GSゲルマニウム原人の退屈な日々

見わたせば、気になることばかりなり・・

ブルースセッションでもどう?

眼のある風景~夢しぐれ東長崎バイフー寮~

2007年06月29日 00時41分08秒 | 徒然なるままに
劇団文化座の俳優座公演「眼のある風景~夢しぐれ東長崎バイフー寮~」を観た。

題名からもわかるようにこれは私が大好きな画家「靉光」をモチーフに戦中の若者達の不安や葛藤を描いた芝居だ。

芝居では'70年に起きた近代美術館鉄パイプ事件をきっかけに話を進めている、実際の事件はよく覚えているが'80年11月のことだった。多く破損させられた絵は梅原龍三郎の作品、犯人は実際には自称後期印象派と称する画家だった。芝居はもちろんフィクションなので、架空の登場人物で靉光と同じ時期生きて、筆を折った画家の息子という設定にしてあった。

この芝居の中心にあるのは、実は靉光ではなく戦時下の不安や焦燥、失いかけた未来に翻弄されている若者達だ。そう言った意味できっかけとなった鉄パイプ事件を象徴的に1970年にしたと言うことに意味があるのかもしれない。

そう1970年とは、同じように世の中を変えることが出来るかもしれない、国家・体制に対する不満を持ち何か発言しなくてはと思っていた若い青年達が70年安保に敗北した象徴的な年なのだ。

このバイフー寮の若者達のように当時の私たちも(最後の最後その残像の70年代にひっかっかったギリギリの世代だが)どこかに集まっては酒を飲み、怒鳴り合い、泣き、それでも世の中を変えることが出来るという幻想を観ていた。
そんな世の中に対する怒りのあまりこの芝居の登場人物の鳥井三郎(津田二郎)のようにアウトサイダーな生き方に落ちていく者、しがらみに負けて転向する桜井政男(中村公平)のように就職活動をする者、色々な者がいて色々な人生があった。

この芝居はすべて同じセット上で、時系列のみの変化で進められていく。

文化座の重鎮佐々木愛はさすがの演技、重さと軽さを合わせ持った素晴らしい演技だった。メインのキャラクター靉光を演じる白幡大介は写真等で観る靉光よりは画家としての混沌とした雰囲気はないが後半、靉光自画像のような姿勢や視線の高さが見えてきて良い。
靉光をとりまく創作の人物では鳥井三郎を演ずる津田二郎に昭和を観た、出演者の中で確実に戦後の闇市や混沌とした社会に生き続けた姿を想像できるのが彼だった。同じ画家仲間の寺西政明役の佐藤哲也は非常に自分のキャラクターを知っている人ではないだろうか、舞台の中で一番生き生きしていた印象がある。特高警察佐々木信介役の阿部勉のいかにもな演技も捨てがたい、やはり体制側の小役人はこうでなくてはいけないと言うような安心感がある。
全体的に他の出演者も良い出来で2時間20分という長い芝居だが飽きさせることなく観ることが出来た。

あえて、言うならば所々に出てくるギャグの部分で「現代」が見えてしまうこと。到来物の饅頭を食べるというネタのところで「早!」というようなまさに今のギャグが挟まるところがもしかしたら好みが分かれるところではないか。私的には一瞬、演じている役者自身の普段の姿が見えたような気がして若干気になった。それにしても、長い芝居の中での息抜き、歌舞伎の世界でもこの手のくすぐりはよく使う手なので悪いとまでは言えない。

とにかく、今回のこの公演は戦中の物語でありながら、私にとっての青春時代の物語のようでもありとても良い作品だった。

この芝居の存在を教えてくださったある素敵な女性に感謝を込めて、ありがとう。
コメント
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