さて・・・。昨夜は何事もなく寝ていられたらしく、目が覚めたのが五時過ぎだった。これでは始発の6時15分だかのフェリーには間に合わない・・・。でも・・ということで、五時半前に我が家を出て丸亀に向かった・・・。
私の記憶では・・・7時半に客船(高速艇)が出る・・・と思い込んでいたもので、それなりに走ったし、それなりの時間に丸亀に着いた・・・。ところが・・6時50分という客船が出たばかり・・。まだ、高速艇が出て行くのが見えた・・・。「しまった、しまった・・島倉千代子・・・」やね。次は・・・7時40分の高速艇だという。
1時間ほど時間があるので、近くのコンビニでメロンパンとパックコーヒーを買って、客船の乗り場近くのベンチに座って食べた・・・。まるで・・ホームレスのおじさんみたいだ・・・。
時間つぶしをして・・客船を待った・・。7時半過ぎに客船が戻ってきたので、それに乗り込んで・・・7時40分に丸亀港を出て・・さぬき広島に着いたのが・・・8時過ぎ・・・。そのまま・・広島神社に直行・・・。秋の例大祭の準備の「出事:でごと」に参加した・・・。
少し前には大勢の人がいたから・・境内一円の除草やら草引きをすませ、その後、それぞれの担当ごとに配置についたけれど、今年は全員でも30名ほどしかいない。だから、すぐさま・・・担当ごとに分担して仕事をこなすことになった。
手前左では宮総代ほかがしめ縄を作っているし、男性陣は・・のぼりを立て、提灯を飾り、電気工事をやっている。当番の女性陣は・・拝殿や本殿内部のお掃除、ぞうきんがけをやり、それが終わると男性陣が畳を敷き、御神輿を安置し、拝殿や弊殿などに備品を並べていく・・・。当番でない女性陣は・・草抜きや熊手を使ってのお掃除・・・。
だから・・拝殿に向かう正面だけ・・・草が抜かれ、お掃除がされるが、そのほかの部分には草がそのまま残っているし、落ち葉も落ちたまんま・・・。人数が少ないと仕方がないね・・・。
私がさぬき広島にやってきたのが平成6年の夏・・・。だから・・もう、16年余りになるが、その間にお祭りの本筋は変わらないのだが・・・やり方がずいぶんと省力されてきたように思う・・。ま、人手が少なくなるからやむを得ないのだけれども・・・。
拝殿の壁には・・・昭和中期のものらしい秋祭りの写真が飾られている。そこには紋付き羽織袴姿の男性や、学生服を着た子供たちのうれしそうな顔が並んでおり・・その数は数え切れないほどに多い・・・。
10時を過ぎると・・・宮総代以外は・・・さわやかロードという・・・道路周辺のゴミ拾いやら除草作業に散らばって行って・・・流れ解散になる・・。この宮総代さんらの・・しめなわ作りやら御幣切りは夕方まで続けられる・・・。
私は・・・島の家に戻り、昼食の準備をし、それを食べてから・・NHKのど自慢などを見てから一眠り・・・・。病院で処方された薬には・・ねむたくなるような成分が入っているようで、すぐに眠ってしまいたくなってしまうのだ・・・。
夕方の18時半過ぎに神社に向かう・・・。「宵宮」というものらしい・・・。ま、お酒を飲みながら世間話やら情報交換をする場所らしい・・・。
娯楽のなかった島の人々は・・年に一度のお祭りの夜は夜を徹して、飲んで尽きない世間話に夢中になったことだろう・・。こういう場でもなければ、農作物の種まき時期やら、収穫時期やらの情報交換すらできなかったものだろう・・・。お互いに忙しい日々の暮らしに追われ続けていたのだから・・・。
でも、こうした宵宮にお参りする人も大幅に減った・・・。数年前にはこの拝殿に座りきれないほどの人たちがお参りにやってきていたし、こどもらの声も賑やかだったのに・・・。
この夜も自治会長さんと・・・咸臨丸渡米150周年記念事業の話やら、来週に行われる「英国士官レキ研究会」についての話などで盛り上がったことだった・・・。
じゃぁ、また。