実家のあるこの町に降り立った・・・というほど東京から離れているわけではない。手を伸ばせばそこにある東京。憧れて夢みて破れて東京を離れる人間は少なくない。
俺は・・・俺はどうしたいんだろ?
漠然とテレビの華やかな世界に憧れてなんの力もないまま雑誌モデルがきっかけでデビューしてモデルから俳優という波に乗れなかったのが今の自分だ。いくつかのドラマや映画に出たことも大きなチャンスに恵まれたこともあった。そのチャンスが舞い降りたとき事務所は沸き俺も高揚した。だが大手事務所が売り出したかった新人より俺の方が2cm背が高かった為にクレームがきた。大手事務所に睨まれては小さいところはやっていけないと社長は涙を呑んで断った。モデルとしては低いと思っていた身長がこのときばかりは仇になった。皮肉にもその売り出したかった新人より、その新人より少し背の低い若手俳優がブレイクした。もしあのとき断らなかったらと酒が入ると社長は決まってその話をする。その度に俺は運も実力のうちですからと笑って言う。
今はたまにあるモデルの仕事をしながら大半は事務所の運営を手伝っていた。事務所は大手ではないものの気がつくと個性派俳優やタレントが集まり業界においてそこそこの地位をきずいていた。街で歌っていた3人組のユニットの歌が好きで社長に紹介したらあれよあれよという間に売れっ子アーティストになり事務所はより大きくなった。「君は頭がいいし人当たりもいい、正式に会社の役員として迎えたい」と言われていた。
俺はまだなにを夢みて、なにを諦めずにいるのだろうか。。。
久しぶりにモデルとしての仕事が入った、得意なスーツだ。時々はモデルとしての需要はあったから節制していた。若い頃と比べると太りやすくなっているのもあって、食べるのを押さえていた。毎日体重計に載るのを欠かせなかった。
「うん、いいね~やっぱりスーツを着せるとピカイチだね!」
カメラマンの言葉に顔がほころぶ・・・が、ふと視界が揺らいだ。
「ここは?」
「病院だよ、貧血だそうだ」
「撮影は・・・中止ですよね」
「栗山くんに頼んだから」
「すみません」
「少しゆっくりするといいよ」
「はい、ありがとうございます」
このとき、ぷちっと音がしてなにかが切れた気がした。
実家に帰る気はしなかった。帰っても心配させるだけだ。本心からの笑顔でなきゃ家には帰れない・・・そう思っていた。
なんだろ・・・腹が痛い。ああそっか、ずっと食べてないからか。 ん?こんな所にうどん屋なんてあったかな。
*
「いらっしゃいませ!」
快活で明るい声が飛び込んできた。遅い時間だからか他に客はなかった。
「まだいいですか?」
「ええ、なにになさいますか」
「えーと」
「本日限定の玉子とじうどんはどうでしょう、胃に優しくてお勧めですよ」
「じゃあそれで」
「どうぞ」
いい匂いだ・・・美味い!だしが凄く美味い、面は細麺でシコシコしてて玉子はふわふわでこんなに美味い玉子とじうどんは初めて食べた。
「ごちそうさま、凄く美味しくて最後の一滴まで飲み干してしまいました(笑)」
「よかった~いい笑顔」
「えっ?」
「さっき店に入ってきたとき顔色悪くて体調悪いのかなって」
「ええ、体調悪いというか朝から食べてなかったんでお腹空き過ぎていたみたいです」
「そうだったんですね」
「なんか幸せな気持ちになりました」
「ありがとうございます、この玉子とじうどんは時々そんなふうに言ってもらえるんですよ(笑顔)」
ふと短期アルバイト募集の紙が目に入った。
「アルバイト募集してるんですか?」
「ええ、短時間のね」
「僕を雇って頂けませんか?」
「えっえーーーお客さんをですか!」
さっきからドキドキしちゃって困るくらいの二枚目でこの店にこれほど似合わない人もいないんだけど(^^;
「ダメですか?」
「いえ、その時給も安いし、お客さんのような立派な男性をアルバイトなんて・・・」
「実は今体調崩して休職中なんです。リハビリも兼ねて少し身体動かしたいなと思っていたんです。お願いします!」
そんなキラキラな眼で言われると断れないわ。
「アルバイト雇うほど忙しくないんだけど冬場は手荒れが酷くて辛いから短期で募集してたの、洗い物頼んじゃっていいかしら?」
「ええアルバイトですから」
「名前は?」
「藤本と言います」
「私は晴美、みんな晴美さんて呼ぶからよかったらそう呼んで」
「はい、よろしくお願いします」
どうしてここでバイトしたいと思ったのか?うどんが美味しかったから、うんそれでいいや。
自分にとってここは今までと全然違うある意味非現実的な温かい世界・・・のような気がした。
*
一番混むのはお昼どきで近くのサラリーマンが多かった。4時になると保育園に息子の健太くんを迎えに行き、6時半になるとまた店を開けた。夕方はお腹を空かせた学生で賑わった。
「ちょっとちょっと晴美さん、なになにあの人アルバイト? 超イケメンじゃん、どうしてこんなとこに? あっごめんなさい(^^;」
「どうしてだろうね~人生いろいろあるんじゃないの」
「晴美さんの彼氏じゃないんだ」
「まさか~」
「晴美さん、ダイエットすればいいのに~痩せたらきっと凄い美人だよ」
「まあね(笑)でも食堂やっててダイエットするのはハードルが高すぎるわよ」
「晴美さんはそのままでいいよ、元気でずっと食堂やってね」
「もちろん!」
晴美さんはサラリーマンにも学生にも人気だ(微笑)
「おじちゃん、サッカーしよう~」
「こらっ健太っ」
「いいんですよ、暇ですから(笑)」
「私バツイチなの、両親が残してくれた店があるから贅沢しなければなんとか暮らしていけるの」
「僕は・・・」
「いいわよ話さなくても、訳ありのイケメンバイトくんは謎でむしろそこがカッコいいって女の子たちが話していたわよ(笑)」
「ど・・・どうも」
ひと月もすると仕事にも慣れてきた。健康的な生活をしているせいか体調もいい、顔も少しふっくらした気がする。晴美さんの作る賄は美味しいもんな。
「あの、ちょっと気になってたんですが僕の食べた玉子とじうどんて一週間に一度くらいしかメニューに載りませんよね?」
「それはね、麺がちがうの?」
「麺が違う?」
「昔からひいきにしてる製麺所で麺を仕入れているんだけど、あのうどんの細麺だけは福井で蕎麦屋をやってる叔父が時々送ってくれるの、それで限定なのよ。自分で打てたらいいんだけど修行しなきゃね。そんな時間もないけどまあ女の力じゃちょっと難しいんだけどね」
水道の水が温んできた頃には桜の枝にはほんのりと赤い蕾がついていた。
「ママ〜、おじちゃん!早く早く〜」
「健太くん、大はしゃぎですね(笑)」
「お花見は初めてじゃないんだけど、おじちゃんと一緒なのが嬉しいのかな・・・。健太~ 気を付けなきゃころぶわよ」
「なに? 話って」
「ずっと前から考えていたんですが、晴美さんさえよければ叔父さんのところで修行してあの麺が打てるようになりたいんです」
「えっ?えーーー! あ〜ビックリした。今日はエイプリルフールじゃないわよね」
「冗談じゃないです、真面目に考えてます」
「あなたは一流大学を出て大企業に勤めていてちょっと身体を壊して休職中なんでしょ、すっかり元気になったしそろそろ職場復帰してもいいんじゃないの」
「僕はそんな話したことはありませんよ(笑)それは晴美さんの思い込みです。そこそこの大学は出ましたが僕の所属してるのは芸能事務所です。ちょっとは活躍していたときもありましたが、自分の思い描いた夢とはほど遠く事務所の仕事を手伝いながら時々モデルの仕事をしていたんですが、撮影中に貧血で倒れたんです。そのときなにかが切れたというか終わったと思いました」
「そんな・・・」
「体系を維持する為にあまり食べてなかったんですが思い出したんですよ、僕は美味しいもの食べるのが大好きだったということを。料理できない割に料理番組見たり料理の漫画を読むのが好きで(笑)自分であの麺が打ててここで晴美さんと一緒に店をやっていけたら楽しいだろうなって(微笑)」
「でもでもでも」
「僕じゃ駄目ですか?」
「私はバツイチだし、健太もいるし、デブってるし」
「あの、プロポーズじやないですから」
「で、ですよねー」
うわーん、恥ずかし過ぎる
穴があったら入りたいー
「修行して一人前になったらそのときに改めてプロポーズさせてください」
「えっ・・・・・はっはい」
ダダダ、ダイエットしなきゃ❗️
「晴美から話は聞いた、厳しくやるぞ」
「はい、よろしくお願いします」
それから半年後
「俺は二枚目の優男が嫌いでな」
「えっ?」
「晴美の前の旦那がそうだった、二枚目でエリートで、だけど一つ仕事につまずいたらボロボロになって酒に溺れ終いには手をあげるようになって、それで離婚して家を出た。太ったのはそのときのストレスからだ。あんたを見たとき同じような二枚目の優男でどうして晴美はこんな男ばっかり好きになるんだろうかと思ったけど(苦笑)あんたは思ったより根性があって真面目でいい奴だ、ここにいる間に少しでも沢山のことを覚えろ」
「はい、頑張ります!」
「いらっしゃいませ、社長!」
「もう社長じゃないよ(笑)新装開店おめでとう、いい店じゃないか」
「ありがとうございます」
「この写真が好きでずっと社長室に飾っていたんだ、もう飾れないから外して持ってきた。君に持っていて欲しい」
「これは・・・」
「カメラマンがいい写真だからってパネルにして持ってきてくれたんだ、君の最後の一枚、持っていたくないか」
「いえ、今なら穏やかな気持ちでこの写真を見れます」
「綺麗・・・」
「晴美? 泣くほどの写真か(笑) しいていえば燃え尽きる前の最後の写真だな(苦笑)」
「違う・・・そんな風に言わないで。凄く素敵な写真よ、ねえこれ飾ろう」
「嫌だよ」
「あそこなら目立たないよ、嫌ならあなたは見なきゃいいじゃない。飾らないなんて駄目、この写真にふさわしくない」
「ふーん、あれがいいんだ、あの頃と比べると今は随分と丸くなったからね」
「健康的で今の方が好きよ、あれは写真として素敵だから飾りたいの」
「君は随分と痩せて綺麗になったね、別にダイエットしなくてもよかったのに」
「痩せたほうが健康にいいからね」
晴美さん、あんなイケメンと結婚するんならもっと痩せて綺麗にならなきゃ、本人にその気がなくてもあれじゃ女がわらわらと寄ってくるわよ
「なに笑ってるの?」
「ふふ、思い出し笑い」
*
それから10年の月日が流れた。
僕はそれから順調に育ち今何キロあるんだろ?まっいっか。そして娘が生まれた。
「いらっしゃいませ」
「まだいいですか?」
「大丈夫ですよ」
「よかった、じゃあ天ぷら蕎麦で」
「はい、どうぞ」
「うん、美味い」
「ありがとうございます」
「いい笑顔ですね」
「えっ?」
「ご主人二枚目ですね」
「いやいやデブなおっさんです(笑)」
「体格はいいけどデブってほどじゃないですよ、僕デザイナーなんですよ、そんな僕の眼は確かです」
「ありがとうございます(笑)」
「学生のとき凄くファッションに興味があってよくファッション誌を見てたんですよ。好きな男性モデルがいて調べると出身も同じで親近感感じて憧れててました。それでいつかその人に僕の作った洋服を着て欲しいっていうのが僕の夢でした。デザイナーになった頃にはその人は引退してたんですけどね。僕は割と若いうちに世間に認められてそれで調子に乗っちゃって、まあいいときもあったけど最近はその才能も早くも枯れたか~て言われちゃってます」
「大変なお仕事ですよね」
「大変なときってふと故郷に帰りたくなるんですよね」
「わかる気がします」
「ただいま~外凄く強い風よ~」
その瞬間店の奥のドアが開いた。
「あっ・・・あれは」
「こりゃ酷い風だ」
「すみません、見せてもらえませんか?」
「えっ?」
「奥にあった写真のパネルです。僕両目とも2.0なんで見えちゃったんです、お願いします!お願いします!」
「いいわよ、どうぞ」
「ありがとうございます!」
「晴美・・・」
「だってあんなに真剣な眼で懇願されたら嫌っていえないわ」
微動だにせず写真の前に立つ青年の眼からは幾筋の涙が流れていた。
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
青年は何かを言いかけたがそれを口にすることなく立ち去った。。。
「ほらっあの子だって泣いたよ、この写真にはそれだけの力があるんだよ。それにあの子の眼キラキラと輝いてたね」
店に入ってきたときの眼と全然違っていた。昔誰か一人でもいいから涙を流すような作品を作れたらと思ったことがあった。俺・・・作れたんだな(微笑)
半年後・・・
「ねえねえこの新聞に載ってる子ってあの時のあの子じゃない? 有名な賞をとったみたいよ、デザイナーだったんだね」
「そっか(微笑)」
「なんか嬉しいね」
「うん、凄く嬉しい」
「サイン、もらっときゃよかった~また来るかな」
「もう来ないだろう」
「そうよね、売れっ子デザイナーだもんね」
夢は誰かが紡いでいく。。。
*
たとえばもう一度 一番最初から やり直したとしても きっと
同じ道を選んで 同じ涙を流して 今日の日を迎えるだろう
ラジオから流れた歌は聴いたこともない知らない歌だったけれどその歌詞に強く惹かれた。
そうなのかも知れない。それでもいいじゃないか、素直にそう思った(微笑)
次にラジオから流れた曲は俺が見つけた3人組のユニットの歌だった。一時活動を休止していたが復活していた。彼らの曲はいい、前向きな気持ちになる。
俺も前を向いていこう、ときどき後ろを振り返ってしまうけどな(苦笑) 夢を諦めたから今の幸せがある。それでも振り返ってしまうのは人間の性だろうか。
だがふともがいてしまうみっともない自分も嫌いじゃない。いいじゃないか、それが生きるということだ。
「パパ~片付け終わった? ご飯だよ」
「今日の晩ご飯はなにかな~」
「カニ鍋~」
「お~それは豪勢だな(笑)」
「叔父さんからカニが届いたの」
「いっただきまーす」 end
blogを10年続けてこれたのはTea timeに立ち寄ってくださる皆さま、コメントや拍手をくださる皆様のおかげです。この10年間の感謝を心よりお礼申し上げます。
10年を一区切りとして・・・やめるわけじゃないですよ(笑)まだまだずっと直人ファンですからね、ただ今後何周年記念と書くことは止めてひっそりと迎えたいと思います。
「1月の肖像」はちょっと「かもしれない女優たち」みたいなお話ですが2015年のカレンダーを見て閃いた話です。お蔵入りになりそうでしたが10周年で書けてよかったです。短編ですが楽しんで頂けたなら幸いです。感想等頂けるととても嬉しいです。