タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

関西を歩く・・富田林

2018年12月02日 | 関西を歩く

富田林 寺内町 (2018.11)

富田林のウォーキングに参加した
私は初めての地である


 クリックで拡大(元に戻すのは左上の→をクリック)

近鉄長野線を「川西」で下車して歩き始める 総勢約25名

先ずは「錦織神社」を目指すがその手前の川西小学校の旧校舎は有形文化財だった
「擬洋風建築」と言うそうだ 
文明開化の頃、日本の大工棟梁が西洋建築を真似て日本の技術で作られた建築

錦織神社
参道は直線で昔は流鏑馬が行われたそうだ
  

 天誅組の碑

錦織神社は2016年に屋根を葺き替えたそうで檜皮葺が美しかった
千鳥破風と唐破風が重なる珍しい形
  

拝殿の天井には古い絵馬と改装の寄付者名が掲げられていた

 

水郡邸 (にごり) 天誅組旗揚げの舞台 
天誅組とは尊王攘夷を掲げて大和の変を起こし、明治維新の先駆けと言われた

その水郡邸の屋敷は旧態のままなので史跡指定を受けている
樹木が生い茂り、土塀も壊れていたが今も住んでいるので内部は見れない

  

 水郡邸は荒れていたが周囲の家は立派な瓦の家が多い
   

富田林寺内町に入る
寺内町とは一向宗(浄土真宗)寺院を中心に作られた自治組織の町
普通は環濠集落だが富田林の寺内町は高台にある
水の便が悪いので入口に「町中 くわえきせる ひなわ無用」の標識がある

 クリック

道路が整備されて旧家が並んでいた

 

  

 

旧杉山家住宅を見学
富田林八人衆の富豪の家 娘は「石上露子」 与謝野鉄幹の明星に詩作を出す美貌の才媛

造り酒屋もやっていて使用人は70人も居た由 立派な家だった

 

説明を聞いてから内部を見る
現在は富田林市が管理しているから手入れが出来ている
お庭もきれいだった
  クリック

娘の石上露子の希望で作られた洋風の廻り階段 と 大きな仏間

  

ヒノキの一枚板の舞台 と 書院

  

寺内町の中心の興正寺別院

 

じないまち交流館で自由解散 JR富田林駅から帰宅する

歩行距離  8,500歩

河内平野がこんなに昔から文化の中心だったことが判ったウォーキングだった

おわり



最新の画像もっと見る

コメントを投稿