昨日は飲みすぎた。関内で見つけたイタリア食材屋で赤白ワインを1本ずつ買って、ミラノサラミなる直径6cmくらいの燻製肉の薄切りをつまみに夕方から飲み始めて、気が付いたら1本飲み終わってそのあとはよく覚えていない。でなんとなくドアのインタホンがなったような気がして、出たらムスコが帰ってきたようなのでまた寝込んで、気が付いたらムスコが作った晩メシができていて、メンチカツ3個食べたと思ったらまた寝込んで、またまた気が付いたらツマが帰ってきて、ちゃんと寝なさいと言われて布団に入って寝たような。今朝起きたら8時半でツマとムスコはもう出かけていた。全部マボロシかもしれないが。
そんなに飲んで何かツライことでもあるのかと聞かれればそりゃああるに決まっている。ありすぎて書く気にもならないくらい。でも飲むと気持ち悪くなるのが一番ツライ。
ここしばらく本を読む気がなかなか起きなくて、そういうのも日頃のストレスと関係があるはずで、逆に本を読むのも現実逃避で少しは楽になるかもしれないと思って読んだのがコレ。
野田秀樹サンを最初に知ったのは学生の頃、深夜ラジオでチッタカタッターチッタカタッタータカタカタッターッターーーって自分でファンファーレ歌いながら出てきて他にどんなことしゃべったかは覚えていないが朗読コーナーみたいなのがあってボルヘスだかマルケスだかの一節を読んだのを今でも覚えている。
子どもの頃に狼にさらわれた男が大人になって家に戻ってきて、家に戻った瞬間に何かが記憶の底から浮かび上がってきて、家の隅のほうで何か物を探し始めたと思ったら子どもの頃に隠しておいたナニかが出てきて、、その記憶が蘇った瞬間にその男の中で何が起きたのか、ワタシは知りたいみたいな話。映画のラストエンペラーでも同じようなシーンがあったような。王の座から追われた男が夜中に宮殿に忍び込んで王の椅子のウラのほうに隠しておいたナニかを探し出してニタっと笑う。ちょっとニュアンスは違うが。
そういう時間と空間のズレの中を飛び回るようにあっちに行ったりこっちに行ったりするような感覚はなんとなく快感に近いものがあって、コノ戯曲にも水がビンの中で化けて酒になるそういう時間の中をHGウェルズ、ハードゲイウェルズじゃなくて、、がでてきたり、仁吉とお菊がでてきたりして、トツキ10日で子どもが出てくるあたりのことを漂わせながら、、、、ハッキリ言って話の筋はようわからん。まったくわからん。劇場で見れば勢いでわかるんだろうが。
とはいえ最近の野田サンはどんな感じかよく知らないのでコレを見たいような気もするが英語だってゆうのが。どんどん難しくなっていくような。。釜の中から伊藤蘭がでてきて快刀乱麻、かイトウランま、か伊藤蘭ま、、みたいなわかりやすさが今となっては懐かしい。
新潮文庫版、1988年刊。
そんなに飲んで何かツライことでもあるのかと聞かれればそりゃああるに決まっている。ありすぎて書く気にもならないくらい。でも飲むと気持ち悪くなるのが一番ツライ。
ここしばらく本を読む気がなかなか起きなくて、そういうのも日頃のストレスと関係があるはずで、逆に本を読むのも現実逃避で少しは楽になるかもしれないと思って読んだのがコレ。
野田秀樹サンを最初に知ったのは学生の頃、深夜ラジオでチッタカタッターチッタカタッタータカタカタッターッターーーって自分でファンファーレ歌いながら出てきて他にどんなことしゃべったかは覚えていないが朗読コーナーみたいなのがあってボルヘスだかマルケスだかの一節を読んだのを今でも覚えている。
子どもの頃に狼にさらわれた男が大人になって家に戻ってきて、家に戻った瞬間に何かが記憶の底から浮かび上がってきて、家の隅のほうで何か物を探し始めたと思ったら子どもの頃に隠しておいたナニかが出てきて、、その記憶が蘇った瞬間にその男の中で何が起きたのか、ワタシは知りたいみたいな話。映画のラストエンペラーでも同じようなシーンがあったような。王の座から追われた男が夜中に宮殿に忍び込んで王の椅子のウラのほうに隠しておいたナニかを探し出してニタっと笑う。ちょっとニュアンスは違うが。
そういう時間と空間のズレの中を飛び回るようにあっちに行ったりこっちに行ったりするような感覚はなんとなく快感に近いものがあって、コノ戯曲にも水がビンの中で化けて酒になるそういう時間の中をHGウェルズ、ハードゲイウェルズじゃなくて、、がでてきたり、仁吉とお菊がでてきたりして、トツキ10日で子どもが出てくるあたりのことを漂わせながら、、、、ハッキリ言って話の筋はようわからん。まったくわからん。劇場で見れば勢いでわかるんだろうが。
とはいえ最近の野田サンはどんな感じかよく知らないのでコレを見たいような気もするが英語だってゆうのが。どんどん難しくなっていくような。。釜の中から伊藤蘭がでてきて快刀乱麻、かイトウランま、か伊藤蘭ま、、みたいなわかりやすさが今となっては懐かしい。
新潮文庫版、1988年刊。