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クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

第29回城下町小幡さくら祭り H-25- 4-14

2013-04-15 11:33:21 | 伝説・史跡探訪

昨年に引き続いて今年も小幡・武者行列見物の野次馬となるべく もうすっかり
散ってしまった桜並木の小幡に急ぐ。遅くなると 交通規制で駐車場探しに苦労するから。 甘楽総合公園の西端の大駐車場を目指したが入り口で混雑していたので
隣の関係者駐車場にそれなりの顔して滑り込み。
公園の中を出陣式会場の楽山園に向かう桜並木の遊歩道も葉桜の風情。



既に沢山集まっている観衆に混じってブラブラしていると武者行列参加者が
徐々に集まってきた。



楽山園の中も混雑してきた。子供たちの行列参加者が多いので付き添いの
父兄たちが多い感じ。



少年隊の揃い踏み、叱る様にポーズの注文が飛ぶから撮影者は殆ど家族たちか?



行列参加者たちは観客の求めに応じて気軽にサービス。





やがて9.40になつて開会の時間、ゲストたちが正面に立ち並ぶ。主催者の開会宣言で
出陣式が始まるがよく見ると何時ものお偉いさんではなく各人には色々な
幟が付いている。 どうやら昨日の信長サミットの参加者代表らしい。
信長サミットとは 織田信長公との関係を大切にして交流を深め、歴史と
文化を土台とした魅力ある 個性豊かなまちづくりを進めると言う趣旨で
加盟10市町で形成され今年で 25回目になるとの事(甘楽開催は3回目らしい)。
因みにその10市町とは天童市・越前町 ・岐阜市・安八町・名古屋市 ・小牧市・
清須市・近江八幡市 ・富士宮市そして甘楽町。



本日の特別ゲストは和泉元弥さん、集客には抜群の威力を発揮するだろう。
いつもセットの母親・節子さんはサミットだけの出席らしく本日は姿が 見えない。



サミット各市町の代表が挨拶、各人殆ど一分以内ながら信長との関係を簡潔に纏め。
最後に和泉元弥が壇上に。挨拶の後、信長が好んだと伝わる幸若舞・敦盛の一節を
朗々と謡い上げ会場はシーンとしてプロの技に聞き入る。 「人間五十年、下天の
うちを比ぶれば、夢幻の如くなり。 ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」
この謡は一の谷の合戦で、逃げ遅れた清盛の弟・平経盛の息子・敦盛を
熊谷直実(44歳)が捕らえ歳若いことに心を痛めたが、泣く泣く首を打つと
いうもの。 元々この台詞は人生のはかなさや世の無常を語るものであり、
信長が桶狭間出陣に あたって口にする「覚悟」の台詞とはいささか赴きがこと
なるように思えるが 信長の場合は「どうせ人生は五十年しかないのだから、
死ぬ気になって 思い切ってやってやろう」との感情が込められていた
ようである。 それ故に今日の出陣式にも披露したのであろう。



織田軍総大将役の勝ち鬨発声で出陣式は終わり行列も出発。



進行方面に先回りで急ぐと沿道は既に同じ思いの人達が列を成して移動中で
早くもカメラの放列。



少し離れた馬場からは騎乗者たちが準備万端整っている。







今年は外国人を含めて個人参加が非常に多くなり今まで一部に限られていた
武将姿も格段に多く女武者も目立。 元? 娘子隊。



先頭の二人は女武者。



右側の長髪も女武者?



毎回参加の黄門様ご一行。



娘子隊



ナギナタ隊



お姫様たち。



外国人の一団は陽気に沿道の観客と交歓しながら。







要所に入る騎馬武者も堂々の乗りっぷり。



和泉元弥は余裕たっぷり。



アレッ 何処かで見た顔。出陣式には居なかったから判らなかったがこの方は
多分、衆議院議員の福田達夫氏だ。ここは小渕優子の地盤の群馬五区なのに
四区の福田氏がどうして? まあ、新人だからご挨拶かな。
それにしても騎乗姿は堂に入っている。



武将姿の一般参加者たち











御馴染み、加藤氏を中心とする群馬甲冑愛好会の面々。





加藤氏は甲斐の加藤駿河守の末裔とか。甲斐加藤氏といえば源頼義時代から
の名跡と 考えられ、甲斐源氏に属して子孫は繋がり戦国になってから信玄の
旗本奉行・ 上野原城主として駿河守虎景が著名。さらに面白いのはその息子が
初鹿野家を継ぎ これまた、史上に名高い「初鹿野伝右衛門」の二代目となって
いる事だ。 桜並木を行く和泉元弥さんには大歓声が注がれる。



そうこうしている内に祈願式のために小幡八幡に入っていく。ここでは行事には
武将9人だけが拝殿に登って行われ、当然一般の観客も石段の上には行かれない。



ところが、爺イは図々しくも甘楽町の腕章を巻いたカメラマンと一緒に石段上に登り
カメラマンの据えた大型三脚の脇に関係者面して陣取る。 武将が勢ぞろい、
去年はゲストだった城之内早苗さんがここに参列したが 今年のゲストは石段下の
休憩所で待機させられている。



神主によるお祓い。爺イが最初に来た頃は未だ先代の神主さんだったが今は
息子さんに世代交代。



織田軍総大将が祈願文奏上して甘楽町の繁栄を祈願。



玉串奉奠。



直会で神酒を頂いて祈願祭終了。



神主挨拶の後、恒例の全員の記念撮影もなく散会。



一寸残って拝殿の天井絵を覗く。中央大枠内に龍が画かれ「法橋探雲ホウキョウタンウン
行年72歳筆」の署名。四周外側36の小枠に藤原公任撰による 「三十六歌仙」
の極彩色の肖像画に歌及び名が記されている。その他の小枠には、 花鳥・人物・
動物類が画かれている。  画者の探雲(1724~1812)は、江戸時代中期の人、
富岡市の出身で、 狩野探信に学び、花鳥画を最も得意としたという。



後半は距離が長く総合公園のお祭り広場に向かって行進。やや疲れ気味なのか
少々おとなしいが観客は又ぞろぞろと付いて歩く。 時々、勝ち鬨をあげたり
模擬鉄砲を撃ったりして観客にサービス。







後半の隊列から。









やがてこの大型の山車囃子に迎えられて広場到着。丁度正午で予定時間通り。



広場では午前中からのアトラクションが続いている。午後からも色々在るのだか
当方はpm.1.30からのヤクルト戦に大事な連勝が掛かっているので急いで帰宅。





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