クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

仏体山は大失敗 H-18-5-25

2006-05-26 16:00:00 | 中之条・小野上・みなかみ・沼田・渋川
昨日は仏滅でもあるまいに全く酷い目にあった。そもそもの始まりは
中之条の仏体山を目指した事だ。この山は登る人も殆ど無いらしく
各登山HPを見ても見当らないが唯一、「300選」には載っている。
但し、「急斜面が此れほど長く続く所は珍しいー」とあるので覚悟は
していたのだが。結果から言うと仏体山は撤退、カメラ紛失。
伊香保国際裏から35号線、「新巻」で右折して「市城信号」で353線
に突き当たったらもう一度右折、直ぐ先の左折林道を入って「宗福寺」前、
路傍に駐車していよいよスタート。

ここからは岩井洞の岩壁の西面、南方には二つ岳が良く見える。(10.50)


ここから目標まで水平距離1.23K、標高差515m。これは難物と
ビビリ気味。林道をそのまま進んで寺の裏側に廻り、案内書の通り石垣と
フェンスの個所から山手に入る。(11.02)

酷い荒れ道を倒木・篠藪と雑草の中を進むと、さっきの林道の延長を
横切って再び山道へ。一山越えるともう一度林道にぶつかり、今度は
少し下がったところの尾根に入り込む。最初から林道でもここまでは
来られるが、何処が突入口か判らないから山越えが多分正解。(11.19)
倒木の多い急登を何とか尾根を外さない様に登ると、今度は広い杉林の中
を進んで南北尾根に着き、ここは左(北)へ。(11.45)
少し平坦部を経て大コブへの鞍部、周辺の雑木は既に葉を繁らせて
いるので、見通しは全く利かないが兎に角前進。やがて案内書にある
「古い山道」に到着。ここを突っ切れとあるが篠藪が濃くて駄目、
ずっと左に移動して踏み跡らしい所から山に突入。雑木のためナビ弱信
で反応無いので唯ひたすら登る。再び平坦部、漸く目印の岩場が見えた。
(12.16)
ここは左に迂回の踏み跡を辿ったが何時の間にか沢に向って降りて
しまったので元の位置に引き返し、今度は強引に岩壁直登。ここを突破して
ジグザグ踏み跡を辿って行くと又もや大岩壁に遭遇。左から迂回指示なので
近くまで行ったが全面の絶壁でやり様も無い。(12.57)
少し撤退して右に迂回して僅かに空の見える場所を確保してナビで計測。
(13.22)
情けなくも2時間半も彷徨して水平距離で745m、標高で182mを
稼いだだけ。すっかり諦めて後日、横田さんに聞く事にして休憩で遅い昼食。
帰りは往路でめちゃくちゃに歩いたので、良く判らなくなったが兎に角方向
だけ決めて何とか「古い山道」にたどり着き、林道に出てからは山越えは
せずに、そのまま長々と蛇行する道を下り「宗福寺」着は14.40。
折角だから寺にある「市城の宝塔」を見物した。この宝塔は誰の墓かは
不明とは言え、吾妻三古搭の一つと云われる、応永21年(1414年)
の銘と円形輪部の四面に梵字。この時代、上杉禅秀の乱の2年前、応仁の乱
の五十年前。

宝塔前で写真を撮ってから数十㍍離れた駐車場所に戻り、車中の熱気を冷ま
して帰途につく。が、自宅に帰って吃驚、カメラと三脚が車に乗っていない。
慌てて寺に電話連絡して探してもらう間に中之条に引き返したが、僅か1時間
の間に誰かに拾われてしまったらしく見つからない。仕方なく警察署の
遺失物係にも届け出て、あとの近所への触れは宗福寺が任せろというので
御願いして高崎・市城ニ往復で一日終了。カメラは代替があるが内蔵する
四百枚以上の未処理の貴重な山写真の全てを失った。近いうちに標識を
設置する予定。

今日の写真は途中でメディア交換したので少し助かった。ボケの始まりだろうか?
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 呆気なかった「さるかけ橋」... | トップ | 仏体山リベンジ計画 H-18-5-27 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

中之条・小野上・みなかみ・沼田・渋川」カテゴリの最新記事