先日パソコンが途中でおかしくなってしまい、投稿が遅れてしまいました。…さん!”野菜炒め”の件有難うございました。このところ様々な出来事が続いたので…その後まだ野菜炒めは作っていません。でもスパイスを少し揃えたりしました。過日の…さんの僕の”野菜炒め”へのコメントを通して、いくつかのことを教えられたように思います。読ませて頂いて最初に思ったことは、昔、桐島洋子さんが言った言葉で「聡明な女性は料理もうまい」でした。ここでの桐島さんの言葉が、頭がいいとか賢明なとかという言葉だったらそんなに印象には残らなかったと思うのですが、ここで使われた聡明という言葉が印象的でした。実は桐島さんのこの言葉の出所も真意も知らないのです。勝手に解釈させて頂くと、食生活総体は聡明さ(その人の全人生とか全体性の質)によってこそ全うされる性質の事柄なのだ、といった感じでの受け止め方だったのです。
食生活の意味は現在、昔と違って昔以上に圧倒的に、その質と拡がりを持っていると思います。国の経済の一部をも左右しかねない側面も持った保健と医療の問題は、健康志向という官民一体の願いとして声高に言われています。食・保健・医療などの課題の中で何をどのようにしたらいいのか、現在の情報過多の中で適切に選択していくことはすごく難しいことだと思います。現在、その”聡明さ”は、昔以上に必要とされているのでしょうね。
僕は昔、歯科医療の問題で「日本消費者連盟」に出会い、影響を受けたことがありました。その「日消連」は食や医療(歯科・低放射能・日常常備薬・歯磨き粉とか)、嗜好品(アルコール・ガム・ソフトドリンク、その他)、化粧品などについて様々な提言をしていました。今でもしているのかもしれませんが。定期的なニュース情報や出版刊行物によって啓蒙活動をしていた訳です。全部に賛成というわけではなかったのですが、ずいぶんと参考にさせてもらったのでした。
またコメントにあった、「全否定するわけではありませんが、工業製品としての食品は、特に代謝が落ちる年齢になってきたら、避けた方が賢明と思われます」はショックでした。実は僕は工業製品どっぷり派なのです。今から45年前くらいに「…素を飲むと記憶力が増す」という事を、今の筑波大学の先生が言い出して話題になったことがありました。その時に僕が実践したという記憶はないのですが、受験生を抱えた母親方の間では多分、多少でも多めに使われたのではないかと思います。まあ、それはともかく、僕のどっぷりの最大の内容は、様々なサプリの摂取なのです。ビタミン・ミネラル・コエンザイムQ10・コンドロイチン・…そしてスポーツの前後とかには必ず、アミノ酸(数社の製品を変えながら)を飲んでいます。アミノ酸はスポーツドリンクのメインになっていて、僕のテニス仲間でも飲んでいる人が沢山います。また、登山をする人の間では必需品になっていると思います。僕は10年程前に、朝日紙記者の登山でのアミノ酸体験が有効であったという山の記事を読んでから飲むようになりました。
また、「もし、調味料を買うなら、天然成分の素か、牡蠣ソース、、昆布茶、とろろ昆布などが便利です」という事ですが、昆布茶は大分前に買ったのがあります。その他買いそろえてみます。いずれにしても、自立した生活を継続して他の人に迷惑をかけないようにする為には、生活全般の見直しと共に、食生活の基本を勉強して大切にしていかないといけないなと、このたびのコメントを読んで痛切に感じています。
先日僕の料理の命綱ともいうべき電子レンジが故障してしまい、結局新しい物を買いました。レンジのない生活は本当に不便で、この道具の必需性を思い知りました。僕は今炊飯器がなく、恥ずかしながら、ご飯もチン派なのです(パックを2分間チン、白飯・発芽玄米・18穀米・…)。
そしてまた、冷凍食品派でもあるのです。例えば、大皿に、南瓜・ブロッコリー・ホーレンソー・…とか、それにミスマッチかもしれませんが、生のニンニクピース・ジャガイモ・人参・玉ねぎ半分・…などを適当に配置して蓋をして適当にチン!ドレッシングは全く適当に、卓上オイル(オリーブ・グレープシーズ・ゴマ・塩・…)やケチャップ・マヨネーズ・お酢・…ぶっかけ派なのです。つまり自称「舌より頭」派なのですが。そして、余りにもお粗末派過ぎるなということも自得してはいるのですが
ジョブスさんがなくなったのはニュースで知りました。ニュース以外には全く知らない人なのですが、膵臓がんで亡くなったのですね。むかし僕がお世話になったある教師は、原発性の膵臓がんで確定診断後あっという間に亡くなられました。罹患率が3%というのも驚きですね。その頃聞いたのは、すい臓は実質臓器の一つらしいのですが、見つけるのがとても難しいといわれていました。40年位前のことですが、今でも発見は難しいのでしょうか。
そのジョブスさんの記事に、…さんの「『冷や飯の食い方』という言葉が日本にもあり、物事を前向きに捉えることの大切さを示しています」というコメントがありました。それを読んで僕は、その教師のことを想いださせて頂きました。その教師も分野は違っても同じような道筋を生き抜かれた方でした。「ほんとうとか・まじめさとか、といった事柄は何なのだろう」といった課題に徹底的に拘って生き抜かれた方でした。そしてまた…さんの言われた「冷や飯の食い方」という言葉は、山谷で活動していたある人が『下にのぼる歌』という本を残されて40年近く前に亡くなったのですが、この「下にのぼる」という言葉と同じような意味合いを感じさせてくれます。下にのぼることはできるものなのかどうか。全ての価値とか意味を逆転させなければ(常識非常識・世間・世界とかの)できない事柄なのかもしれませんが。
食生活の意味は現在、昔と違って昔以上に圧倒的に、その質と拡がりを持っていると思います。国の経済の一部をも左右しかねない側面も持った保健と医療の問題は、健康志向という官民一体の願いとして声高に言われています。食・保健・医療などの課題の中で何をどのようにしたらいいのか、現在の情報過多の中で適切に選択していくことはすごく難しいことだと思います。現在、その”聡明さ”は、昔以上に必要とされているのでしょうね。
僕は昔、歯科医療の問題で「日本消費者連盟」に出会い、影響を受けたことがありました。その「日消連」は食や医療(歯科・低放射能・日常常備薬・歯磨き粉とか)、嗜好品(アルコール・ガム・ソフトドリンク、その他)、化粧品などについて様々な提言をしていました。今でもしているのかもしれませんが。定期的なニュース情報や出版刊行物によって啓蒙活動をしていた訳です。全部に賛成というわけではなかったのですが、ずいぶんと参考にさせてもらったのでした。
またコメントにあった、「全否定するわけではありませんが、工業製品としての食品は、特に代謝が落ちる年齢になってきたら、避けた方が賢明と思われます」はショックでした。実は僕は工業製品どっぷり派なのです。今から45年前くらいに「…素を飲むと記憶力が増す」という事を、今の筑波大学の先生が言い出して話題になったことがありました。その時に僕が実践したという記憶はないのですが、受験生を抱えた母親方の間では多分、多少でも多めに使われたのではないかと思います。まあ、それはともかく、僕のどっぷりの最大の内容は、様々なサプリの摂取なのです。ビタミン・ミネラル・コエンザイムQ10・コンドロイチン・…そしてスポーツの前後とかには必ず、アミノ酸(数社の製品を変えながら)を飲んでいます。アミノ酸はスポーツドリンクのメインになっていて、僕のテニス仲間でも飲んでいる人が沢山います。また、登山をする人の間では必需品になっていると思います。僕は10年程前に、朝日紙記者の登山でのアミノ酸体験が有効であったという山の記事を読んでから飲むようになりました。
また、「もし、調味料を買うなら、天然成分の素か、牡蠣ソース、、昆布茶、とろろ昆布などが便利です」という事ですが、昆布茶は大分前に買ったのがあります。その他買いそろえてみます。いずれにしても、自立した生活を継続して他の人に迷惑をかけないようにする為には、生活全般の見直しと共に、食生活の基本を勉強して大切にしていかないといけないなと、このたびのコメントを読んで痛切に感じています。
先日僕の料理の命綱ともいうべき電子レンジが故障してしまい、結局新しい物を買いました。レンジのない生活は本当に不便で、この道具の必需性を思い知りました。僕は今炊飯器がなく、恥ずかしながら、ご飯もチン派なのです(パックを2分間チン、白飯・発芽玄米・18穀米・…)。
そしてまた、冷凍食品派でもあるのです。例えば、大皿に、南瓜・ブロッコリー・ホーレンソー・…とか、それにミスマッチかもしれませんが、生のニンニクピース・ジャガイモ・人参・玉ねぎ半分・…などを適当に配置して蓋をして適当にチン!ドレッシングは全く適当に、卓上オイル(オリーブ・グレープシーズ・ゴマ・塩・…)やケチャップ・マヨネーズ・お酢・…ぶっかけ派なのです。つまり自称「舌より頭」派なのですが。そして、余りにもお粗末派過ぎるなということも自得してはいるのですが
ジョブスさんがなくなったのはニュースで知りました。ニュース以外には全く知らない人なのですが、膵臓がんで亡くなったのですね。むかし僕がお世話になったある教師は、原発性の膵臓がんで確定診断後あっという間に亡くなられました。罹患率が3%というのも驚きですね。その頃聞いたのは、すい臓は実質臓器の一つらしいのですが、見つけるのがとても難しいといわれていました。40年位前のことですが、今でも発見は難しいのでしょうか。
そのジョブスさんの記事に、…さんの「『冷や飯の食い方』という言葉が日本にもあり、物事を前向きに捉えることの大切さを示しています」というコメントがありました。それを読んで僕は、その教師のことを想いださせて頂きました。その教師も分野は違っても同じような道筋を生き抜かれた方でした。「ほんとうとか・まじめさとか、といった事柄は何なのだろう」といった課題に徹底的に拘って生き抜かれた方でした。そしてまた…さんの言われた「冷や飯の食い方」という言葉は、山谷で活動していたある人が『下にのぼる歌』という本を残されて40年近く前に亡くなったのですが、この「下にのぼる」という言葉と同じような意味合いを感じさせてくれます。下にのぼることはできるものなのかどうか。全ての価値とか意味を逆転させなければ(常識非常識・世間・世界とかの)できない事柄なのかもしれませんが。