嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

心古韻に耳をすますための領域について。

2006年09月18日 22時49分18秒 | 実験
記憶とは世界を小さくすることであり、
想起とは世界を大きくすることである

けれど、どちらも橋渡しを担っている自分が
不在である時、それは世界の中には共有されない。
しかし自分が他者にとっての実在である時、
それは想起された瞬間に世界に記録されている

ゆえに、表現者が似た表現を見つけること、
99%の同じ表現を見つける事は絶望とはならない。
むしろ懐かしいとすら思うだろう。
自分が忘れていた記憶を、呼び覚ましてくれるという点においては。

けれどもし、全く新しい、見たこともないような、
自分の五感を超える感性で作り上げられた表現を見る時、
観測者は絶望よりも観測に身を委ねるだろう。

不在であるところの、自分を代理する、歯車への愛が、
もしも切実な形で、プライドを破壊するのなら。

根源的に意味では、
ステージは、
場は、
不在であることによって自分を代理する。

ゆえに世界を通して自分を探す者と
世界の中に自分を探す者とは、
大きな差が生じてしまう。

記号に対して、観測するベクトルが違うということ
それは劇場型のステージにおいては、
三元的なグレーゾーンとしての生命に模しているわけではない。
例え灰色の今でさえ、
白い光の絶望と、
黒い闇の希望は
同じ意味を記してしまい号して記号となるから。

心古韻に耳をすますことの大事さを追悼する。
再認として。
僕の中に記憶する。
もしも今、君がこの文章を、ことばとして読むことが出来ているのなら。

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