禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

モラルは実在するのか?

2020-01-31 22:19:36 | 哲学
 新実在論者のマルクス・カブリエルは「モラルは実在する」と断言する。「子供を拷問する権利などというものは存在しない。(そんなことして良いはずがない。)」と言うのだ。そう言われてみれば、納得するしかあるまい。子どもを拷問するということに対する嫌悪感には確かに普遍性があるような気がする。しかし、世界には10才にも満たない子が学校へも行かせてもらえず働かされていたり、いたいけな少女が性奴隷として売り買いされている現実が少なからずある。そういうことを子供に強いることになんら痛痒を感じない大人もいるのである。もしかしたら、子どもを拷問することに快感を感じる大人もいるかもしれない。
 そう考えると、「実在するモラル」というのは、一般的な人間の傾向性に支えられているに過ぎないということになるのだろうか?  ひと頃、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という議論が巻き起こったことがある。多くの人々が人間の不条理さに不安を感じているからだろう。モーゼの十戒のように、明確な言葉で霊的な石板にはっきりとモラルが刻まれていて欲しいという願いがある。自分がそのように感じているなら、すでにモラルは実在しているとしても良さそうだが、人間は自信が持てないのである。良しとする生き方と欲望に常に引き裂かれながら生きている、不完全で不条理な存在だからだ。だから、神さまからはっきりと「殺すな」と言ってもらいたいのである。
 キリスト教徒なら神様からそう言ってもらえるから問題はない。では、神さまをもたない仏教徒はどうすればよいのか? 虚心坦懐に自分の胸に聴いてみるしかないだろう。
コメント (2)
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