まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

年の瀬や 庭掃くほうきの 音がする

2017年12月28日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため、概ね曇っていた。気温は3.0度から8.6度、湿度は72%から59%、風は2mから5mの西北西の風が少しばかり。明日の29日は、高気圧に覆われるため、概ね晴れる見込み。

 

 我が家の餅つきは、例年、12月30日ということになっていた。だが、奥方のけいこばぁの勤務の都合で、今年は28日に繰り上がってしまった。ま、別にそれで困ると言うことはないのだが。

 

 で、弟のたっくんが8時半過ぎにやってきてくれて、9時過ぎから餅つきが始まった。今年は私ら夫婦と弟の三人だけの餅つきになった。

 

 餅つきたって、臼や杵でぺったんぺったんと撞く訳ではなくて、機械でこね回して撞く機械式である。

 

 それでも、こういう具合にお餅になってくる。

 

 なにせ、おじさん二人が丸める訳だから、大きさもバラバラ、しわしわだらけになってしまう。

 

 三臼ばかりつきあげると10時半近くになった。弟はつきあがったお餅を持って帰って行った。

 

 私は早速にお餅をお内佛さまにお供えしておいた。

 

 その後、できあがったお餅を持って孫のなぎちゃんに届けるために屋島に向かった。その時、「わたし、あそこに行きたいの・・・」というので、屋島に復元された「屋嶋城(やしまのき)」に、孫のはやて君を連れて向かった。

 

 白村江(はくすきのえ)の戦いの後、中大兄皇子は、唐・新羅の連合軍の侵攻に備え、国を守るために、北部九州から瀬戸内海にかけて城を築かせた。その一つが「屋嶋城(やしまのき)」だった。日本書紀にも「讃吉國山田郡に屋嶋城、対馬國に金田城を築く」という記述がある。

 

  しかし、連合軍の侵攻はなく、城は見捨てられ忘れられ元の山野に戻ってしまった。「確かに屋嶋城はある筈・・」と、一人の郷土史家・平岡岩夫が屋島中を歩き回って、ついに、この石積みを見つけ出した。平成10年のことだった。

 

 かつて「幻の城」とされていた屋嶋城が復元されたのは平成28年だった。しかし、これは広大な屋嶋城のほんの一部に過ぎない。屋嶋城は「幻の城」から「謎の城」と呼ばれるようになった。

 

 屋島を歩き疲れた奥方が、「おいしいカフェに連れて行ってよ・・」というので、かつて、講演会をしたときにつれて行ってもらったお店に案内した。ここはお年寄りたちが集まるお店らしい。

 

 奥方が、「よくこんなお店を知ってるわね・・」と驚くほどの隠れ家的なお店で、常連さんが通うお店らしい。

 

 奥方はホットサンドとかなんとかとコーヒーを頼み、はやて君はホットケーキに紅茶を頼んだ。私はトイレに走るばかりでのどがカラカラなので、寒いのに、アイスコーヒーを頼んだ。

 

  今日の掲示板はこれ。「手を合わせ 今日もいのちをいただく」というもの。町内の下津先生のお寺にあったもの。私達は生きていくために、日常的に生き物の命を奪って食べている。切り分けられ、綺麗にならんだスーパーの鮮魚・精肉コーナーには、そこに命が宿っていたことを 忘れてしまいそうな程に、「命をいただく」というイメージから遠くなっている。そしてその結果、食べ物が粗末に扱われ、日本での1年間の食べ残し食品は、 発展途上国での、何と3300万人分の年間食料に相当するといわれているそうだ。ご飯を食べる時、手を合わせて、『いただきます』と言いうけれど、これ は生き物達への『命をいただきます』ということ。感謝のこころを失いたくないものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。



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