▼以前、ある障害を持ったお子さんのお母さんが口にされた言葉が印象に残っている。
「教育行政って面白いところですね。学校へ行きたい学校へ行きたいという子には学校に来るな学校に来るな言い、逆に、学校に行きたくない行きたくないという子には学校に来い学校に来い、と言う」
もう20年近く前、私が
月刊教育紙誌『ニコラ』の取材で訪れたある障害者支援施設での会話の一節だが、今でも鮮明に記憶に残っている。
▼その方のお子さんは車椅子を利用していた。だが、そのハンデキャップを除けばその子はいわゆる《普通の子》以上に存在感のある個性的で聡明な素敵な子だった。もしかすると普通の子以上に頑張り屋さんだったかも知れない、足が不自由というただそれだけのことで徒らに自己卑下することで集団に埋没したりお荷物扱いされたりしないために。しかし、一般に学校というところはそういう平均化されない個性豊かな子は来るなというところらしい(曲論かな?)。その後様々な曲折を経て今日に至るが、学校のそういう基本的な感覚は変わっていないかもしれない。
▼これは不登校の場合にも言えることだ。私が同じく『ニコラ』の取材で訪問した埼玉県の教育センターでの担当者とのお話しでもそうであった。大層丁寧な様々な資料を提示してくれての応対で、熱心さも感じられたが、
基本的に《学校は善であり不登校になる子どもの方に様々な(精神的等の)問題がある、いわゆる困った子ちゃん達である》という認識であった。資料もそれを跡づけるような検査データが用意されていた。
(
事象からどうデータを作り上げ、その生データをどう読み解くか──データの結果だけでなくそこが最も重要だ。最初に結論ありきという可能性はないと言えるか?)
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あれから20年近くの歳月が流れたが、果たしてどれ程の進展があったのだろうか?不登校を取り巻く状況は確かに表面的には変化している。例えば、その当時は一旦不登校になってしまえばそれから先の人生は真っ暗な状態だった。
恐らく日本で初めて、埼玉県と東京都において、まだ出来立てのサポート校等を従えて関東を中心とする不登校支援の10校の民間教育活動等の人達に参加協力してもらって(通信制高校や専修学校等の公的な教育機関の参加もあったが、まだ埼玉県では民間の施設も行政の対応もなかった)《不登校生のための進路相談会&実践報告会》という講演会&相談会を春と秋に毎年開催した。それで進路については《明るい光が見えてきた》《この子の将来が開かれてきた》という沢山の感謝の言葉を頂いた。
▼あの当時からすると、不登校支援は民間でも教育行政の側でも進んだかに見える。あの当時のような不登校に対する息苦しさはもうない。見方を変えれば、切実感も随分なくなったという気がする。それはそれで喜ばしいことに違いない。だが、それと同時に
不登校が問い掛けた根源的な日本の教育問題も雲散霧消しかかっている。子どもが本来楽しかるべき学校に行くことを拒否してまで、その全身全霊で訴えたものは何であったのか…?それは《お陰さまでうちの子はすっかり元気になり社会で頑張っています。有り難うございました》で済ませてしまっていいものだろうか?あれは間違ってかかってしまった《長期のおたふく風邪かはしか》のようなものだったのだろうか。そういう疑問が厚いヘドロのように心の水底に沈殿している。
▼今、その安易な解答は出すまい。まずは各自で考えてみられるといい。
※話は少し変わり、蛇足めいたものになるが、今、我が子が不登校になって一番悩まれるのは経済的な問題ではないかと思っている。これについては、教育バウチャーや民間教育問題等と一緒に改めて考えてみたいと思う。
※11月16日(金)はNPOニコラの年次総会。そのあと教育フォーラム「子どもを活かす親業のポイント─子どもの声 聞こえてますか?─」を予定。
参加無料、どなたでも。
認定NPO取得のための協力を募っています。
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「いきいきニコラ」のサイト
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