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退職後の日々を写真で記録

野口英世はなぜ間違ったのか(32)

2014-02-03 13:52:44 | 野口英世
今回紹介する手紙は英世の恩師である小林栄から英世に宛てたものである。小林は猪苗代にあった尋常高等小学校の教師で清作(英世の幼少名)を高等小学校へ進むように英世の母に勧めた人物で、英世が渡米した後も、野口家の面倒をみて、郷土等の様子を常に手紙で英世に知らせていた。
下の写真は大正9年(1920)10月21日付けで小林が英世に送った手紙である(野口英世書簡集Ⅰ:野口英世記念会)。



1920年というと英世は既に黄熱病の病原体発見を発表し、メキシコやペルーを黄熱病研究のために走り回り、各政府から絶賛を浴びていた頃である。
この手紙の中で小林は「決して成功を急ぐべからず」「・・・今日迄の研究を予備として更ニ偉大なる研究続々成功して世界ニ大光明を放つの機会あるべき事感得せり毀誉褒貶を度外ニ見て愉快に従事可致候されども人ハ嫉妬心あることを忘るべからず之を避るハ謙譲温厚の徳風ニあることを思ふべし  人間を相手ニせず神仏を相手ニするの覚悟ある事肝要なりと在候而して人間の力にハ限りあり・・・」と述べている。
小林は子供の頃からの英世の言動を見聞きしており、たまに英世から来る手紙は自慢話が多いことから、心配になったに違いない。
英世はこの手紙をどのように読んだのであろうか。
小林の言うように謙譲な気持ちで、神仏を相手にする覚悟で研究していたならば、黄熱病などの研究での間違いは犯さなかったであろう。
最近、話題になった理化学研究所の小保方晴子氏の万能細胞「STAP細胞」の発見のインタビューで彼女の謙虚さを見たとき英世を想った。
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