ナーガルジュナというのは西暦200年頃のインドに出現した哲学者で、大乗仏教の根本思想を築いた人である。日本や中国では龍樹菩薩と呼ばれている。その龍樹は空について次のように述べている。
空とは縁起のことである。
私は長らくその言葉に違和感を感じていた。縁起とは「因縁によって生起する」つまり因果関係を意味するはずである。私の中では何とか屁理屈をつけて、この言葉を理解しようとしていたが、どうも竜樹の言葉は自分の実感にはそぐわないものを感じていた。
それが最近、中村元先生の「龍樹」を読んで疑問が氷解した。
「縁起」という言葉の解釈は、仏教の諸学派によって夫々違うが、龍樹が「縁起」というとき、それは時間的継起関係ではなく相依性(相互依存性)という意味であるということなのである。
相依性というのは、明があって暗があるごとく、世界のあらゆる要素は互いに関係し合うことによっ存在するのであって、なにものも単独ではあり得ないということである。
たとえば、山というのは単に周りより土や岩石が余分に集まっているに過ぎないものであり、谷や平野というものがなければ山はあり得ない。山そのものというものはどこを探してもないのである。
山は山に非ず、これを山と言う。
一木彫の仏像を見てあなたは有難がるが、それは実はどの木の中にも存在する。仏師がそれを作り出すわけではない。もともとそれはあったもののはずである。仏師が周りの木を削って、空気との新たな境界面ができることによって、それは姿を現したに過ぎない。いわば仏像は木質と空間との関係性において成立しているのである。
なんであれ、「そのもの」だけを探してもそれは見つけることはできない。あらゆるものは全体的関係性の中にしか存在しない。一切皆空とはそのことである。

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