目に見えない子(ムーミン谷の仲間達より)
世話になっている意地悪なおばさんから皮肉といじめにあい続けたために言葉を失って、姿まで見えなくなってしまった「ニンニ」
縁あってムーミンの家にあずけられる、彼女の存在は首にかけられた鈴一つしでか確認出来ない。
ムーミン一家はいつでも誰にでもそうであるように優しく彼女を迎え入れる、ムーミンはいつもの彼と同じように友達を大切に、ニンニを友達として迎え入れる、たくさん楽しく遊ぼうと。
ムーミンはけっして原作の中では良い子ではない、思いこみが激しいし無茶もする、ただいつでも友達を大事にして守ろうとするところが彼の良いところだ。
一方、ちいさなミーはやはり誰にでもそうであるように現実的で辛辣で本音で向かっていく、自分の殻に閉じこもってしまい感情すら表さないニンニに「たたかうってことをおぼえないうちは、あんたにはじぶんの顔はもてません。」と怖い顔をして詰めより係わろうとしていく、ムーミンとは対極だがミーの率直さもニンニには必要な事だ。
スティンキーのいたずらで洞窟に閉じこめられ怖い目にも遭うが、ムーミン達に自分の存在を気づいてもらうために今迄はか細い声しか出せなかったニンニは大きな声も出せる様になる。
ニンニが少しずつ姿が見える様になるのはムーミンママの大きな大きな愛情と優しさ、そして気配り。そして、それを適度に距離を置きながら大局的に見つめているムーミンパパ、ムーミンの家族達は社会に於けるそれぞれの役割を自然に表しているシンボル的な扱いなのだろう。それぞれが個性的にそして交流しつつニンニのために優しい雨を降らせ暖かな太陽の光を浴びせ彼女がここでは存在しているという気持ちにさせるように自然に振る舞う。
ママの優しさで完全ではないけど感情を表し始めた時少しずつ身体が現れてくる、しかし完全ではない。
ある日パパがいつものいたずらでママを驚かそうとした時、勘違いしたニンニが怒りの感情を表して「おばさんを、こんな大きな怖い海につきおとしたら、きかないから!」と桟橋の上で叫びながら立ちつくす、そしてついに小さな怒った顔が現れた、そう彼女は完全な姿を取り戻したのだ。
ムーミンの家族達一人一人の力が合わさりニンニに「自分」というものを取り戻させた。
目に見えない子……最近こういう子がたくさんいるような気がする。毎日の様に親からの暴力を受け、息を潜め耐えて耐えて耐えきれずに死んでしまったり、完全に自己を失ってしまったりするニュースが報道されている、そう言う子供達はニンニと同じような子供達なのだ。
おせっかいといわれても、まわりの者が気が付いたのなら救いの手をさしのべてやりたい、ムーミンの家族の様に。
普通に暮らす事は愛情や友情、勿論、戦いもあるし辛い事もあって、それぞれが守ったり守られたり攻めたり攻められたりと言う感情の中で自分の存在を表現していくことだ。
ちいさなミーの様に「たたかう」ことばかりでもダメだしムーミンの様に「楽しい」ばかりでもだめだけど、誰かに愛されていたい誰かを愛したい、そう言う人を持ちたいと言う事が「生きている」って事なんだ、それが小さな子供であったとしても、身近な誰かだとしても。
いつもこの物語を読むといつも考えさせられる、私は誰かを見返りを求めない愛というもので愛せるのだろうかと。
う~ん、まだまだだな。
世話になっている意地悪なおばさんから皮肉といじめにあい続けたために言葉を失って、姿まで見えなくなってしまった「ニンニ」
縁あってムーミンの家にあずけられる、彼女の存在は首にかけられた鈴一つしでか確認出来ない。
ムーミン一家はいつでも誰にでもそうであるように優しく彼女を迎え入れる、ムーミンはいつもの彼と同じように友達を大切に、ニンニを友達として迎え入れる、たくさん楽しく遊ぼうと。
ムーミンはけっして原作の中では良い子ではない、思いこみが激しいし無茶もする、ただいつでも友達を大事にして守ろうとするところが彼の良いところだ。
一方、ちいさなミーはやはり誰にでもそうであるように現実的で辛辣で本音で向かっていく、自分の殻に閉じこもってしまい感情すら表さないニンニに「たたかうってことをおぼえないうちは、あんたにはじぶんの顔はもてません。」と怖い顔をして詰めより係わろうとしていく、ムーミンとは対極だがミーの率直さもニンニには必要な事だ。
スティンキーのいたずらで洞窟に閉じこめられ怖い目にも遭うが、ムーミン達に自分の存在を気づいてもらうために今迄はか細い声しか出せなかったニンニは大きな声も出せる様になる。
ニンニが少しずつ姿が見える様になるのはムーミンママの大きな大きな愛情と優しさ、そして気配り。そして、それを適度に距離を置きながら大局的に見つめているムーミンパパ、ムーミンの家族達は社会に於けるそれぞれの役割を自然に表しているシンボル的な扱いなのだろう。それぞれが個性的にそして交流しつつニンニのために優しい雨を降らせ暖かな太陽の光を浴びせ彼女がここでは存在しているという気持ちにさせるように自然に振る舞う。
ママの優しさで完全ではないけど感情を表し始めた時少しずつ身体が現れてくる、しかし完全ではない。
ある日パパがいつものいたずらでママを驚かそうとした時、勘違いしたニンニが怒りの感情を表して「おばさんを、こんな大きな怖い海につきおとしたら、きかないから!」と桟橋の上で叫びながら立ちつくす、そしてついに小さな怒った顔が現れた、そう彼女は完全な姿を取り戻したのだ。
ムーミンの家族達一人一人の力が合わさりニンニに「自分」というものを取り戻させた。
目に見えない子……最近こういう子がたくさんいるような気がする。毎日の様に親からの暴力を受け、息を潜め耐えて耐えて耐えきれずに死んでしまったり、完全に自己を失ってしまったりするニュースが報道されている、そう言う子供達はニンニと同じような子供達なのだ。
おせっかいといわれても、まわりの者が気が付いたのなら救いの手をさしのべてやりたい、ムーミンの家族の様に。
普通に暮らす事は愛情や友情、勿論、戦いもあるし辛い事もあって、それぞれが守ったり守られたり攻めたり攻められたりと言う感情の中で自分の存在を表現していくことだ。
ちいさなミーの様に「たたかう」ことばかりでもダメだしムーミンの様に「楽しい」ばかりでもだめだけど、誰かに愛されていたい誰かを愛したい、そう言う人を持ちたいと言う事が「生きている」って事なんだ、それが小さな子供であったとしても、身近な誰かだとしても。
いつもこの物語を読むといつも考えさせられる、私は誰かを見返りを求めない愛というもので愛せるのだろうかと。
う~ん、まだまだだな。
でも拙者の中では妖精ってフェアリーとかの華奢なイメージがあるんですよ。
なのであの体型で妖精っていわれても・・・(笑)
トロールは白雪姫のこびと達とか指輪物語とか結構グロテスクですよね、あれに比べれば大分可愛い♪