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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

古墓に 後生後生の 声が降る

2020年01月14日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は15度から19度、湿度は84%から64%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の15日は、冬型の気圧配置が次第に強まるが、概ね晴れる見込みらしい。

 

 107/53-79 36.3c-97% 64Kg 1023hPa,8c,56% 今日も体調は落ち着いている。尿は3000ccから4000cc、 便は三回で柔らかタイプ、ガスも出る。今も体中の水分を抜く作業と、今度は全体的に弱っている内臓からおもゆなんぞの流動食から栄養を摂る訓練をやっている。だから、体重は若干、増えているが危険なほどではない。

 

 今日は平日ということで、身体洗いや着替えがあった。なんだか、シャキ!として気持ちの良いこと。午後からはリハビリで、歩行訓練をやっている。動物は生きていくうえで、歩くことが必要な条件だという。

 

 本日の体重は64Kg、腹囲、おなか周りは103Cmと95Cm。目下の注目点である。これらが微妙に変化する。あと、おなかの張り具合とか、足のむくみ度なんか。あとはそんなに変化はない。

 

 懸案の「エンディング・ノート」の素案は出来た。プリンターがないので確認は後日。念願のブログもほぼ追いついて更新できた。昨年の補充分はおいおいと・・・。

 

 今日も、歩いてトイレに行けるようにリハビリをきちんとやりたいものだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「「私は正しい」すべての争いの根は ここにある」というもの。最近、いろんな出来事に対して、多くの人が、自分は正しいと信じて、SNSやツィッターで発信をし、一生懸命に行動されてるのを目にする。もちろん、正しいと信じる気持ちはとても大切だし、それを否定するつもりは毛頭ないが、ただ、どんなにそれが本当に正しいことだったとしても、その正しいことを追求するために、あるいは、守るために、それと反することを悪と決めつけてしまったとき、その正しかったはずのことが、今度は逆に、悪というものに転じてしまうことだってあると思うのだ。そして、そのことの、とても怖いところは、その当事者の人たちは、そのことに、なかなか気づかないということ。気がついたときは、取り返しがつかない(と思えるような)状況になっていることが、少なくないのでは、と思えてならない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


生き抜くと 決意で示す 黄蝋梅

2020年01月13日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は1.5度から11.3度、湿度は90%から58%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の14日は、引き続き、高気圧に覆われるため概ね晴れる見込みらしい。

 

 126/74-63 36.3c-98% 63.15Kg 1018hPa,5c,60% 今年は霜が降りて冷たい朝がない。また、体調に変化もない。

 

 今日は今年の成人の日。でも、事実は多くが昨日などにやってしまったような情勢らしい。詳しいことは承知していない。なにせ、この身は「病獄」みたいなところに幽閉されているようなものだが、近代戦の「テレビ受像機」はあるし、

 

 やや古くはなったが、「情報端末」としてのPCもある。是があるのとないのとでは、大きく違う。これがあると、まったく違う。とにかく、退屈はしないのだ。そうは言っても、これがあっても、まったく、これに触ることすらできなかったこともあった。

 

 これで血圧管理や財産管理、小遣い長からエンディングノートや確定申告まで楽しめる。今日も誰も顔を見せなかった。奥方ばかりが洗濯物を届けてくれる。

 

 今日の掲示板はこれ。「一年前の悩み事、言える人、いますか?」というもの。あぁ、そうだなぁ~。悩みのど真ん中にいるときは、不幸のどん底にいるような気分になるけれど、いつのまにか忘れてしまっているよなぁって思うことがあるもの。私も、数年前、左目の白内障という大きな悩みと苦しみを抱えていて、不安の渦中にいた。でも、山を乗り越えてしまうと、悩みというものが杞憂だったことに気づかさる。そんな当たり前のことを、身をもって感じられたとき、悩みの内容というか深さが変わるのではないのだろうか。時間の経過が悩みを薄めてくれるとは言わないけれど、悩みの種というものは、いつまでも悩みの種として残ってはいるけれど、でも、あるときふと過去を振り返ったとき、「あれ?あんなに悩んでいたけど、いつのまにか気持ちが落ち着いていたなぁ」ってこともあるものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


冬ざれて まばたきもせぬ だるまかな

2020年01月12日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で瀬戸内側を中心に概ね曇り、雨の降っている所があった。15日の香川県は、冬型の気圧配置となるため概ね曇る見込み。16日の香川県は、気圧の谷の影響で曇るらしい。

 

 117/69-61 36.1c-96% 63.1Kg 1015hPa,12,58% 。静かな日曜日になって、見舞客はなし。啓子おば(奥方)が、シエア4ポイントで3時間コース(お手伝い賃)。

 

 今日は香川県下六市町で成人式が行われたらしい。孫の「はやて」君も高松市での成人式に臨んだらしい。詳細は知らない。

 

 私は人見知りするほうで、こうした晴れの場は苦手だし、ふるさとまでの交通費がもったいないということで、仕事をダシにして欠席した。ただ、メッセージを送れ・・・というので、作文して送ったら、当時の委員長がみんなの前で代読してくれた・・・という田舎伝説が残っていた。

 

 ま。思い出なんぞは、はかないほうが美しくていいもんだ。

 

 病状のほうは変化がない。水分が徐々に下に降りて、おなかやおちんちんの水ぶくれは引いてきた。足のほうも、ふくらはぎあたりを下降中。食欲はなく、流動食をおいしいとも思わずに飲んでいる。

 

 今日の掲示板はこれ。「踏まれても 根強くしのべ 福寿草 やがて花咲く 春は来るなり」というもの。誰の歌かは不詳。他人の無礼や侮辱に対して、直ちに怒りを発し、為めに己を忘れるのは、小丈夫(しょうじょうぶ)の所為である。小丈夫の前途には、決して花咲く春はない。短慮一刻のひととなりを以てして、よく大事業を成し得た者は、古今東西、一人としてありはしない。また、歌自体にも様々なバリエーションが見受けられる。
(例)踏まれても根強く生きよ道芝のやがて花咲く春も来るらん
   踏まれても根強くしのべ道芝のやがて花咲く春もくるらん
   踏まれても根強く生きよ道芝のやがて花咲く春もくるらん
   踏まるとも根強く生きる道草のやがて花咲く春も来るらん
   踏まれても根強く忍べ道芝のやがて花咲く春は来ぬべし     etc

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


膨らんだ たんぽぽ畑に 明日がある

2020年01月11日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

  さぬき市地方は、気圧の谷の影響で雨が降っていた。11日のさぬき市は、四国の南を東進する低気圧の影響で雨となるらしい。12日の香川県は、冬型の気圧配置となるため概ね曇る見込みらしい。

 

 116/62-64 36.3c-97% 63.8Kg 1023hPa,8c,56% 今日も体調は落ち着いている。それしに、体重の上下が激しい。

 

 今月の家計簿はこんなもの。奥方のウドン代金やらお弁当やらと、紙おむつなどの医療消耗品が大きい。ついでガソリン代とか車の修理費、交際費なんぞ、月半ばのありさま。紙おむつも一日に数枚だから馬鹿にはならん。

 

 ここが私の収容されているフロアである。年末の四日間は013号床で一階のICUだった。今年からは三階のICUに四日間いた。この38号室であった。で、その後、37号のCCUに移ったことはご紹介した。反撃の女神がいるのは、すぐ横にある「南3」のスタッフ・ステーション。一般病棟は、その上にあるうぐいす色の部分である。女神はすぐ近くにいるのがわかっただろうか。これは、自分の意志ではないのも理解できるはず。運や縁はどこにあるかわからない。

 

 これが、そのとびらで、ナース・コントロールされている。

 

 これが、その南3の一般病棟看護師である。この中に、「反撃の女神」も映っている。(病院のHPを模写)

 

 こういう人である。これは昨年のもの。

 

 今日も誰も来ずに終わった。「啓子おば」の「シェア2ポイント:120分」だけだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「見る気がなければ何も見えない。聞く気がなければ何も聞こえない」という荒了寛さんの言葉から。だからと言って、何でも見たがって、余計なものまで見てしまって気になってしまったり、何でも聞きたがって、余計な事まで聞いてしまって不安に陥ってしまったりするのもどうかと思う。他人の事も、自分の噂も、事実とは違ってる事が勝手に出回っているということはよくある話である。そういうことに翻弄されない心構えが必要な時代でもあるなぁと感じる今日このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


優しさを そのままにして 寒椿

2020年01月10日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は15度から19度、湿度は84%から64%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の11日は、冬型の気圧配置が次第に強まるが、概ね晴れる見込みらしい。

 

 107/53-79 36.3c-97% 63.15Kg 1023hPa,8c,56% 今日も体調は落ち着いている。尿は3000cc、 便は二回で柔らかタイプ、ガスも出る。今も体中の水分を抜く作業と、今度は全体的に弱っている内臓からおもゆなんぞの流動食から栄養を摂る訓練をやっている。だから、体重は若干、増えているが危険なほどではない。

 

 県立病院に入院してから30日になった。お仕事をしている人ならば心配する時期だろうが、完全休業で気楽なものだ。今はブログの復旧作業をやっている。とにかく普通の状態に戻さねば、心配するお方が多すぎる。病気なんだから休ませてよ~・・・というのに、「どうした」、「どうした」と心配はありがたいのか、そうでないのか。

 

 今日もまた、「ビーバーみずほ」がやってきた。減った点滴台を見せながら、頑張っているところをアピール!!「待ってるよ~」に、「きっと、行くから・・・」の決意表明。病院でお誘いもおかしなものだが、反撃の女神、復活の女神は頼もしい。それは夢であり、未来であるように思った。

 

 今日の掲示板はこれ。「有漏(うろ)路より無漏(むろ)路へ帰る一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け」という一休禅師の言葉から。「有漏路」とは、迷いと煩悩(ぼんのう)に満ちた現世のこと。「無漏路」とは雑念のない悟りの世界、つまり極楽のことである。歌の意味を解釈すれば、「現世で過ごす時間など、あの世から来てあの世へ帰るまでの一休みの時間でしかない。だったら、雨が降ろうが、風が吹こうが大したことではない」この歌を聞いた師匠から、彼は「一休」という名をもらったと伝えられている。この一休禅師。悟りを開いたのは28歳のときだった。それまで、いくら修行に励んでも、どうしても悟りにたどりつけなかった。ところが・・・、28歳のある晩のこと。1羽のカラスの鳴き声を聞いた瞬間、悟りを開くことができたというのだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


正月も 安堵ため息 生き(息)づらさ

2020年01月09日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置は次第に緩んできたが、湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。気温は5.0度から8.0度、湿度は72%から58%R、風は7mから1mの西北西の風が一時は強かった。明日の10日は、気圧の谷の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 117/69-61 36.1c-96% 61.4Kg 1015hPa,12,58% 。昨年の入院の時もトイレに行っても何も出ず。呼吸困難になって睡眠不足になってトイレを徘徊したと、先のブログには書いてある。それでも退院しているのだが、私のおなかには何が生きているというのだえ・・・。

 

 今日は、成人式のために帰郷しとる孫兵衛の「はやて君」を連れて奥方が来た。ちなみに、私たち夫婦は、「きむら・じぃじ」に「けいこ・おば」と呼ばれている。もちろん、晋三クンやトランプ君は、そうは呼ばないのだけれど。

 

 孫のはやてクンは相変わらず手厳しく、入院後のブログは文字化けしたり、誤字脱字や変換がおかしいという。そんなバナナ・・・と読み返してみたが、確かに確かに環境の悪さで文字や文章になっていない箇所が幾つかあった。夜中の薄明かりで書いたり、PCを斜めにして書いたものがあったりする。

 

 午後からは、民生(民青ではない)の寺田宮司もやってきて、若い看護師をいろべだした。注:いろべる=からかう・邪険にする. 使用例=「あの子すぐ怒るけん、あんまり いろべんときよ(いろべられんじょ)」(阿波弁)

 

 今日の掲示板はこれ。「むつかしいお経を読めと言われて、「庄松助くるぞよ、庄松助くるぞよ」と読んだという。」という、小砂説教所跡にあったお皿のことばから。  上の一条は、勝覚寺の先代住職は庄松同行を非常に愛撫せられ居りしが、役僧の一人がそれをうらやま しく思い、一つ庄松を困らせて恥しめんとて、三部経の中の下巻を取り出し、庄松に向かい、「お前は有り難い同行さんじゃが、この大無量寿経の下巻の、ここ の御文を読んでみよ」と云えば、庄松の答えに、「庄松を助くるぞよ、助くるぞよとかいてある」と云われたと。

*「五劫思唯の大悲の本願も、ただかかる自分一人の為の御苦労であった、勿体なや」と御開山親鸞聖人は喜ばれた。わが身一人に、如来の本願を受け止める無学で経の読めぬ庄松の獲信、「庄松を助くるぞ」と読む・・・。これ、真の大経読解でもあろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


初時雨 目覚まし時計が 空回り

2020年01月08日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は5度から12.1度、湿度は84%から60%、風は2mから6mの西の風が少しばかり。明日の9日は、冬型の気圧配置で午前中は曇るが、午後は次第に晴れる見込みらしい。

 

 117/63-63 36.4c-92% 58.35Kg 1020hPa,8c,56% 昨夜も寝不足のためか身体が重い。「毎日が 寝不足なんです ぼくの部屋」、でも体重はとうとう、60Kgを切った。

 

 退院後はベッドを置こうかしらんと考えているが、ここは狭そう、ここにふすまなんぞの建具を入れて、私のベッドと介護士の奥方の布団を置けばいっぱいになるのか・・・。

 

 とりあえず、正面、一軒半、奥行き二間半で計算しても六畳少しにしかならんが、その計算がうまくいかん、すっかりと、耄碌したものだぜ、ふっ!

 

 こうした図面を引いていたころも懐かしいのだが・・・。

 

 今日は水曜日だというのに、娘が野菜ジュースの差し入れに来た。こうした生活では「カリウム」が不足するので、その補充用だという。多くはだめだがサプリメント程度に飲んでいる。

 

 そうそう、孫のはやて君が今年には成人式だという。20年はあっという間だな。海の家で楽しく暮らした日々が、今はもう懐かしい・・・・。

 

 ともかくも、今は「生還した」という思いが強い。おなかの張りもなく、おちんちんの水ぶくれも解消し、体重も60Kgを切った。足のむくみがまだまだ残るが、これも時間の問題。少しずつ、リハビリにつとめたいものだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「毎日の不思議を見逃さない そんな感性を持ち続けたい」というもの。見渡せば、私たちの回りには不思議がいっぱい。この私が生きているのも不思議だし、となりの奥さんが生きているのも不思議・・・。草が伸びるのも花が咲くのも不思議と言えばふしぎなもの。そんな不思議を見逃さない感性をいつまでも持ち続けていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冬さなか 反撃の指 前を向く

2020年01月07日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は15度から19度、湿度は84%から64%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の8日は、冬型の気圧配置が次第に強まるが、概ね晴れる見込みらしい。

 

 116/62-64 36.3c-97% 63.8Kg 1023hPa,8c,56% 今日も体調は落ち着いている。それしに、体重の降下が激しい。

  

 そういう情報は、背後のこのディスプレイが詳しい。が、あまり気にするのもよくないのか。

 

 さて、「反撃の女神」の話しをしよう。また、きむらのおっさんが、ボケ話をしよるがなぁと思うだろうが、昨日までは、これほどもあった点滴機二基やシリンダー四基が、さきほどに、整理されて点滴機一基にシリンダー一基になった。これで移動が楽になる。

 

 こちらが反撃の女神の通った跡・・・。むろん、「ビーバーみずほ」は担当外のために、これに触れることはできない。

 

 

 また、今までは、「室内から出ること不可!」だったのに、唐突に、「今日は一階のレントゲン室まで車いすでいきます」との緊急発令。「じぇじぇじぇ~」「どうかしましたか」「今日は休日で全館お休みのハズですが・・・」「患者さんが心配なさることではありません」とのことで、無人の本館一階を悠々と車いすは進む。で、レントゲン室前につくとドアが開いて撮影終了。

 

 つい最近には流動食の食事も始まったし、ものごとが急速に回りだしたようなきがする。むろん、私も、びーばー・みずほも何もできないし何もしていない。でも、復活の女神であり、反撃の女神なような気がする。真宗の坊さんの言うことではないのだろうけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「晴れた日と 雨の日があって ひとつの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって 私の人生が深くなる」というもの。

  「悲しみの意味」

   冬があり夏があり
   昼と夜があり
   晴れた日と雨の日があって
   ひとつの花が咲くように

   悲しみも苦しみもあって
   私が私になっていく
                   星野富弘

 「雨はイヤだ。」と言う人もいれば「恵みの雨」と喜ぶ農家の方もいる。病気をしたからこそ健康のありがたさがわかったり、空腹だからこそ、一つのおにぎり が最高のご馳走だと感じたり、辛く悲しい思いをしたからこそ、人のここころの痛みに寄り添えたりするように、悲しみも苦しみもあって私が私になっていく。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


黄蝋梅 夢の女神が 現れた

2020年01月06日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は1.5度から10.9度、湿度は84%から64%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の8日は、冬型の気圧配置が次第に強まるが、概ね晴れる見込みらしい。

 

 116/62-64 36.3c-97% 64.2Kg 1023hPa,8c,56% 今日も体調は落ち着いている。1/4までは70Kg台だったが1/5には66.8になり、1/6には64.2となり、この辺りが区切りとなったみたい。

 

 昨日は愛想の良かった「尾木ママ風」看護師が、今日は冷めたくなった。「自分のことは自分でやってよね」と言葉も冷たい。そうは言いつつ、昼当番の看護師らと、身体拭きや着替えを手伝ってもらった。

 

 さて、10時前になると「リハビリ」の時間になった。ベッドから恐る恐る降りて自立運動。足踏みなんぞをやっている間に、800万円のベッドが引き抜かれ、新しく、80万円のベッドが音もなく差し込まれ、「はい、座ってください・で、横になって・・・」と座ると、ベッドはお隣の「CCU:心臓血管センター」に向かって進みだした。それは、救命救急センター(ICU)からの卒業だった。

 

 CCUの特別室に移ったので、担当の看護師さんと話していると・・・。「あら、お久しぶり・・・」と現れた長身の看護師さん。「お久しぶりです」と答えながらもマスク姿の向こうを見ても見当がつかない。ただ、私に気さくに話しかけてくる人はたった一人しかいない。そう!昨年の担当看護師だった「ビーバー・みずほ」看護師である。この人こそが、「復活の女神」、「反撃」の女神なのである。

 

 彼女は、扉一枚隔てた向こう側の一般病棟にいる。彼女にお世話になるためには、この「CCU」をさらに卒業しないといけない。「じゃ、待ってるから・・・」と、みずほ女神は消えた。(画像は参考です)これは昼間のことで、深夜の「おばけ」ではない。私は再会を約束した。「きっと、行くから・・」と。

 

 今日の掲示板はこれ。「たとえどんなに辛くても 春を迎えぬ冬はない」というもの。同じような言葉に、「止まぬ風はない」、「あがらぬ雨はない」、「山よりでっかい獅子は出ぬ」、「明けない夜はない」、「来ない朝はない」などが思い出される。「秋が来ない夏はない」、「春が来ない冬はない」シリーズみたいなことだ。けれど、時計は逆回りはしないのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


春の日は あちらこちらで 声がする

2020年01月05日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で概ね曇り、弱い雨が降っていた。気温は9.5度から10.7度、湿度は88%から62%、風は3mから5mの西の風が少しばかり。明日の6日は、冬型の気圧配置が続くため概ね曇りの見込みらしい。

 

 119/70-68 36.4c-97% 66.8Kg 1016hPa,16c,52% なんか身体がだるい・・と思ったら、外は雨だった。ダイエット効果で、いきなり4Kgもの減量になった。だからと言って環境が変わるわけでもない。

 

 年の最初の日曜日だから・・・と待ってはいたが、とどのつまり、誰もお見舞いには来なかった。早くも、この話題は終わってしまったようだ。ま、私がおばかさんになったとか、じいじの「ボケ話」を聞いても面白くもないし、腹の足しにもならぬということなのかも。

 

 今日から、重湯や牛乳、スープ、みそ汁なんぞの流動食になった。これを、久しぶりだと完食したが、逆に腹が張って、呼吸困難になった。「ああ、ややこしや、ややこしや」。(当分、画像と本文は無関係)

 

 奥方が着替えなんぞを持ってきたが、リハリビリで足踏みをしたり、自立していて驚いた。

 

 今日の掲示板はこれ。「耐えてこそ つぼみふくらむ 梅の花」というもの。いつもの町内にある善楽寺さんの掲示板から。昨年末にはこの冬は暖冬だなんて気象予報士が自信ありげに口を揃えていたが、ようやくに”寒の入り”に恥じない気温になってきている。ネットで調べると万葉集で萩についで多く出てくるのが梅で、合計すると119首もあるそうだ。この「耐えてこそ 蕾ふくらむ 梅の花」は、「梅ちゃん先生」の梅子の名前の由来であったが、梅の花は辛い時期に耐えて幸せを迎える象徴的な花なのかも知れない。ふと見ると他の木々も春の準備を始めているようだし、梅の花も紅梅も、少しずつだが花びらが開いているように見える。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


お正月 終わってみれば ただの朝

2020年01月04日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夜は気圧の谷の接近で曇るらしい。気温は12.5度から18.6度、湿度は88%から60%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の5日は、気圧の谷や寒気の影響で曇る見込みらしい。

 

 血圧120/70 脈拍62 体温36.1c 酸素93% 体重70.4Kg 気圧1026ヘクトパスカル 室温10度c 湿度60% 今朝も暖かい朝になった。体調に異常も違和感もない。ただ、おなかが張るばかりだ。

 

 なぜだか、打って変わって、今日は笑顔連発、弁舌さわやか。尾木ママ似の看護師さんが、「どしたんならぁ、きむらさん」というほど。早速に、退院後の居住スペースやら電子機材の検討と紙だらけ、しわだらけ・・・。

 

 これは、ここのHP参照だが、真ん中の元気先生が私の担当医。そのほかのことには触れない。

 

 退院後も歩き回ったりはできないという。そこで、今の私の部屋(二階洋室10畳)から、一階の元母の部屋(さっちゃんち)と、リビング中央にある畳敷き6畳の「麻屋敷」の三ケ所があるが、そこに電子機器を接続すると評価はどうなるのという計算。二階は無理。リビングは宴会の邪魔。さっちゃんちは狭くけいこばぁが寝られないと、欠点ぼろぼろ・・・。うん、ギャグが出て来ぬ。

 

 今日からリハビリが始まった。ベッドから降りる、自立する、足踏みするの繰り返し。こんな些細なことでもできぬのだ。おもゆも、おかゆも、牛乳も出たが、いきなりでは無理みたいで、即座に中止になった。

 

 日の掲示板はこれ。「衆生の一切の苦しみのもとは欲と怒りにある」という「蓬茨 祖運(ほうし そうん)」さんの言葉。私たちの苦しみの根源は、「どうにかしたい」と言う欲望と、「どうにもならなかった」という怒りであった。私たちはそれを止めることができない。だから、私たちは苦しみ続けねばならないのである。私たちは生きている以上、欲と怒りをこの胸に抱きながら、苦しみ続けて行く生き物なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


松明けて 片づけすぎる 探し物

2020年01月03日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて、概ね晴れていた。気温は3.0度から10.1度、湿度は76%から56%、風は3mから4mの北西の風がすこしばかり。明日の4日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。  

 

 120/64-58 35.9c-98% 76.2Kg 1026hPa,6c,54% 今日も穏やかで静かなお正月になったらしい。今日も体調に変化はない。もう、19日目になるが、苦しさばかりの毎日だ。にょうが 出ない、便が出ない、それだからおなかが張って苦しいばかり。

 

 二日の正月礼が終われば、お正月はおしまい。早速に撤収が開始されて、みんな帰ってしまう。

 

 片づけを終わった奥方と、「とおる君」はお見舞いに来てくれた。お正月が終わった報告だった。すべての年賀状と・・・

 

 思いがけない方からのお手紙があった。

 

 FB友人の「にころこさん」だった。おじぞうさんの大好きなお姉さまで妹のような存在で、たくさんのお供え物もいただいてきた。今度はおいしい京都の「あめちゃん」だった。食べてしまって画像はないけれど。ここは、一応、写真撮影不可の病院である。

 

 お返しに、さつまいもを送ったけれど、届いたかしらん。今日は快晴で気分も体調も良い感じ。だからおばけの話も出ずにみんな笑顔。久々に奥方も笑顔。「尾木ママ風看護師さん」も笑顔連発。どうにかなるかなぁの予感あり。

 

 で、兄弟たちは早くも4月の「お花見会」を決めたらしい。うまくいけば、3月には「退院祝い」やら「快気祝い」もやるらしい。そういう家系なのだとか・・・。

 

 今日から、退院後のベッド設置企画なんぞの設計画面を引き始めた。俄然、にころこ・パワーの洗礼である。

 

 今日の掲示板はこれ。「一日を大切にする人は一年を大切にする 一年を大切にする人は一生を大切にする」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。年の初めに、こころしておきたい言葉である。「一秒を大切にする人は一分を大切にする 一分を大切にする人は一時間を大切にする 一時間を大切にする人は一日を大切にする」ということばが、この言葉の前についている。  

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


あきらめも ほどほどがよい お正月

2020年01月02日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は冬型の気圧配置で概ね晴れていた。気温は5.5度から9.0度、湿度は72%から60%、風は6mから3mの西の風が少しばかり。明日の3日は、冬型の気圧配置が次第に緩むため、概ね晴れる見込みらしい。

 

 117/74-61 36.5c-97% 76.2Kg 1028hPa,8c,62% 静かな、穏やかな朝になったらしい。ここからではわからない。体調は変わりない。

 

 今日は、我が家恒例の「正月礼」つまりは、「新年会」の日である。その「流れ」の一行がお見舞いに来てくれた。奥方の発令で、弟のたけし、娘婿のとおる、親戚のいとこにあたるトミ子、みさこの5名であった。ここでいうところの、「シェアー120分」みたいなものだ。

 

 今年のお参りは12人だか16人と不確か。新しい「木村一族」も参加したという。さて、そういう華やかな場所に居られなかった私は不機嫌。「昔は、おみまいというと、バナナや缶詰詰め合わせとかジュースとかあったけど、みんなは何で手ぶらなんぞい」などといって、失笑を誘ったり、顰蹙をかったり・・・。またまた、奥方の涙が流れる。

 

 元気さをアッピールしようとして、「おばかさん係数」ばかりを増やしてしまう。「もう、木村家本家も滅亡やな・・・」と、織田信長さんの若いころみたい・・・。

 

 本当のところ、入院患者は大変なんだ。病院に二台しかないマットレス・ベッドは単体で800万円の豪華貴重品。体重も自動で測れるというものだが操作がむつかしい。「頭を一番下まで下げて・・・そこで止めて・・・。一気に膝立姿勢から足を延ばして・・・・」

 

 今日の掲示板はこれ。「道 歩くから道になる 歩かなければ草が生える」という、相田みつをさんの言葉から。道は歩いてこその道である。歩き続けていれば道になる。歩かなくなったら草が生えて山になる。今日の新年会も「道」である。続けていくから「縁」がつながり、我が家への道ができる。これをやめてしまったら、縁は薄れ、我が家への道は途絶えてしまう。人もまた、歩き続けていればこその人生である。歩みをとめてしまったら、心の中に草が生えて目の前が見えなくなって道に迷い、人生に迷い、闇に迷うことだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


新年のご挨拶ばかりが 遅くなり

2020年01月01日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れてた。気温は14.5度から18.3度、湿度は94%から69%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の2日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、午後からは雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 129/59-59 36.6c-91% 76.3Kg 1031hPa,4c,55% まったく同じ姿勢でいるのも辛いものがある。尿はばるーん・・・という管で排泄するから、こちらが便利だが、うんちのほうは紙おむつだから思い切り「遠慮」がある。おむつ代、尿とれパッドやお掃除用の用品も必要。これらは患者側が負担する。

 

 おせち料理のできた奥方がやってきたが、私は「ここにはおばけが出てなぁ・・・」などと、いつものおばか話。奥方の目から涙が光る。

 

 年賀状を見せても無表情・・・。そらそうだ、この苦しい時に浮かれた年賀状なんぞむなしいばかりだ。それを見て、奥方の目から水が沸き上がる。「とうとう、この人は、こんなになってしまった。もう、治らないのかしら・・・」私には奥方の涙がわからない。 すれ違いの日々が続く。何人かのお見舞いの人も来たが、私には「恥」も「照れ」もあって、まともな会話にはならないし、口の中が乾いて日本語にもならない。それが余計に奥方を苦しませる。

 

 私からの年賀状が届かなかった人、ごめんなさい。昨年からことしは非常事態。鬼に笑われても生き返って、きっと、きっと年賀状を送ります。あてのできない約束です。

 

 今日の掲示板はこれ。いつもの赤松先生のお寺にあった言葉。「おたがいになあ 不完全 欠点だらけの人間ですがね」というもの。あいだみつをさんの言葉らしい。どこを見回してみても、完全で欠点のない人間なんているはずがない。いるはずがないとおもっていれば腹も立たない。そこに、この私が完全で欠点などないと思うから話がややこしくなってしまうばかり・・・。おたがいになぁ・・・で、納得したいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


年の暮れ 年の暮れこそ さりながら

2019年12月31日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響ではじめは曇っていたが、午後からは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は2.5度から8.8度、湿度は76%から58%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の1月1日は、はじめは高気圧に覆われて晴れるけれど、湿った空気や寒気の影響で、昼前からは雲の広がる時がある見込みらしい。

  

 129/59-59 36.6c-91% 76.3Kg 1031hPa,4c,55% 今朝は冷え込んだせいか血圧がやや高めで頭が重い感じ。体重は大きな変化はないが、尿も便も少ないのが気にかかる。気にかかっても、病院にいるのだからドクターや看護師に任せておくほかない。

 

 さて、巷では年末だし、お正月なのだが、まわりはそういう雰囲気にはない。ごく、当たり前の日々と時間が流れるばかり。私は013号ベッドで寝たきりのまんま。周りに展開される風景は映画のようで魔訶不可思議の世界。

 

 救急車しか通れない「サイレン道」、春の桜のころ、ここを数台の救急車が進んでいき場面は圧巻で、インスタ映えするし、秋の夕焼けの中を連続して進んでゆくさまも見事である。そうしたイベントを病院がやっていたり、歳末の感謝デーで観劇があたり、映画会があったりする。むろん、病院がそんなことをするはずがない。

 

 そういう夢想の世界を漂流しながら、まったくのおばかさん化していったと、奥方は言う。「これで、この人とはお別れするのかも・・・」と思うと悲しくなったという。

 

 ともかく、年末年始のころはそういう状態・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。この句は亡くなったわが子の傍らで悲嘆に暮れる妻の姿を見てなんとも苦しく悲しい心境を一茶が読んだもの。酷い喪失感を感じながらも必死でうなだれた顔を上げようと頑張っている。傷ついた人たちの切ない気持ちにも同調し訴えかけているように感じる。この世は霧のように儚いもの。いつ何が起きるか分からない。それは充分、承知の上ではあるが、分かってはいたのだが、それでもやはり・・・・・・と書いて一茶は筆を置く。心の中ではどうにも諦めきれないという悲痛な叫びを痛いほどに感じてしまう。底から先の言葉はもうでなかったのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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