5月31日のさぬき市地方は、朝方は雨が降ったり曇ったりしていたが、やがて高気圧に覆われて晴れてきた。気温は19度から28.1度、湿度は94%から54%、風は5mから1mの西の風が少しばかり。明日の6月1日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
収縮期100mmhg、拡張期58mmhg、脈拍80bpm、体温36.5c/酸素濃度98%/体重63.6Kg 室内気温21.7c/室内湿度61.3%/気圧1004hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:53分、日の入りは19:10分 月齢は0.6の大潮。今日は午後から初エアコンの試運転。
奥方のバラに、こんなコガネムシの小型のような虫がどこからともなくやってきて、密を吸い取り花びらを食べてしまう。これを指先で一匹ずつ捕まえて処分するのだが、捕まえても捕まえてもやって来るので「往生しまっせぇ~。」と、これまた古いギャグ。
今日は奥方の定休日。朝早くからバラの手入れに余念がない。バラの花はコガネムシの小型に食べられて切り捨ててしまっている。(何という虫なのかわからない)
9時前になるとすっきりと晴れてきて夏空になってきた。そこで、弟と二人でお墓探しに出かけることになっている。
だが、今日は打ち合わせ不足やら準備不足やらで成果が上がらない。こういう供養塔が4基あるはずなんだが2基しか見つからない。こういうものが消えてなくなるはずはないし、誰かが背負って持ち帰るようなものでもない。確かに昭和60年代の町史には記載されているのに姿形が見えてこない。
見つかるのは、こうした「カンタロウ・ミミズ」という大きなミミズくらいなものである。山林に生息するミミズで、体が大きく、青紫色の光沢がある。正式には、シーボルトミミズというそうな。別に害もないみたいだが、あんまり気持ちのいい生き物では無い。
で、作戦を変更して「さぬき市領内」にまで足を伸ばしてきた。こうした案内地図があるのだが、33番と30番の間に「へんろ墓」と二つ書いてある。ガイド用資料には「30丁地蔵付近」と、「30丁地蔵付近の堀切西側」と書いてあるが、その意味がわからない。そのあたりを探しても遍路墓なんぞない。
で、あたりを探したり、山の中に分け入ったりしていると、こういうお墓が見つかった。でも、私が持っている資料と、弟に持たせた資料が違っていて、同じ講義の同じ教授が作った資料に違いがあるのはどうしてなのかと、山の中で軽い論争が始まったりして・・・。ここには9基ほどのお墓があるのに、資料にあるのは、この1基だけ。資料の整理からやり直してからのリベンジになりそう。
こういう旧へんろ道も次回への宿題になった。
で、今日のお昼は、お墓探訪に近い「お食事処はなみずき」になった。四国霊場八十八番札所・大窪寺にほど近い、数寄屋造りの温泉宿「野田屋・竹屋敷」。その一角にある「はなみずき」は、料理人の技を駆使した季節感あふれるうどんとそばを、心静かに堪能できるスポットである。お値段しそうな温泉旅館竹屋敷の看板に敷居の高さを感じてか、そうそう、お客さんは多くない。おうどんやおそばだってお安くは無いお店なのである。絶品うどんに舌鼓を打った後は、緑の山に抱かれた庭園を散策して心にもうるおいを感じることができる。大窪寺門前の「野田屋」と姉妹店だからと立ち寄ったもの。
で、二人ともが「天ザルそば(1050円)」をいただいた。いくらうどん王国の香川県民だっておうどんばかりで生活をしている訳では無い。さぬきの住人だっておそばも食べるしナポリタンも食べる。パン食だって食べるし中華料理だって食べる。
でも、本当のところ、そうめん屋というそうめんが食べられるお店は少ないし、おそばを食べられるお店だって多くは無い。だから、奥方へのお土産も、「じねんじょそば」というおそばにしたほどである。
ついでに、今日もハチクを数本鎌で刈って持ち帰った。もう、背丈が2mも3mもになっていて、おいしくはないのだろうが、食感だけのものかも知れない。
今日の掲示板はこれ。「大事なものが手に入らないのは いらないものを持ちすぎているから」というもの。これは「中野良俊」さんの言葉らしい。服は捨てなければたまってしまうと分かりつつも、もったいなくて捨てられないのが実状である。さまざまな執着心をふり捨てて、「もちすぎている要らないもの」を、この夏すっきり捨てたいものである。生活用品には「捨てるもの捨てないもの、要るもの要らないもの」が判断できるのだが、自分自身の生き方に於いて、人間として生きる上で「捨てるもの捨てないもの、要るもの要らないもの」とは一体なんだろうか。その事を教えてくださるのが仏教であるのだろう。「私の人生でしがみついている要らないものは何だろうか、本当に大事なものに出会ってきたのかな」と、捨てられないものと向き合いながら、断捨離をしてみるのも、面白いものがあるかもしれない。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。
・三机村(みつくえむら)は、1956年(昭和31年)まで愛媛県西宇和郡にあった村である。
・明治になって、足成、塩成、三机、大江、志津、小島の6つの村が合併し三机村になった
・現在の西宇和郡伊方町の中部、佐田岬半島のほぼ中央に位置する農漁村であった。瀬戸町を経て、現在は伊方町に属する。
・目標ポイント;瀬戸町立足成小学校跡
(〒796-0501 愛媛県西宇和郡伊方町足成680)
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天保11子5月27日(1840)
貞操信女
伊豫宇和島三机足成浦(いようわじまみつくえあしなるうら)
往去娘とく
三津とか三津浜という地名があるのでそちらかと思っておりました。あしなるはまかと思えば「足成村」でしたか。たびたび、どうもです。