嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

悟りは気づきを統合するほど死に近づく。

2007年01月19日 10時42分28秒 | 物語
最も具体的なものは心であり、アナログであるが
最も抽象的なものは記号であり、デジタルである

というのも、
僕は普段から心が宇宙の外にあるのだが、
同時に光で星の声を聴く

【きみ】について考える。

それはある種の対象であるが
具体でも無ければ抽象でもない。

というのも、それはあまりにも遠すぎるために
景色とほとんど溶け合っていて、
そして存在が疑わしいが故に美化される思い出とちかしいものだから。

ことばよりも記号が抽象的であるように
 こえよりも音楽は具体的である

感覚から放出される糸は、とても空間に対して粘り着く、
ある種の牢獄の鎖として、引力として機能する。

空間を、ぎゅっとぎゅっとしわくちゃにして、引き固めて、
そして有として物質が物質化として出現するように。

どんな物質の固い結び目も、ほどけばエネルギーとして消えてしまうように
その、閉じられかたによって、世界は区分けされているのだけど。
もっと言えば、閉じられているのではなく、結ばれているがゆえに、
結び方を理解しなければ、世界は感覚できるほどには開かない。

音楽が、人の心をくすぐるのは、
それは人の脳がどんな風に機能しているかということを
いちいち医学的に説明する必要はない。

音楽はアナログに近い物であり、
具体的に心に作用する。

というのは、世界を階層説明的に区切ると、
ハードウェアとしての心は心臓であり、
存在としての宇宙は鼓動によって20億の時間分割がなされ、
アナログであったはずの感覚的メロディーは表現者によって音楽として分割され、
音楽から声として立脚分割され、
そしてまた言葉によって量子化され、
記号によってソフトウェア化されるからである。

五官を全て【君】と[私]に関するチャンネルだと捉えれば
それは結局対話でしかなく、糸を手繰り寄せたり解いたり、固く結んだりするちゃんねる

――でしかない。

もっとも純粋に、神格化されるような純血の対象は、
いつもいつも宇宙の外にあり、心臓の中にある。
空間は全て中心に向けて歪んでおり、
光はいつもブラックホールを通り抜けてこそ心臓に届くものだから。

だから僕等は、本当に存在するかどうか疑わしいぼくらは、
神と対話するように、光の他者と対話せねばならない。

そうしなければ、いつか消されて忘れられてしまうのは、
いつもいつも僕の方だから、この世界の方だから、
僕と君のあいだにある、宇宙の境目のほうだから。

いつも、手繰り寄せたり、固めたりしよう。
ありもしない万有引力を、信じる事を忘れない神の科学のように。

まるで例えられた、存在しない物語のように。