長沙景岑和尚の法会で、竺尚書という人が質問をしました。
竺尚書
「 ミミズを半分に切ったら、両方がの頭が動きました
仏性(生命の根源)はどちら側にあるのでしょうか?」
長沙 「 妄想するな 」
竺尚書 「 でも動いております 」
長沙 「 まだ生命力が散っているからだ 」
ウサギ仙人思うに・・・・
自分の腕が、事故で切断されたとします。
「 切断された腕 」は、「 私 」なのか?
「 私 」ではない他の物体なのか?
それとも・・・
「私」 が二つに分かれたのか?・・・
自分の生命の本体は、どこにあるのか?・・・
こんなくだらない事を考えていても意味がない・・・
この質問の前提には、
「 目に映る現象のみが、生命である 」
という前提があるのではなかろうか・・・
それ故、長沙は
「 妄想するな!! 」
と一喝したのではなかろうか・・・
バラバラにされても・・・
砕かれても・・・
焼かれても・・・
決して壊れないモノ
これこそが仏性( 真実の自分 )ではなかろうか・・・
真実の自分とは、肉体ではなく・・
肉体に宿る霊
金剛不壊身( 砕いても壊れない強固なる実体 )
こそが人間のホントウの姿。
ココ掘れワンワン!!!
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