▼読売新聞8月28日付朝刊によると、文部科学省は来年度から公立の小中学校で35人学級を実現するために、来年度から8年間で教職員を約19,000人増やすという。これも政権交代によって、文科省と日教組が接近したことで実現可能になったことなのだろうか。自民党政権時代には互いに利権の睨み合いが優先し、教育がつんぼ桟敷に置かれてしまっていたことを考えると、まずは教育環境の小さな前進として歓迎したい。
▼学級人数の引き下げは、45人から40人に変えた1980年以来、30年ぶりのことだという。当時はまだ55年体制が健在で、教育問題も自民党と社会党の政策をめぐる条件闘争の道具に使われた。当時の教職員組合の関係者が言った言葉を今でも覚えている。交渉の席で、文部省の役人がこう言ったというのだ。「で、今度は、何人ですか?40人ですか?」と。
どう言うことか、説明がいるだろうか。海外の教育を調べれば見れば分かることだが、欧米では小中学校の場合、1クラス20~25名が普通である。そして、それがもっとも効果的な形態であることが実証されている。だから、当然日本でも子どもの教育を考えるのであれば、それを目指すクラス規模として掲げるべきである。だが、教組側からはそれが一切なされず、いつも「ここまでなら勝てるかな」「これなら飲んでもらえるかな」の条件闘争に利用されてきた。そこに教育の理想の実現の意識はなく、ただ勝ち負けの政争の具となった教育論争の姿があった。
▼政権交代によって自民党も野党になったことで実質的に悪しき55年体制は終りを遂げた。しかし、これによって全てがめでたしめでたしになるかというと、そう簡単ではない。今、党首争いは激化の一途を辿っているし、党内も保守革新が入り乱れ一枚岩ではない。それに、教育問題一つにしても、自民から民主に衣替えしても、それが必ずしもいいことばかりとは限らない。
現に、教職員組合と各地の教育委員会とのねじれ現象のようなものも起きているし、学校教育の様々な不備がそのまま正当化されかねない様相も見え隠れする。この時点においても、朝鮮学校の授業料無償化は各種学校の規定で通されるようだ。それ自体に異論はないが、それならばなぜ義務教育段階の不登校生が通うフリースクールはその対象にならないのか。なぜ、子ども達の学習権を雨ざらしのまま放置しておくのか。まるでバランスが取れていない。中身は一向に変わっていないのかもしれない。
今後の動向によって、現政権や権力の枠組みが教育の進展に相応しいものなのか否か、明らかにされていくだろう。教育を政治の具にはしたくないが、政治は否応なく教育の枠組みを振り回していく。そんな感じだ。
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