞一さんが紹介されていました。最近ではある週刊誌で「孫正義」さんについて短期連載をされていて、その徹底した調査には驚きました。僕が過去に読んだのは『東電OL殺人事件』だけなのですが、この裁判の行方が気にかかるのも佐野さんのお蔭です。この件についても、どう考えても被告が無罪であるとしか判断できないように、佐野さんは徹底した調査と推理を積み重ねている訳です。
 紙上で佐野さんはノンフィクションの特徴を、「圧倒的な現実に向き合うと言葉を失う。沈黙にたたき落とされる。でも、そこからもう一度、自分だけの言葉を紡ぎだす。紋切り型で類型的な大メディアとの違いです」と。
 そしてまた、「小説は自分で企んで設計図通り運んで行く。ノンフィクションも設計図はあるが、それは現場で必ず裏切られる。思いがけない言葉のシャワーを浴びて、自分の考えも設計図も変わらざるを得ない。その醍醐味が読者に感染し、読み終えた後に、読者の感性が1ミリくらい変わるんだと思う。読んだ後に景色がちょっと違って見える。それがノンフィクションの力だと思っています」といわれています。
 ここで言われている「1ミリの感性の変化」とは気がかりな言葉です。また「景色がちょっと違って見える」という言葉も刺戟的です。<1ミリの感性の変化が景色の見かたを変えてくれる>こういう事態は僕にとっても心の底から本当に、そうあって欲しいと思うわけですが。
 
 この前にご紹介した、NHKの福祉番組でのコメンテーターの先生のことが気になり調べる中で、ある人の言葉に惹かれたのです。この佐野さんの言葉とも通底すると思うのですが、「…つまり、自明的なことはほとんど常に誤りだということです。自明性は社会の真実を隠すのです。真理を探究するとは、自明性を破壊すること、ありきたりの問題設定の仕方を破壊することです…」(山下仁、『ブルデュー・ピエール』・加藤晴久から) この言葉も強い言葉だなあと思わざるを得ないのですけれど、どうでしょうか(これだけの感想しか書けなくて恥ずかしいのですが、こうした視点に拘りまた自分の中で課題として保持し続けるということ。こうした取り組みを繰り返して自分に課す(弁証法的な)作業は必須なことなのだといわれていると思うのですけれど。…そして…そうしないと間違えるかもしれないよ!ということなのかなと)。

 この自明性という言葉を目にすると、むかし医療ゼミで小冊子をまとめた頃に読みかじった『自明性の喪失』ブランケンブルク、を思いだします。統合失調症のアンネという若い女性について、精神病理学からの現象学的アプローチとやらなのだそうですけど。その女性は結局自殺を果した方なのですが、自明性(日常性)と非自明性(非日常性)の境界が全く分らなくなってしまったという人で、読んでいて他人ごとではないという感想を持ったものでした。「確かなこと」「誰にとっても当り前らしいこと」が何であるのかといった事柄について、全く実感できなくなってしまった人だったと思います。離人症に近似的ともいえる訳でしょうか。でもその方の自分自身への問いかけはほんとうに繊細で鋭く、人間の根源的な在りようについての問いかけだったようにも思いました。そのときその冊子に自分が何をどのように書いたのか、これから家の中を探して読んでみたいと思います。

 紙面の続きですが、4期目の石原都知事について大きめの囲み記事で紹介していました。この半年間で登庁または都の公務に出席したのは計54日で、平均すると週に2日なのだそうです。以前から公務が控え目なのは聞いていましたけど、4期目になって更にお忙しくなったみたいですね。この他にもここに書きたい記事がいくつかあるのですが、もう止めて下さいに云われたので止めます。また、勝手なことばかり書きました