連日の映画。今日はコレ。ニッポンでのタイトルはなんと『カメレオンマン』。アリ得ね。映画の中でカメレオンという言葉は出てくるが、ソレをタイトルに使っちゃ身も蓋もない。
1930年頃のアメリカで起きた話を、今、その当時の関係者とかいろんな有名人が出てきてインタビューで振り返るという設定で、ソール・べローとかスーザン・ソンタグとかが真面目な顔してインタビューに答えているので多少は現実にあったことなのかと錯覚するが全部ウソ。つくり話。
Zelig=ウディ・アレンはカメレオンのように周りに合わせて自分の顔とかカラダを変える病気?を持っていて、黒人に囲まれると顔が黒くなって黒人になるし、肥満の男に囲まれると急に腹が出てきて肥満になる、、みたいに。で、世間で有名になってカメレオンの名前でアイドルのように追い回される。
それを精神科の医師=ミア・ファーローが治療しようとするとすぐにジブンも精神科の医師に変身して治療にならない。そうこうするうちにいろんな事件が起きていったんは姿を消すがローマ法王の演説、じゃなくてなんていうんだっけ、バチカンの寺院のバルコニーで話しするアレ、アレの最中に法王の後ろでなんかしているのが写されたり、ヒトラーの演説の後ろにもいたりして、、それをソール・ベローやスーザン・ソンタグがインタビューで振り返ったりするわけだから、それも法王やヒトラーの場面だけじゃなくはじめから最後まで30年代の古い映像風にカンペキに作り上げて、ウソとわかっていながらそっちのほうへ引き込まれていく、コレは公開された当時はキワモノすぎてほとんど話題にならなかったように思うがもしかしたらスゴイ傑作なんじゃないかと思いマシタ。
終わってからアレはいったい何を言いたかったんだろうと振り返っても、そんなことどうでもいいやと思わせるくらいよくできていた。実際何も主義主張などなく作っていたとしたら、いやたぶん、ウディ・アレンというひとは主義主張を出さないことを主義主張としていたのではないかと、、ハリウッドを嫌っていたりするように見せているけれどもあれも別になんの主義主張でもないと思えば何かがわかったような気になる。楽しけりゃいいというのがいちばん難しいのは誰もがいうことではあるが。
1983年、アメリカ。
1930年頃のアメリカで起きた話を、今、その当時の関係者とかいろんな有名人が出てきてインタビューで振り返るという設定で、ソール・べローとかスーザン・ソンタグとかが真面目な顔してインタビューに答えているので多少は現実にあったことなのかと錯覚するが全部ウソ。つくり話。
Zelig=ウディ・アレンはカメレオンのように周りに合わせて自分の顔とかカラダを変える病気?を持っていて、黒人に囲まれると顔が黒くなって黒人になるし、肥満の男に囲まれると急に腹が出てきて肥満になる、、みたいに。で、世間で有名になってカメレオンの名前でアイドルのように追い回される。
それを精神科の医師=ミア・ファーローが治療しようとするとすぐにジブンも精神科の医師に変身して治療にならない。そうこうするうちにいろんな事件が起きていったんは姿を消すがローマ法王の演説、じゃなくてなんていうんだっけ、バチカンの寺院のバルコニーで話しするアレ、アレの最中に法王の後ろでなんかしているのが写されたり、ヒトラーの演説の後ろにもいたりして、、それをソール・ベローやスーザン・ソンタグがインタビューで振り返ったりするわけだから、それも法王やヒトラーの場面だけじゃなくはじめから最後まで30年代の古い映像風にカンペキに作り上げて、ウソとわかっていながらそっちのほうへ引き込まれていく、コレは公開された当時はキワモノすぎてほとんど話題にならなかったように思うがもしかしたらスゴイ傑作なんじゃないかと思いマシタ。
終わってからアレはいったい何を言いたかったんだろうと振り返っても、そんなことどうでもいいやと思わせるくらいよくできていた。実際何も主義主張などなく作っていたとしたら、いやたぶん、ウディ・アレンというひとは主義主張を出さないことを主義主張としていたのではないかと、、ハリウッドを嫌っていたりするように見せているけれどもあれも別になんの主義主張でもないと思えば何かがわかったような気になる。楽しけりゃいいというのがいちばん難しいのは誰もがいうことではあるが。
1983年、アメリカ。