嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

指紋をつけるように ぺーじをめくれ!

2009年12月09日 23時29分57秒 | 考え事
現実から逃げ出す為に、
あるいは、現実から目を背けるために、
もしくは、本当に、本物の、支配されない現実を視るために

僕は「テキストの向こう側になりたい」
そう思うことが多々ある、増えた、増えたと感ずるようになった。

そもそも僕がテキストの向こう側にしか居なかった頃は、
こちら側にある現実が全く見えていなかった代わりに、
見えない物だけはしっかりと視えていた、あるいは視えていると感じていた。
こちら側の言葉を使えば、そう思い込んでいた。

あちら側の心と、こちら側の身体を繋ぐ唯一の記号が、
言葉やテキストなんかの、記号の脈々とした流れの中の空白にあると思い込んだりなんか、
していたものだ。

だけどどうだろう。
今の僕は。

すごく中途半端で、テキストを読むことも、
想像を膨らませることも、
それどころか、読むという行為に似た行為はおろか、
向き合うことさえ、避けているんじゃないか?

1Q84を読みたい。
今日、そう感じた。
だが、だけど、そうなんだけど、
それはおそろしい錯覚に似た予感で、
村上春樹の悪意と、僕の悪意を、天秤にかけねばならない。

失敗すれば、向こう側に取り込まれ、
また、こちら側に帰って来れなくなる危険性があるからだ。
それほどまでに、テキストとは恐ろしいものなのだ。あるいは、僕にとって。
見た目だけで判断することは出来ない。
見た目がないから、一次元的な紐状のあやしげな羅列にしか過ぎないから、
返ってそれは、ますますそれはすごい勢いと強さと引力で、
僕をその「拘り」の(こだわり)の中に、あるいは(こだわりの中に)封じ込めるのだ



本が高くて少しだけ安心した。
読まずに居られる、自分への言い訳を、とりあえず今は用意できたから。

本を読むのが、おそろしい。
僕は、テキストの向こう側にいる【僕】がおそろしい。

そして、おそるおそる、現実のページをめくる。

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