人類史上で最も尊敬に値する山本センセの新刊が出たので大岡サンはひと休み。4年前の「磁力と重力の発見」に続く大著である。
前著のあと書きに述べていた山本センセの人生の宿題、17世紀以降の科学の発展の礎となった16世紀の、それまでは学問の世界からは蔑まれてきた人たち、ギリシャから続く学問エリートではない職人や技術者の成し遂げた先駆的な成果について、ブルネレスキ、デューラーから始まって、ひとつひとつ細かく、正確に書いている。この正確さは大岡昇平に通じるものがあるが、ヒトヅマ的な話題は一切ない。
山本センセらしいのは、これまでの世間一般の評価はソレとして、得られる限りの資料をもとにジブンで評価を下していること。例えばレオナルド・ダ・ビンチも、文字を逆から書いたりする秘密主義や、興味が分散して結局解剖学以外、何一つまとまった成果がないというようなことから、ルネサンスの閉じた時代の中での天才としか評価していなかったり。
山本センセは自分で考えることの重要性を思い出させてくれる。スンダイ山本物理のほぼ1期生でもあるワタシとしては、あの時もそれを教えてくれたのだと今さらながら気付く。何も考えずに、というか考える能力もないクセに、スナオな考えとか、自然な発想とかいうヤツは笑わせてくれる。自分で考えるためにはその考えを確かなものにするための膨大な知識が必要となる。だからもっと本を読まなければならないのだが。
それにしても人生の宿題とは。。ワタシも早く見つけて、それに向かって進んでいかなくてはと。
まだ上巻の半分まで。読み進んだらまた書きマス。
・
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と、週末に上巻を読み終えたのでとりあえず一筆。
ここまでは芸術家から始まって、医学、解剖学、冶金術、商業数学の分野で、15世紀後半から16世紀にかけて、ヨーロッパを中心に文化的な地殻変動が起こりはじめた状況を、何がきっかけとなり、だれがそれを引っ張っていったかについて書かれている。
きっかけの一つは印刷技術の広まり。それまでそれぞれの分野ごとのギルドのような閉じた社会のなかで、技術は公開されないものとして受け継がれていた。秘伝、みたいな感じで。それが印刷を通じて広く技術や知識を公開したいと思う人が出てきて、それが主には学問エリートではない職人や技術者なのだが、そういう新しい道具を何の抵抗もなく受け入れていった人たちが時代をリードしはじめる。だからダ・ビンチは古い側の天才で、時代を動かしたとは言えない。
で、もう一つの大きなきっかけはそういう新しい時代の担い手の人たちは、そのころの学問に必要なラテン語とかには関心がなくて、むしろ積極的に、その頃は下等な言語と思われていたイタリア語やドイツ語で本を書いていったこと。その結果、そういう下等言語しか理解しない圧倒的多数の一般庶民が本を読むようになり、そうやって書かれた技術解説書のようなものがものすごい勢いで広まっていったということだ。
もちろんそういう新しいものに対する古い人間からの批判や妨害は激しくて、パワーハラスメントに苦しんだ人もたくさんいただろうが、時代はひとりでに転がっていく。新しい医学を切り開いたのは床屋も兼ねていた外科職人であり、冶金術では炎と格闘していた鍛冶労働者であり、数学の世界では金勘定の必要に迫られた商人なのである。実にシンプル。
で、歴史は繰り返される。今の世の中でも新しい金融を担うのは武富士やプロミスなどのサラ金屋さんであり、小売業ならジャパネットタカタとかビックカメラであり、病院なら徳州会、教育なら駅前留学のNOVAやブタに真珠の東京モード学園だし、そしてメディアならライブドアニュース?だったりする。異端じゃなければ新しい時代は切り拓いていけない。そして異端はいつでも叩かれる。それでも何百年後かに光を当ててくれる人がいて、今はいい気になっている古いカスのようなモノたちは永遠に忘れ去られていくだけだ。
後半は力学、機械学、天文学と続く。古墳の壁画がカビで消えていくのとはまったく反対に、歴史の足跡が毛穴まで鮮やかに見えてくるようだ。
みすず書房 2007年刊
前著のあと書きに述べていた山本センセの人生の宿題、17世紀以降の科学の発展の礎となった16世紀の、それまでは学問の世界からは蔑まれてきた人たち、ギリシャから続く学問エリートではない職人や技術者の成し遂げた先駆的な成果について、ブルネレスキ、デューラーから始まって、ひとつひとつ細かく、正確に書いている。この正確さは大岡昇平に通じるものがあるが、ヒトヅマ的な話題は一切ない。
山本センセらしいのは、これまでの世間一般の評価はソレとして、得られる限りの資料をもとにジブンで評価を下していること。例えばレオナルド・ダ・ビンチも、文字を逆から書いたりする秘密主義や、興味が分散して結局解剖学以外、何一つまとまった成果がないというようなことから、ルネサンスの閉じた時代の中での天才としか評価していなかったり。
山本センセは自分で考えることの重要性を思い出させてくれる。スンダイ山本物理のほぼ1期生でもあるワタシとしては、あの時もそれを教えてくれたのだと今さらながら気付く。何も考えずに、というか考える能力もないクセに、スナオな考えとか、自然な発想とかいうヤツは笑わせてくれる。自分で考えるためにはその考えを確かなものにするための膨大な知識が必要となる。だからもっと本を読まなければならないのだが。
それにしても人生の宿題とは。。ワタシも早く見つけて、それに向かって進んでいかなくてはと。
まだ上巻の半分まで。読み進んだらまた書きマス。
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と、週末に上巻を読み終えたのでとりあえず一筆。
ここまでは芸術家から始まって、医学、解剖学、冶金術、商業数学の分野で、15世紀後半から16世紀にかけて、ヨーロッパを中心に文化的な地殻変動が起こりはじめた状況を、何がきっかけとなり、だれがそれを引っ張っていったかについて書かれている。
きっかけの一つは印刷技術の広まり。それまでそれぞれの分野ごとのギルドのような閉じた社会のなかで、技術は公開されないものとして受け継がれていた。秘伝、みたいな感じで。それが印刷を通じて広く技術や知識を公開したいと思う人が出てきて、それが主には学問エリートではない職人や技術者なのだが、そういう新しい道具を何の抵抗もなく受け入れていった人たちが時代をリードしはじめる。だからダ・ビンチは古い側の天才で、時代を動かしたとは言えない。
で、もう一つの大きなきっかけはそういう新しい時代の担い手の人たちは、そのころの学問に必要なラテン語とかには関心がなくて、むしろ積極的に、その頃は下等な言語と思われていたイタリア語やドイツ語で本を書いていったこと。その結果、そういう下等言語しか理解しない圧倒的多数の一般庶民が本を読むようになり、そうやって書かれた技術解説書のようなものがものすごい勢いで広まっていったということだ。
もちろんそういう新しいものに対する古い人間からの批判や妨害は激しくて、パワーハラスメントに苦しんだ人もたくさんいただろうが、時代はひとりでに転がっていく。新しい医学を切り開いたのは床屋も兼ねていた外科職人であり、冶金術では炎と格闘していた鍛冶労働者であり、数学の世界では金勘定の必要に迫られた商人なのである。実にシンプル。
で、歴史は繰り返される。今の世の中でも新しい金融を担うのは武富士やプロミスなどのサラ金屋さんであり、小売業ならジャパネットタカタとかビックカメラであり、病院なら徳州会、教育なら駅前留学のNOVAやブタに真珠の東京モード学園だし、そしてメディアならライブドアニュース?だったりする。異端じゃなければ新しい時代は切り拓いていけない。そして異端はいつでも叩かれる。それでも何百年後かに光を当ててくれる人がいて、今はいい気になっている古いカスのようなモノたちは永遠に忘れ去られていくだけだ。
後半は力学、機械学、天文学と続く。古墳の壁画がカビで消えていくのとはまったく反対に、歴史の足跡が毛穴まで鮮やかに見えてくるようだ。
みすず書房 2007年刊