老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

ラオスの田舎町で

2008-12-24 21:02:51 | 旅行
今回ラオスに行ったのはひとつ仕事が終わってその確認のためで、それはいわゆる「ムショー」と呼ばれるニッポン国民の税金で貧しい国に病院などを建てて、そこのひとを助けようという制度のもとでのプロジェクトのひとつなのだが、何日か前の新聞に日本の援助が先進国の中でアメリカと並んで国民総所得に対する比率が最下位になるという記事がのっていた。トップの北欧諸国に比べると1/5しかないたったの2%弱で、しかも来年度予算ではさらに減少して10年連続マイナスだってよ。

いったい誰がこんなふうにしたのかというとそれはジミン党政権を支えているマスコミやら宗教団体やらボディコン、じゃなくてネオコンの皆サマであって、コクミンはコクミンでテレビのオチャラケ慈善番組かなんかで携帯電話からボタン押すだけで100円寄付しました、みたいなことで偽善心を満足させている。どこかの国に学校を建てましょう、とか、テレビでやればすぐに金が集まって番組が一本できてスポンサーも集まるという、日テレあたりが得意とする分野だが、本来マスコミがやるべきなのはそういうお祭り的に大騒ぎして、どこかのホンの一点に光を当てることじゃなくて、親の七光りで代々議員をやってる無能な人たちが、選挙に影響がなくて手っ取り早く減らせるというので援助の予算をどんどん減らしてきたことの、それによってわれわれコクミンが将来、世界の中で長期的に受ける不利益みたいなものを明らかにすることなんじゃないのか。

で、こういうムショーにも問題点があるのはよく言われていることで、ニッポンのやり方は結局はモノをつくってあげるというのが基本で、ニッポンのゼネコンが請け負って、もちろん現地の労働者にはお金は回っていくが、全部現地でやれば3つできるところを、やっぱり経費が高くついて1つしかできないというようなこと。日本政府の言い分は国民の税金が無駄にならないようモノの質を確保するためにそういうことが必要だと。。
一方、オーストラリアやヨーロッパの援助はお金だけ渡してそれがどう使われるかを監視するようなやり方で、監視がしっかりできれば質もある程度は確保できるし、まあ手離れがよくてそういうやり方もありかな、と。ただもらうほうはどっちがいいんだか。小遣いもらって細かく使い道を報告しなきゃいけないようなのもツライと思うんだが。

それはそれとしてこういうのを実際現地で作るニッポン人の人たちの苦労には、世の中を斜めからしか見れないこんなワタシでさえアタマが下がる。蚊に刺されるだけで死に至る病気もあるし食べ物も限られている。トイレなんかほんとにニッポンのオバハンなんかが見たら気絶するようなのしかない。
いろいろ制度上の問題はあるが実際でき上がったものは確実にそこの人たちの役に立っている。テレビがつくるバブリーな慈善ではなく、こういう地道なひとつひとつの積み重ねにこそ光が当てられなければならないんじゃないのかな。
家で寝っコロがってケータイでボタンを押して100円寄付するようなことに満足できない若い人たちは、実際の現場にどんどん出て行くべき。国連とか、ニッポンの青年協力隊とか、いくらでも道はあるし。
その前にセンキョであの無能な政権を終わらせないといけないんだけどね。