人を好きになる事は自分を強くするチャンスとなるけれど
人を嫌いになる事は自分を弱くしていく
嫌いな人と向き合う方法がいまだにわからない。
とりあえず、逃げたり向き合ったりを繰り返している。
わどを嫌いである事は、ほぼ変えようのない事実として刻印されつつある
完全に嫌いになる前に、何故嫌いになったのか、
原因やきっかけ、最初の引き金を引いたシーンを探しているけれど、
何かが爆発した、という曖昧な感じでしかわからない。
ずっと何かを我慢し続けて、ある日爆発したような感じ。
嫌悪感から発生する吐き気や頭痛はほぼ克服した。
今では数時間程度はわどと電話できるくらいまで回復。
どちらが悪いのか、という考え方はなるべくしないように心がけている。
基本的には、どちらも悪いはずで、
とにかく悪かった点を洗いざらい思い出していかないと、
最初の崩壊地点まで記憶が戻らない。
最初に衝撃を受けた言葉は今でもはっきり憶えている
まだ引っ越してからあまり経ってない頃だった。
わどの姿勢を批判してたら、
何故か屈折した議論になって
「君は信用を失った!残念だ」
と怒鳴られた。
全く意味がわからなかったが、
どうやら彼の物事に対する偏見や矛盾は
あまり指摘してはいけないようだ。
おそらく彼は自分が抱えている偏見の目に気付いていながら
それを直す気がほとんど無い。
自己防壁の特殊論理はとても議論になるようなものではなく、
破綻していて整合性が無いのだけれど
それは多分、わど自身を防衛する形に歪んでいるだけであって
それが誰か他人に向けられない限りは、特に問題となるレベルではないと推測できる。
すなわち、責任がとれないのであれば、彼と議論してはいけない。
常識や論理や科学の整合性とはかけ離れた場所に彼の偏見防壁はある
彼が間違っている事について、理屈で批判しても全く意味がない。
僕はその事に気付かずに
かなり多くの時間を溝に捨てた。
彼と話し合うことにとても疲れた。
「自分を批判してくれる人間はとても貴重で、砂漠でダイヤモンドを見つけるようなものだ」
と言っていたが、
どうやら僕はその事に拘り過ぎたようだ。
彼自身が家の中で何度も口にして僕の方に吐き出す
「世の中へ対する批判、戦争の悲惨さ、金持ちに対する怒り、BLOG-FRIENDSへの不信感、しなたまさんの性格の問題点」などなど、
雑多な愚痴の多くは、彼自身がそれを克服したがっている偏見の障壁であると
僕は長い間思い込み過ぎていた。
彼が言う批判とは、僕の思っている批判とは全く異なるものだ。
彼は彼自身の納得がいくように、彼専用に編まれた言葉でしか、彼のために作られた嘘でしか、
わどは批判とは認めない、
という意味に近いようだ。
これはハッキリ言って僕には不可能に近い。
彼を褒めながら注意を促すことなど、僕には到底出来そうにないのだし。
正直、僕には彼の長所がほとんどわからなかったし。
印象に残ってる言葉を他に探る。
「俺は君の側にいると自分が壊されるんじゃないかと思う。あんまり俺を傷つけないでくれ、俺は君と違って感受性が強いから、鬱になると自殺する可能性がある。あまり俺は何かを善だとか悪だとか決めつけて言うことは滅多にないが、生きようとしてる人間を殺そうとするのは、これだけは悪だと言える」
これには正直驚いたというよりも、ガッカリした。
彼は僕が想像していたよりも、遙かに弱い人間だった。
つまり、余計なお世話なのだ。
僕が彼のために出来る事など、初めから何もなかったのだ。
信頼なんか、僕には無かった。
わどを信じた事などは、一度も無かった。
ただ、わどの影響で周りの人が傷つくのは大問題のような気がした。
僕はたぶん、それを変えたかったのだと思う。
それ自体が、余計なお世話だったのか、どうだったのか。
また、わどはどうやら僕に何が何でも生きて欲しいようだ。
そしてさらに、文筆生活で生きていって欲しいようだ。
なんとも迷惑な話だ。
何故職種まで限定されて生きる事を強制されねばならないのか。
僕はわどの道具になりたいのか?
なりたいはずがない。
人形になりたいのか?
なりたいはずがない。
では一体何になりたいのか?
僕は宇宙の外側になりたい。
宇宙を超えたい。
馬鹿馬鹿しい。議論になるはずもない。
キチガイ二人が同じ屋根の下でお互いの不条理をぶつけ合うだけだ。
傷の舐め合いと同レベルじゃないか。
僕はそんな事がしたくて、一緒に住んでたわけじゃない。
結局のところ、自分の背中で語れる大人は、ほとんどいないんだ。
そして僕の身近には、ものすごく少ないんだ。
でも、きっとどこかに、生きる事の意味を知ってる人が居るような気がする。
夢を語る事には疲れた。
人間になろうと背伸びする事にも疲れた。
だけど、僕は自分の思っている事を書かないで我慢している事が出来ない。
もっと遺書を書かないと、自殺した先人たちになんだか申し訳ない。
彼らが書いた遺書では、僕には何も伝わらなかった。
彼らの遺書を読んでも、僕には大事なものがなんだかわからなかった。
僕は、大事な事を、伝えないといけない。
もっと遺書を書かないといけない。
はやく死にたい。
あと3年以内に、ちゃんとした死に方を見つけられるだろうか。
僕はまだ、何もわかっていない。
人間を知りたいとは、もう思っていない。
だけど、何かを知りたい気がする。
人を嫌いになる事は自分を弱くしていく
嫌いな人と向き合う方法がいまだにわからない。
とりあえず、逃げたり向き合ったりを繰り返している。
わどを嫌いである事は、ほぼ変えようのない事実として刻印されつつある
完全に嫌いになる前に、何故嫌いになったのか、
原因やきっかけ、最初の引き金を引いたシーンを探しているけれど、
何かが爆発した、という曖昧な感じでしかわからない。
ずっと何かを我慢し続けて、ある日爆発したような感じ。
嫌悪感から発生する吐き気や頭痛はほぼ克服した。
今では数時間程度はわどと電話できるくらいまで回復。
どちらが悪いのか、という考え方はなるべくしないように心がけている。
基本的には、どちらも悪いはずで、
とにかく悪かった点を洗いざらい思い出していかないと、
最初の崩壊地点まで記憶が戻らない。
最初に衝撃を受けた言葉は今でもはっきり憶えている
まだ引っ越してからあまり経ってない頃だった。
わどの姿勢を批判してたら、
何故か屈折した議論になって
「君は信用を失った!残念だ」
と怒鳴られた。
全く意味がわからなかったが、
どうやら彼の物事に対する偏見や矛盾は
あまり指摘してはいけないようだ。
おそらく彼は自分が抱えている偏見の目に気付いていながら
それを直す気がほとんど無い。
自己防壁の特殊論理はとても議論になるようなものではなく、
破綻していて整合性が無いのだけれど
それは多分、わど自身を防衛する形に歪んでいるだけであって
それが誰か他人に向けられない限りは、特に問題となるレベルではないと推測できる。
すなわち、責任がとれないのであれば、彼と議論してはいけない。
常識や論理や科学の整合性とはかけ離れた場所に彼の偏見防壁はある
彼が間違っている事について、理屈で批判しても全く意味がない。
僕はその事に気付かずに
かなり多くの時間を溝に捨てた。
彼と話し合うことにとても疲れた。
「自分を批判してくれる人間はとても貴重で、砂漠でダイヤモンドを見つけるようなものだ」
と言っていたが、
どうやら僕はその事に拘り過ぎたようだ。
彼自身が家の中で何度も口にして僕の方に吐き出す
「世の中へ対する批判、戦争の悲惨さ、金持ちに対する怒り、BLOG-FRIENDSへの不信感、しなたまさんの性格の問題点」などなど、
雑多な愚痴の多くは、彼自身がそれを克服したがっている偏見の障壁であると
僕は長い間思い込み過ぎていた。
彼が言う批判とは、僕の思っている批判とは全く異なるものだ。
彼は彼自身の納得がいくように、彼専用に編まれた言葉でしか、彼のために作られた嘘でしか、
わどは批判とは認めない、
という意味に近いようだ。
これはハッキリ言って僕には不可能に近い。
彼を褒めながら注意を促すことなど、僕には到底出来そうにないのだし。
正直、僕には彼の長所がほとんどわからなかったし。
印象に残ってる言葉を他に探る。
「俺は君の側にいると自分が壊されるんじゃないかと思う。あんまり俺を傷つけないでくれ、俺は君と違って感受性が強いから、鬱になると自殺する可能性がある。あまり俺は何かを善だとか悪だとか決めつけて言うことは滅多にないが、生きようとしてる人間を殺そうとするのは、これだけは悪だと言える」
これには正直驚いたというよりも、ガッカリした。
彼は僕が想像していたよりも、遙かに弱い人間だった。
つまり、余計なお世話なのだ。
僕が彼のために出来る事など、初めから何もなかったのだ。
信頼なんか、僕には無かった。
わどを信じた事などは、一度も無かった。
ただ、わどの影響で周りの人が傷つくのは大問題のような気がした。
僕はたぶん、それを変えたかったのだと思う。
それ自体が、余計なお世話だったのか、どうだったのか。
また、わどはどうやら僕に何が何でも生きて欲しいようだ。
そしてさらに、文筆生活で生きていって欲しいようだ。
なんとも迷惑な話だ。
何故職種まで限定されて生きる事を強制されねばならないのか。
僕はわどの道具になりたいのか?
なりたいはずがない。
人形になりたいのか?
なりたいはずがない。
では一体何になりたいのか?
僕は宇宙の外側になりたい。
宇宙を超えたい。
馬鹿馬鹿しい。議論になるはずもない。
キチガイ二人が同じ屋根の下でお互いの不条理をぶつけ合うだけだ。
傷の舐め合いと同レベルじゃないか。
僕はそんな事がしたくて、一緒に住んでたわけじゃない。
結局のところ、自分の背中で語れる大人は、ほとんどいないんだ。
そして僕の身近には、ものすごく少ないんだ。
でも、きっとどこかに、生きる事の意味を知ってる人が居るような気がする。
夢を語る事には疲れた。
人間になろうと背伸びする事にも疲れた。
だけど、僕は自分の思っている事を書かないで我慢している事が出来ない。
もっと遺書を書かないと、自殺した先人たちになんだか申し訳ない。
彼らが書いた遺書では、僕には何も伝わらなかった。
彼らの遺書を読んでも、僕には大事なものがなんだかわからなかった。
僕は、大事な事を、伝えないといけない。
もっと遺書を書かないといけない。
はやく死にたい。
あと3年以内に、ちゃんとした死に方を見つけられるだろうか。
僕はまだ、何もわかっていない。
人間を知りたいとは、もう思っていない。
だけど、何かを知りたい気がする。