嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

完璧なものは目指さない。

2009年12月24日 00時47分26秒 | 考え事
健全な人に憧れる。
ときおり、羨ましいとさえ感じる。

健康的な人、悩みの少なそうな人、周りに優しい人、
愛想のいい人、いつも笑ってる人、毎日が楽しそうな人、身体が丈夫そうな人…

自分はいつも自分自身が不健康であると感じながら生きてきたし、
会社で営業の人から
「健康が取り柄で病気しません!みたいな感じだったのに不思議だよね」
と言われた時は、即座にお世辞だと感じながら、
他人の感性の不思議さを思ったものだ。

こんにち、不景気や社会的な先行きの不透明さで
大人たちがあたふたしている間も、
自分は年齢に似合わず学生をして学んでいられる環境を、
恵まれていると感謝している事はたびたびあったが、
やはり人の悩みは尽きないものだ。

あまり言葉に出すと本当にそうなってしまいそうで怖いのだが、
時々学校を辞める事について想像する。
弱音を吐いている場合ではなくて、
むしろ頑張らなくちゃいけない正念場のような気もするのだが。

あと少しの間、いくつかの課題をこなして、
若い子たちを率いてゼミを成功させれば自分は卒業(修了)できる。
現実的な見通しを立てれば、今ここで何かを辞めるべきではない。
にも関わらず、時々自分の罪を思い出しては自己嫌悪に陥ったり、
自分の頭の悪さや無力さを嘆いて勉学から逃れようとする。
ありていに言えばそれだけ僕は暇なのだろう。
くだらない事に悩んでいられるほど、
僕は贅沢な環境で遊んでいるだけの人間なのだと思う。

だけど
それでも。

やっぱり僕には、許せない大人とか、
子供っぽい理想とか、
そういうものに目がいってしまうのだ。
完璧主義なんて生き方は、とうに捨て去ったはずなのだけれど。

わからない。
いつも進むべき道はわからない。
後悔と嘆きの中で、すぐに自分は立ち止まってしまう。
それでも、無作為に携帯電話のアドレス帳を回して、
自分の根拠を探すように、
自分の傍に居る、遠い人たちを考える。思い出す。そしてすぐに忘れる。

僕の存在は儚い。
あと少しの間しか、きっと生きられない。
そうそうのんびりも、していられないはずなのに…

嘆きの壁の手前で、嘆くかどうかさえ、迷っているのが僕の姿なのだ。
喧嘩している時でさえ、相手を殴るかどうか、迷っているのが僕なのだ。

きっといつか、僕にも自分が許せる日が来ると思う。
そのときまでは、ずっと悩む自分でいようと、
子供心に決めた握り拳の自分を観る

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