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退職後の日々を写真で記録

野口英世はなぜ間違ったのか(14)

2013-06-05 14:45:09 | 野口英世
時間は戻るが、野口がグアヤキルから上司のFlexner博士に出した手紙を見てみたい。



手紙のうち重要な部分を以下に書き出す。


グアヤキル、1918年9月2日
Flexner博士殿

私の先の手紙のあと、私は黄熱病の他の早期の症例から、その病気をモルモットに移すことができました。そのモルモットは人間の症例で起きる全ての傷害を示しました。
その病気を動物から動物へ移されるまで、その微生物を実験材料(血液、肝臓、腎臓、尿など)中と同様に人間にも検出するのは難しいです。
さらに、私は感染したシマ蚊(感染したモルモットを刺した)が刺す方法で、この病気をモルモット(3匹)に再現するのに成功しました。一方、黄熱病患者(2~4病日)の血液を吸った蚊での実験は多くの結果を示しませんでした。そしてこのシリーズの研究をやり遂げるには時間が短すぎます。
私は最初の株(Arias)の純培養を得ました。(略)
全委員会は明日帰国します。そしてDr.Kendallは彼の旅について語るでしょう。私は彼を何度か病院に来て病気の実験的再現を見るように誘いましたが、彼は実験室には近づきません。他の皆さんは私の仕事を見たがりますが、彼は私の仕事を知ろうとはしません。
私はもう一ヶ月、ここに一人で残り、この実験を完成させます。(略)野口英世 (以上)


この手紙で野口は感染したモルモットの血を吸った蚊が他のモルモットを刺して、その病気を移すことに成功した書いている。
黄熱病は蚊が媒介するすることが知られていたので、動物でこれを証明することは非常に重要である。
しかし、野口はこのことを論文に記載していない。しかも野口はワイル病を黄熱病と取り違えていることから、この実験結果はワイル病は蚊が媒介すると言っている事になる。この様なことは現在でも報告はない。ワイル病は蚊で媒介される病気ではない。
となると、野口はこのような実験を実施したかも知れないが、成功するわけがないのである。なのになぜこのような手紙を書いたのだろうか。これは大きな疑問である。野口は功を焦っていたのではないだろうかと思わざるを得ない。

コメント
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