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タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

エジプト旅行 ④

2009年01月30日 | 海外旅行

ブログ下 エジプト旅行③ から続く

アレキサンドリア

カイロから列車でアレクサンドリアに行きました 地中海に面したアレキサンダーが作ったローマ時代からの都市です 
列車はイギリス方式で 一等車でしたが綺麗ではなかったです 冷房が効きすぎてみんな震えあがりました これがサービスらしいです
観光はポンペイの柱、カタコンベ、と美術館を見ました

 

 

 エジプトその他

エジプトは農業国だそうです ナイル川沿いに手入れされた畑が広がっていました 必ず水路作られていて、水を大事に使っている様子が判りました 農作業にはロバが使われていて、畑や道路を歩いていました

エジプトはほとんど雨が降りません だから屋根がいらない?と思うほど家の屋根は粗末でした  
左はホテルから見下ろした街並みで、スモッグひどくてはっきり撮れていませんが、屋上は雑然としてました
右は 田舎の民家で完成した感じのない家です ロバや牛を飼って一緒に生活をしているそうです
 

   

イスラムの国なので男性はゆったりした長い服を着て、女性は必ずスカーフをしています
写真左は客待ちのロバ車(簡易タクシー) 右の写真の女性が伝統的な服装です

 

 

これでエジプト旅行記を終わります


エジプト旅行 ③

2009年01月29日 | 海外旅行

ブログ下の エジプト旅行② から続く

ピラミット

ピラミットはやはり壮大でした 多くの観光地は写真よりも迫力なくてがっかりすることが多いのに、想像以上の大きさに圧倒されました 一個の石の大きさが凄い! これが4500年も前に作られた? 本当に謎と思いました

クフ王の墓の内部に入りました 1日300人の限定だそうです 細い階段を下って、登ってたどり着いた所に、写真で見る小さなふちが欠けた石棺がありました  下の写真が内部に入る入口です

隣のカフラー王のピラミットには石灰岩の化粧石が残っていて、昔のピラミットは美しかっただろうと思いました ピラミットの石は年月を経て砦や住居に使われて今の形になったそうです

 

下の写真はサッカラの階段ピラミットと屈折ピラミットです 階段ピラミットは 4660年前に作られた一番古いもので、日干し煉瓦が見えていました この他にも沢山のピラミットが残っていて、それぞれのファラオ達が工夫した様子が見れました

   

私が驚いたのは、この階段ピラミットの付属の祭殿でした きっちりした石組の建物は最近建てたと言ってよいほど美しかったです これが4600年も前のものなら、メキシコのティオティワカン、クスコの町の石組もこの技術が伝わったはずと確信しました

 

ピラミットのスフィンクスはエジプト観光の目玉なので、一緒に写せるカメラポイントは観光客で一杯でした
「ここで撮らなきゃ来たと言えない」と私達もしっかり写真をとりました

 

ブログ上 エジプト旅行④ に続く 


エジプト旅行 ②

2009年01月29日 | 海外旅行

ブログ下の エジプト旅行① から続く

ルクソールからバスで途中を観光しながらの移動しました アスワンへの観光客の移動はクルージング、寝台列車、観光警察付きのコンボを組んでのバスだけにされています(アスワンダムのテロ防止のため?)

途中のナイル川にはホテルを兼ねた立派な船が止まっていました

 

 エドフ ホルス神殿

ホルス神殿はハヤブサの神を祭った神殿で、繊細な浮彫が美しい神殿でした 紀元前250から建てられた他に比べると新しい?遺跡でした ここの列柱もまた見事です

 

 

オム・コンボ

昔ナイル川には沢山のワニが居たそうです 人々は犠牲が多いのでワニを神様にして祭りました 新王国時代(3500年前)からです ワニのミイラが大切に保管してありました この神殿にはクレオパトラのレリーフもあり、最古のカレンダーもありました

  

 

 切りかけのオベリスク

アスワン地区は美しい石灰岩が採れる場所として有名でした その石切り場に、途中で割れてしまった切りかけの大きなオベリスクが横たわっていました 以前の本で見ると人が上がっても良かったのに、今回は鎖が張られて入れませんでした、でもこの大きな石を道具もない昔によくも切り出したと感動しました

  

 

  アスワンダム

 エジプト国の命のアスワンダムは警戒が厳重でした バスの中から全体を見て、観光スポットで写真を撮るだけでした もしこの琵琶湖の7倍のダムが決壊したら、カイロ市は3mの洪水になるそうだから当然かもしれません また発電電力を売って外貨を得ているそうですから、貴重なダムなのです

 

 

アブシンベル神殿

次の日は空路でアブシンベルに行きました
アスワンダムによって沈没する遺跡を、ユネスコがパーツに分けて移築工事をして現在の場所に移したもの 大変な工事だったと思うがパーツの繋ぎ目が見えて少し興ざめでした 移築前のラムセス2世の迫力はもっと凄かったと思いました

目の前に海の様なアスワンダムの水が光っていました この辺りから南はヌビア地方 昔は南部との交流が多かったそうです

 

ブログ上 エジプト旅行③ に続く 


エジプト旅行 ①

2008年12月25日 | 海外旅行

エジプト旅行

8日間のパック旅行31名の団体でエジプトを旅行しました
私達と同じにエジプトは初めてという人が殆んどでしたが、海外旅行経験者ばかりで、トラブルなしの旅行でした

旅行日程

1日目・・・・・関空発14:55(エジプト航空) カイロ着21:45 乗り換えて、ルクソール着00:30 ≪ルクソール泊≫

2日目・・・・・ルクソール観光 西岸(王家の谷など) 東岸(カルナック神殿など)≪ルクソール泊≫

3日目・・・・・バスにてアスワンへ エドフ、オムコンボで神殿観光後、アスワンダム観光≪アスワン泊≫

4日目・・・・・空路アブシンベルヘ アブシンベル神殿観光 空路カイロへ ≪カイロ泊≫

5日目・・・・・ピラミット観光 ≪カイロ泊≫

6日目・・・・・列車往復で、アレキサンドリア観光  ≪カイロ泊≫

7日目・・・・・エジプト博物館、バザール観光   夕方 空港へ ≪機中泊≫

8日目・・・・・12:40関空帰着

エジプト航空

飛行機は満席でした、カイロ直行なので殆んどがエジプト観光のパック旅行で添乗員らしき人が10人近くもいました
機内のサービスは悪かったです 出発は2時間遅れ、TVの画面は乱れるのに直しもしない状態でした

エジプト入国はビサが必要、15ドル入国時に旅行会社で手続きしてくれました(パック旅行の便利さです)

 

ルクソール観光

ルクソール西岸は「死者の都」と呼ばれ、墓所(王家の谷)として3500年前の世界遺産です 全く緑のない乾いた砂山のあちこちに穴があって観光できるようになっていました 各墓には入場料金が必要です

  

3000年以上昔の遺跡なのに、内部の壁に描かれた古代の神々やヒエログリフの文字が色彩鮮やかに残っているのが驚きでした ツタンカーメンの墓にも入りました
発見された埋蔵品は考古学博物館に行きましたが、彼のミイラはここに眠っていました

 

 

 

ハトシェプスト女王葬祭殿です (以前日本人観光客が銃で撃たれた所)

大きな山を背にして立派に堂々とした建造物でした 乾いて暑いところを頑張って上まで見学しました 女王の姿の並んだ立像も見事でしたが、私は壁に描かれた絵に感心しました 昔エジプトには牛が居なかったそうで、南部のヌビア人から買う時、はかりの両側に牛と金貨が同じ重さで買ったそうです

 

 

 

ルクソール東岸「生者の都」の中心建造物、カルナック神殿です

門前に並ぶスフィンクスは羊の頭をしていました 中に入ると壮大な石の列柱が並んでいました 写真やTVで見た通りでしたが、もっと大きく壮大でした 歴代のファラオが競ってアメン神に献納した結果です 列柱に刻まれた文字、オベリスク、これが4000年前の古王国時代の遺跡だそうです ほんとに凄いです

 

 

夜にルクソール神殿に行きました

夜の観光はよく判らなくて困りました 昼に見たカクナック神殿と比べたいのに、照明による雰囲気だけで、不満が残りました 8日のパックなら仕方ないかもしれませんが・・

ブログ上の エジプト旅行② に続く 


フロリダ旅行 Ⅴ

2008年06月03日 | 海外旅行

アトランタ

フロリダを離れて帰路に、アトランタを観光しました 

放送局のCNNのスタジオ見学を申し込んでいてくれたのに、1週間前にここ襲った竜巻の被害でクローズでした 

そう言われて周囲を見ると、ビルのガラスが壊れていました

 CNNを諦めて、近くのコカコーラ社を見学しました 料金が高かった割には宣伝ばかりの工場見学コースでした 

最後に世界のコーラの試飲ができました アフリカの味はスパイシーでした

 

アトランタで必ず思い出すのが「風と共に去りぬ」です 

作者のマーガレット・ミッチェルの家を見学しました 彼女のおじいさんが南北戦争の体験者だったそうです 

作者の家の内部は写真禁止、映画の方はOKでした 

グループでの英語の説明を聞くのに、孫たちを静かにさせて置くのはなかなか大変でした

 

 

ストーン・マウンテン

 私はアトランタにこんな山があるのを知りませんでしたが、 高さ252mの花崗岩の岩です 

その岩に南軍の英雄 ジェファーソン、デェイビス、ロバート・リーが立体的に彫られていました 

リーカーンやワンシントンの顔が彫られたマウントラシュモアの作者が彫ったそうです ロープウェーで上に登って、帰りは岩肌を下りました 

周辺は自然を楽しむ人たちへのパークになっています

 

 

 ナシュビル

テネシー川を渡ってナシュビルに入りました ここはカントリー音楽で有名です  

到着した後 街を歩いたら桜が満開でした 

街を歩いて夕食は生演奏のレストランで取りました 夜の街は寒かったです

 

 

ここから一路、息子宅へ帰りました   終わり 

 


フロリダ旅行 Ⅳ

2008年06月02日 | 海外旅行

野球観戦

孫たちはセントルイス・カーディナルスのフアンです 

アトランタ・ブレーブスとの練習試合が私達のフロリダ旅行中にあることが判って、計画の中に入れました

 月曜日だったのに、開場前の行列、試合開始には満席になって、アメリカ人の野球好きが判りました 

大きくない野球場だったのでプレイが間近に見え、観客も一球ごとに反応していましたが、日本のように派手な応援団はなかったです

 孫たちもスコアをつけて熱心に見ていました 4:2でカーディナルスが勝って良かったです

 

 

 ディズニーワールド

フロリダ半島の真ん中あたりにオーランドがあり、ここに世界中の人が遊びに来るアミューズメントパークが作られています 

その代表的な「ディズニーワールド」を2日間楽しみました 本当に遊ばせてくれるところでした
ホテルのキーカードが園内すべての支払いができるシステムで、金額を気にせず遊べました(後が怖い!)

 四つのテーマパークの内、マジックキンダムとアニマルキンダムに1日づつ行きました 

ガイドブックには「3日で遊ぶモデルプラン」が出ていますが、これはとても日本的で、アメリカ人は1週間以上かけて楽しんでいるようです 

ホテルやチケットも連泊するほど安くなるシステムになっています 

 

マジックキンダムはディズニーの映画の世界で、パレードの白雪姫やピーターパンはそっくりそのままの人が演じていました 

少女時代に見た映画の世界がそのまま有る様で不思議な気持ちになりました

アニマルキンダムはアフリカのサファリライドやマウンティン下り、ライオンキングを見ることもできました 

どちらも、歩き回って、待ち時間は長く体力が必要と思いましたが、沢山楽しみました 

  

 

 ケネディー宇宙センター

 オーランドの東側にロケット打ち上げのケネディ宇宙センターがあります 

ここのNASAバスツアーに参加しました 

ロケットはメインビルで組み立てられて、発射台へ引いて行かれるそうです 

の道路の大きかったこと!! また、サタンロケットの噴射口も巨大でした 

  

 

またこの一帯は湿原で自然が保護されていて、ロケットの説明の間に、

「そこに、鷹がいる」「イノシシがいるよ」「雛を育てている巣があそこに」と

英語の説明に私はワンテンポ遅れてキョロキョロしていました

 

セント・オーガスティン

 アメリカ初期の町の一つで港に面した 静かな歴史的な町です

個々の建物の特徴は木の板で壁や屋根を作っています 

1750年ごろ建てられた最古の家は本当に質素でした また港には立派な砦がありました

 

世界のゴルフの殿堂にも行きました

敷地内に入ってその手入れされた美しさに圧倒されました 

流石、世界のゴルフ界が設立した殿堂でした この殿堂の中に、青木功、樋口久子、岡本綾子が入っていました 

次はだれでしょうか アイちゃん?ハンカチ王子?? 

  


フロリダ旅行 Ⅲ

2008年06月02日 | 海外旅行

キーウエスト

空港で息子一家と合流した後、今回の旅行のメインのキーウエストに向かって走りました

 私はここを日本の瀬戸内海の橋のようなイメージを持っていましたが、まったく違っていました 

半島先端のマイアミシティからキーウエストまで、大小の島をつないで100kmもあります 

だから、島内を走る時は対面車線の村道を走る感じで、海の上を颯爽と走る所はほどんどありませんでした 

ガイドブックの写真にある有名な「7マイルブリッジ」が長く海上を走っていましたが、ここも対面車線です 
キーウエストは走るのでなく「上空から見る方が美しい」と言われる意味が判りました 

私があまりに期待するものですから、車は私の運転で橋を渡りました。

が、走ってみると「こんなものかな」という感じでした 夢は追う方が良いと言いますが本当かも知れません 

も叶って嬉しかったです

 

 

 ヘミングウエーの家

 キーウエストでは有名なヘミングウエーの家を観光しました 

時は最高の家だったと思いますが、今では普通の家でした 「

これが最後の1ペニーだ」と言ったプールサイドのコインや6本指の猫も探してみましたが、

私は「これは素晴らしい」と思う所は無かったです (「老人と海」は読んでないです、だから??) 

 

 

南端&夕日

アメリカ本土南端の夕日を見に行きました 

沢山の観光客が集まっていましたが、すぐ隣に軍事基地があって軍の中の方が本当の最南端らしいです  

ただコンクリートのポールがあるだけですが、みんなここで記念写真を撮っていました 

私達も一家の写真を撮りました

  

 

 ドライ・トートガス島

キーウエストから西へ100km余りの所に「国立公園 ドライ・トートガス島」があります 

メキシコ湾とキューバに近いために砦が作られています

この形が六角形(亀=トートガス)なのも面白い、 南北戦争時には北軍の捕虜収容所と使われたこともあるそうです 

今は無人島で、全島サンゴ礁で出来ているので、白浜、水がきれいで熱帯魚が見える浜辺を人々が楽しんでいます 

私達はここへの1日クルージングに参加しました 

  2時間半で島に着いた後は自由に過ごします

 砦観光、シュノーケリング、浜辺で日光浴と人々は楽しんでいました 

私は砦を回ってみましたが、上からでも熱帯魚が見えるほどきれいな水に感動でした

 島の陰にキューバからの難民の船が展示してありました

    

 


フロリダ旅行 Ⅱ

2008年06月01日 | 海外旅行

マイアミ

タラハシ付近のモーテルで泊まった翌日、マイアミに向かってドライブしました。 

つまりフロリダ州の付け根から南端まで、R75southからフロリダターンパイク(有料道路ですが、

日本より格安で全部走っても10ドル程度)に入ってひたすら南下しました  

気温が13度から28度に上がって服を半袖に着換えました マ

イアミはヤシの葉が茂ってリゾートでした 旧市街側のホテルに2泊してマイアミ観光をしました

   

マイアミビーチは長く直線が続いていました 

ヤシの葉が茂る道路は映画でマイアミとしてよく出る光景です 別荘、コンドミニアム、ホテルが立ち並んでいました 

北部の寒い地方の人たちにとっての人気のリゾート地とです 

ハワイと同じだと思いましたが、時代的にはハワイの方がこのマイアミをモデルにしたことになります

 マイアミは人工的に作られたリゾート地だそうです 

ラリヤが発生する湿地帯に運河を掘って、その土で造成地を作り、鉄道を引いて売り出して不動産バブルになったと、翌日行ったフロリダ歴史館で知りました

 下の写真はその資料館の中とマイアミ現代美術館です

 

 旧市街ではモノレールに乗って街を見ました モノレールが無料にはびっくりでした 

近代ビルが立ち並んでいました 

また、建築中のホテル?別荘?もありましたのでまだまだ開発中です 

  


フロリダ旅行 Ⅰ

2008年05月31日 | 海外旅行

3月に旅行した アメリカ旅行を書きます

息子一家は、夏に帰国となりそうなので、3回目のアメリカは南部とフロリダ行きを計画しました 

去年の初ドライブ旅行がうまく行ったので、同様な形になりました.   

彼等一家と合流後の計画は、去年同様に息子宅でいろいろ調べて手配してくれたので、

私達は期待以上の観光ができました 感謝です

行程

1日目・・・・息子宅発→ジャクソン付近泊          走行距離 477mile=736km

2日目・・・ニューオーリンズへ&観光            走行距離 152mile=243km

3日目・・・ニューオーリンズ→タラハシへ          走行距離 489mile=782km

4日目・・・マイアミへ                      走行距離 379mile=635km

5日目・・・マイアミ観光                      走行距離 48mile=77km

6日目・・・空港へ迎え合流                  走行距離 22mile=352km

7日目・・・ドライトートガス島へ                走行距離 8mile=13km

8日目・・・キーウェスト観光                  走行距離 196mile=314km

9日目・・・野球観戦後→ディズニーワールドへ      走行距離 227mile=362km

10日目・・ディズニー観光終日                                ドライブなし  

11日目・・ディズニー観光終日                                ドライブなし 

12日目・・宇宙センター観光後 オーガスティンへ    走行距離 77mile=282km

13日目・・オーガスティン観光 サバンナヘ        走行距離 415mile=486km

14日目・・アトランタへ 観光                 走行距離 66mile=105km

15日目・・ストーンマウンテン観光 ナシュビルへ    走行距離 258mile=413km

16日目・・ナシュビル→帰宅                走行距離  243mile=371km

                       合計走行距離  3400mile=5440km

 

 ドライブについて

 アメリカは車社会なので、道路表示が判り易く整備されていて走りやすかったです。 

州をつなぐ道路は、インターステートと呼ばれて、東西方向は偶数で、南北は奇数の番号が振られています 

中央分離帯が広くて片道2車線の直線道路で、制限速度は70mile(110km)です。 

道路横に州を起点とするmile距離が表示されていて、その番号が入口、出口の番号になっています 

料金は無料ですから、出入りは自由でゲートはありません 

道路地図に番号が記入されているので照合しやすいです 

AAA(日本のJAFと同じサービスをする)では、州や都市の地図を販売しているので、息子宅で通る州の地図を集めてくれていて助かりました 

車にはナビも付いていますが, 英語の指示なので、私は地図の方が見やすかったです。

今回の私達のドライブのスタートはR55south93から入り南下、メンフィスで州道R78eastから入り、85でナチェストレイルへ入る とこんな具合です

自分達が走る時は、宿泊の予約はせずに、

道路沿いに出る看板を見て、ガソリンスタンドやモーテル、食事の場所を見つけました

 下の看板はEXIT329にはこれらのガソリンスタンドがあるという表示です

  

  

 ナチェス・トレイル

 

「地球の歩き方」の本に、このナチェストレイルのドライブが、自然の中のドライブで看板もなく快適、と書いてあったので、R55から外れてR78に入りました 

ところが日本の国道と同じで、一車線の対面交通でした 

対向車が思ったよりも多くて、スピードも速く怖かったです 

R55の分離帯のあるインターステートの方がドライブは楽と思いました

  
サイプレス・スワンプ

沼地に生える巨木、沼杉です  水面に反射した樹木の姿は不思議な雰囲気でした 

 私はこれを写真で見た時、是非見たいと思った場所です

ニューオーリンズ

 

ニューオーリンズは低地の都市でした 
行くまでの道路横には沼杉は生えていて沢山の橋を渡りました

右はホテルの部屋からみた街で、路面電車が走っていました アメリカでは珍しい風景です

  

ここの町の特徴はテラスの「鉄レース」です 旧市街の建物は競うように鉄レースがありました 

また、ガス街灯がありました これは、ボストンの町と同じで、ニューオ-リンズとボストンは同時代に発展した都市だと知りました 

  

夕食は「オイスター・レストラン」で、牡蠣のチーズ焼きと生牡蠣を食べました。 

海外で生ものを食べることは、警戒する人もいますが、私達はいつも楽しんでいます

 食事の後はジャズハウスに行きました 1ドリンク3ドルで生演奏が聴けました

 

タラハシ

ニューオーリンズからR10eastを東向って走りました 

下の写真はLake Pontchartrainを渡った時です

R10はメキシコ湾沿いですが 海岸から内部を入っているので海は見えませんでした 

タラハシはフロリダの州都です 

官庁と大学の町なので観光するところはありませんでした 

スパニッシュモス(樹木に寄生するコケ?)のついた木々がこの辺りの特徴です  

夕方5時過ぎにトイレ休憩で寄ったショッピングエリアで官庁帰りの人がウォーキングマシンで汗を流していました 巨体の人が多く壮観でした

 

   

 

 


ウズベキスタン 旅行

2007年07月29日 | 海外旅行

ウズベキスタン旅行

ポスターで見たこの場所を自分の目で見たくて、ウズベキスタンに行きました

1991年にソ連解体で独立した国。

中央アジアにある内陸国で、国土は日本の1.2倍だが、砂漠が大半、殆んど雨が降らない。

アラル海に流れる二つの川のオアシス国家、シルクロードで栄えた所です

 

ウズベキスタン旅行 8日間 

1日目・・・関空発12:45 ウズベキスタン航空 タシケント着17:15 タシケント泊

2日目・・・国内線でウルゲンチへ  ヒヴァ観光    ウルゲンチ泊

3日目・・・バスでキジルクム砂漠通過 ブハラへ ブハラ観光   ブハラ泊

4日目・・・終日ブハラ観光    ブハラ泊

5日目・・・バスでシャリフサーブスへ 観光後 サマルカンドヘ サマルカンド泊

6日目・・・終日サマルカンド観光   サマルカンド泊

7日目・・・列車でタシケントへ  タシケント観光   タシケント発21:05 機内泊

8日目・・・成田経由   関空着11:35


 

ウズベキスタン  ヒヴァ

ウズベキスタンの北部に位置するヒヴァから観光を始めました 
「イチャン・カラ」といわれる城壁で囲まれた部分が世界遺産になっています

  
左 現在はホテルになっている元神学校の入り口です
  右 王宮内のタイルの柄 唐草模様の連続です

 

 
1910年に建てられた、神学校とヒバで一番高い塔(登れます)

 

 
多柱式建築のモスクです

木製で彫刻された柱が3m間隔で213本立っていて、柱の柄はそれぞれ違っています 
柱は土台の石ノ上に乗っているだけで、間にラクダの毛が挟まれています これは地震から守る為だそうです

 


キジルクム砂漠

3日目は移動日で、7時間かけて、キジルクム砂漠を走りました

砂漠といっても植物のある土漠でした  
道路は対面車線のでこぼこ道、車は少ないけど、真ん中を走って譲らないのが怖い

 

途中の道では 家畜の放牧が見えたり、家畜の横断でバスがストップもありました
砂漠の中にトイレは無くて、男女が左右に分かれての「青空トイレ」を体験しました


 

ブハラ

 
1911完成のブハラ・ハーンの夏の宮殿 内部の白い謁見の間です
左は漆喰を彫っての装飾、
右は漆喰の上にフレスコ画です 「スゴーイ」と皆が言いました

 

   
ブハラのシンボル、カラーン・モスクとミナレット 
右は モスク内のメッカを示す「ミフラーブ」です

 

  

螺旋階段を登りましたが、中は暗く、階段の高さが揃ってなくて大変でした

モスクには、必ずミナレットが付いていますが、これは、お祈りに時間を知らせる為、
砂漠のキャラバンの目印の為、犯罪者を落とす死刑場にも使われたそうです

 

具象画を禁じられているイスラムで珍しい門です
太陽の顔と鳥が描かれています 


 シャフリサーブ

 

チムール帝国の王宮があった所が公園になっていてチムール像が立っています
ソ連時代はレーニン像だったそうです
後ろ見える門を真下で見たのが右の写真です
下は塔の上から見た公園の様子


サマルカンド


 
レギスタン広場の正面にある、ティリカリ・メドレセです
修復された内部は、まばゆく輝いていました

 
サマルカンドで最大のビビハニム・モスクと、前のコーランを置く台(ラウヒ)
ソ連時代は綿花の倉庫に使われていたそうで、正面は修復が済んできれいですが、内部は荒れたままでした

 

 
ティムール一族が眠る グリ・アミール廟
チムールはウズベキスタンの英雄です この廟は修復されて内部はピカピカ
夜はライトアップされていました

 

 
シャーヒズィンダ廟群

外から見たら、土色の内部は青色の競演でした
関西の高野山のイメージで高僧やお金持ちが競ってお墓を作りました

 
また、ここは装飾のテクニックの競演でもありました
左はテラコッタ(彫られています) 右はモザイク(張り合わせ)

 


タシケント

 
ナヴォイ・オペラハウス
ソ連時代に完成した劇場 この劇場は戦争捕虜の強制労働で建設されました
日本人捕虜も働いたとプレートにありました
内装が素晴らしいとガイドブックにあったので期待したが見れなかった

 
墓地の入り口の門と日本人墓地の鎮魂碑
白い大理石其々に地名と人数が書かれていました


食事

  
野菜料理が多く必ず前菜に3~4品並んでいます
これに、スープとメインディッシュが付きました
味は薄味でスパイスも強くなくて美味しく食べました(多分日本人向きにしてある)
魚は無し、肉はチキンにラムです ナンが必ず出ています

  
前菜の野菜料理

 
スープはお皿でなく丼で来ます 油が多い

 
メインディッシュ
最後に出てくるので、お腹いっぱいでいつも残しました


りんご、桃は小さかったけれど
フルーツは甘くて美味しかったです


ナン

 
食事には必ず「ナン」が付いていました
パンの感じでインドのナンとは違いました

バザールでも沢山売っていました
乾燥地帯なので日持ちするようです

 


 

スザニ

  
スザニはウズベキスタンの刺繍
昔は花嫁道具の一つだったそうです

上は博物館に展示された立派なスザニ
下は観光用の販売品 10ドルから買えます

 

おわり