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旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

広島を歩く・・神楽、弥山登山

2018年11月01日 | 山陽道を歩く

広島を歩く・・広島城、平和公園、神楽 宮島弥山登山 (2018.10)

神楽見物を誘われて広島に行った

JRで新幹線時間表を貰ったら、いつもと違うピンク色を不思議に思ったが
その列車を途中で見ることが出来た

JR西日本の博多~新大阪を1日一本往復の「こだま」だった

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広島駅から在来線で白島駅で下車 「アストラム」乗換駅だった

見物は広島城からスタート 

堀の周辺にテントが並び 沢山の人が歩いていた
この土、日はフードフェスティバルとかで天気も良い行楽日和だ

  

広島城内は裏御門から入り、 広島大本営跡、被爆樹木を見て天守閣に行く

   

  

天守閣内部はいろんな展示があり、読んで楽しかったが写真は禁止

天守閣から平和公園側を写した写真が下記
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隣の護国神社は七五三参りの着飾った家族連れがいっぱいだった

   

 

広島に詳しい友人は平和公園以外の原爆の記録地を案内してくれた 

 原爆投下の爆心地 原爆ドームのすぐ近くだった

すぐ近くの袋町小学校も資料館で原爆を伝えていた 
コンクリート作りの建物だったので爆撃後、救護所として使われたそうだ

 

  被爆のドア、壁の杭炭化している
   

救護所の時の伝言板の文字が残る

地下室に下駄箱があったそうで、校庭に出る前に靴を履きかえていた子供3人が
この爆心地で奇跡的に生存したという  

日本銀行のコンクリートの建物も被爆して残る
この地下の金庫の中に被爆後の写真や資料が展示されていた


   

金庫の中にアメリカが被爆後に取った写真が展示されていた

  

 原爆ドームへ行く  外人観光客もしっかり読んでいた

  

平和の鐘を鳴らす小学生たちを見て、私達も打ってみた
余韻が長く残る鐘だった
  

折鶴館の折りヅルはあふれそうに詰まっていた

原爆の子の像の前には小学生が並んで黙とうして折鶴を供えていた

 

 

TVに良く出る平和公園

   

資料館は耐震工事中で展示は東館に新しく作られていた

被爆前の広島の写真、繁栄した街並みをワイドに見せている

次の部屋は、中央に上空から見た広島の町が映り 8月6日朝の様子に変る
投下の様子をビジュアルに見せていた
  

横の壁には被爆で破壊された街の写真が全面に貼られている

ここの展示は何回見ても胸に迫り 原爆の酷さに黙ってしまう

 

  

赤十字病院の展示はもっと酷い写真が多かった
  

資料館を出てほっとしたら、お腹が空いて、生きていることに感謝してお好み焼き店に行く
大阪とは違うソバの入る広島焼、焼いたのを鉄板に運んでくれた 

   

食後 白神社の神楽を見る
舞台下にゴザが敷いてあり、自由に座って見れる

  

「奉幣」は神に挨拶する   「塩払い」は四方を清める

  

「神武」は宮崎を出た神武が大和入る前に刃向う敵を倒す話

  

「恵比寿」の舞になると子供たちが舞台下に集まってきたのは、撒餌(お菓子)を拾う為だった

 

最後は「八岐の大蛇」で大蛇が暴れまわった

 

夜7時から 10時までしっかり見れた


 翌日は宮島へ 広電で行く 

10時に宮島に着く 塩は引き潮だった

 

紅葉谷のロープウェー乗り場から弥山登山開始する
ロープウェーは途中で乗り換える

 

   

獅子岩の展望台は広島湾の島々が見渡せた

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覗き筒が方向を固定してセットしてあり、覗くとその名前の島が見える仕掛けは面白い

 

目指す弥山を正面に見る

弥山本堂の裏は大きな岩がある
  

535mの頂上に着いた ここで持参のアナゴ弁当を食べる

  

屋上に上がって見晴らしを楽しむ

 

帰りは大聖院コースで階段を下る

途中で見た「干満岩」 潮に合わせて穴の中の水が満ち引きするという (本当?)

  

穴の中に水があったが、見下ろした鳥居も潮の中だった

 

石段の多いコースを下る

  

階段を下りてやっと大聖院に着く 前回この寺をパスしたので是非行きたかった所だ
正面石段を登る

  

観音堂の本尊は十一面観音菩薩である

上がって拝み 右側にチベット密教との交流の砂曼荼羅絵がある
TV宗教の時間で曼荼羅シリーズを見ていたのでぜひ本物を見たいと思っていた
「これを砂で描いたの」と思うほどカラフルで細かな絵図だった
チベット僧が儀式のための4人がかりで何日もかかり描くそうだ

  

宮島の弥山に無事登れて感謝する  新幹線で大阪に帰る

翌日から3日間 足は筋肉痛だった 特に階段の下りはひどかった

おわり