まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

山つつじスズメのお宿は改装中

2022年04月10日 | 時には日々是日

 10日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は11.0度から22.4度、湿度は98%から62%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の11日のさぬき市は、はじめ高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で朝から曇る見込み。

 

 収縮期106mmhg、拡張期61mmhg、脈拍80bpm、体温36.6c/酸素濃度96%/体重62.3Kg 室内気温16.4c/室内湿度51.8%/気圧1022hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:40分、日の入りは18:32分 月齢は8.9の小潮。

 

 昨夜は久しぶりに飲んで食べたので、今朝の数字がやや怖かったが、いつもと変わらずでほっと安堵した。特に水分が問題だったけれど、そんなにも数字に変りはなく、午前11時には61.7Kgとなった。夕方にはおそらく60Kg台にはなることだろう。でも、ノンアルコールビールを数本とノンアルコール日本酒を2合程度で我慢をしたからか、全く、楽しい宴にはならなかった。

 

 血圧だって、体温だって、そんなに変化はない。ただ、夜中に1時間ごとに起きたものだから眠たくて仕方がない。さっきもトイレでうつらうつらと居眠りをしていたほどだ。

 

 娘は昨夜に帰ってしまい、弟も朝の6時過ぎに帰って行ったし、奥方も7時過ぎに出勤して行った。だから、会場の後片付けは私のお仕事になるし、「生産者責任」とでもいうのか、「やった者が片付ける」みたいなことで、昨夜の宴会場はそのままになっていた。それを一気に片付けてしまった。

 

 一番、面倒なのが食器の洗い物と片付けだった。それも淡々と洗って片付けてしまった。今日は御天気も良かったので、洗濯物も洗って干しておいた。

 

 二週間も前から準備をしてきた奥方の誕生会も終わってしまうと、当面の目標がなくなった。肩の荷を降ろしたというよか、目標がなくなった・・・というような気分。そこで、少しばかり気分転換のドライブをやってみた。桜が終われば、お次は五月の鯉のぼりか・・・。

 

 桜の季節も「花筏」でおしまいになる。

 

 今年はフキノトウもツクシもワラビも見ないなぁと思っていたらば、今頃になってどんどんと生えてきた。ワラビも、そんなに多くはいらないと思う。

 

 ワラビもフキノトウも食べるのは苦手だが、採るのは楽しいと思う。ま、子どもの頃は小遣い稼ぎのためにワラビを採ったもので、我が家でワラビやツクシを食べた記憶はない。

 

 今日は初夏のような気候になってきて、何かをやり始めたいのだが、体力的はまだまだ無理みたい。

 

 今日のお昼は昨日の残りもののお片付け。一ヶ月前にはおなかが張って食欲もなかったのだが、新しい薬のおかげで、おなかが空いてきて10時半から昼食の準備をするようになった。だから、夕食は17時頃になるだろうか。

 

 で、お昼からは例の「遍路墓学」のお勉強である。江戸時代後期の文化元年に大坂の北濱から四国遍路に来て、何があって、こんな山中に葬られたのだろうか。しかし、ちゃんと葬儀もされて戒名まで頂いている。きっと、北濱の商人でお金もしっかりと持っていたのだろうと推測される。

 

 この人である。この最初の「■」刕久慈郡太田村・・・がわからない。「曾」のようでもあるし「富」のようでもあるが、そうした国名はない。「刕」は=「州」で國である。そこで、久慈郡で調べていくと、「常」州であることが推測される。…旧国名。常州。現在の茨城県の大部分(下総国に属する南西部を除く。)とあった。ははぁん、「常」という字なのかと納得する。こういうクイズのようなパズルのような遊びが楽しい。

 

 今日の掲示板はこれ。「晴れの日だけでは人も草木も育たない」というもので、町内の善楽寺さんのお寺の掲示板にあったもの。どこの誰の言葉かはわからなかった。晴れた日ばかりでは草木も生き物も生きてはいけない。雨の日ばかりでは根元から腐ってしまう。風の日ばかりでは乾いてしまって生き物は育たない。同じように、幸せばかりでは人は成長しないし、不幸な日ばかりでも人は生きていけない。雨の日も風の日も晴れた日もあって生き物は生きていける。そのことに改めて感謝したいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


奥方の誕生日会、その続編

2022年04月10日 | 時には日々是日

 昨日の続編、後半部分である。

 

 弟と私の二人だけでは、それらしいお料理も作れないからと、市内にある「新鮮市場きむら」というお店で、いろいろな食材を買ってきて、それを二人でならべるだけにした。それまでは、「男料理」のレシピを何枚も調べて集めたのだけれど、当日になると時間的に無理だなぁと思ったからだ。

 

 テーブルクロスも桜色のお花見用のクロスに替えてみた。お皿もお花見用のプレートにしてみた。で、五人用の食卓を作り上げた。

 

 この大きな巻き寿司は奥方作である。お料理に「ユキヤナギ」やオリーブ、すみれなんぞを飾ってもおいた。飲み物は缶ビールやらノンアルコールビールやらワインやらノンアルコールワインやら、日本酒やらノンアルコール日本酒とさまざま。

 

 で、19時過ぎになって、娘らもやってきて「宴たけなわ」。花束贈呈も、バースデーケーキもささやかだが格好にはなった。

 

 これがケーキである。町内の和菓子屋さんのケーキだからセンスが無いなぁと思ったのだけれど、孫のなぎちゃんは、おいしいおいしいと食べてくれた。ああ、やっぱり、おいしいのか。

 

 そうそう、くす玉割りもなんとか形になった。

 

 私がお肉を食べられないからと、ほとんどがお肉なしの食材になっている。

 

 バラの花束も、こうやって花瓶にさせば、なかなかのバラの花束である。さすがプロだなぁと納得した。

 

 すると、娘から、こんなプレゼントがあった。先月に娘らと一緒に行った小豆島での金婚式祝賀会のアルバムである。アルバムだけれど、これが製本されて「本」になっている。

 

 こうして、プロの手にかかると、なんだか「有名人」になった気分。

 

 これは私らにとってはすばらしい思い出になった。

 

 本の最後は、こんな風にまとめられていた。

 

 こうして、時間差があって、盛り上がりにはイマイチ欠けたけれど、奥方は大満足した様子。私が一週間をかけてプランを練り、準備したお誕生会はあっという間に終わってしまい、娘らは用事があるからと帰宅してしまい、奥方もお仕事があるからと早くに寝てしまい、残った弟と私も21時には寝てしまうことになった。気分的には85%の満足かなぁと思った。


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