現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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被選挙権

2016-06-20 | 日本語百科
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo02.html > 1. 選挙権を持つためには、必ず備えていなければならない条件(積極的要件)と、ひとつでも当てはまった場合、選挙権を失う条件(消極的要件)があります。 選挙権年齢が引き下げられます  平成27年6月、公職選挙法等の一部を改正する法律が成立し、公布されました。   . . . 本文を読む

18歳選挙権

2016-06-19 | きょうのニューストピック
選挙権年齢を18歳以上にする改正公職選挙法が施行される。国政選挙で参院選から適用される。参政権の拡大である。普通選挙権があらたに加えられて認められたのは、1945年以来71年、2016年6月19日の施行で約240万人が新たに有権者となった。http://www.soumu.go.jp/18senkyo/ 総務省のPRにいくと、選挙権の変がアップされていた。「選挙権の変」踊る授業シリーズ【踊ってみたんすけれども】 エグスプロージョン https://www.youtube.com/watch?v=JPJL8T0Dpr0  また、18歳からの選挙権、今の10代が考えてくれた、「ほしい未来」。 http://www.tfm.co.jp/lock/senkyo/index.html . . . 本文を読む

ロクヨン

2016-06-18 | 映画を見ました
言わずとも、後編である、ロクヨンを鑑賞した。6と、4と書くのか、ロクヨンと言って、片仮名で書くのか、64(ロクヨン)、というふうに、原作のタイトルはなっている、横山秀夫による推理小説である。書き下ろしとして2012年10月に刊行。2004年5月号から文藝春秋に連載されたが、改稿したと説明がある。小説家のこういがまた、エピソードである。>2005年、『64』に再び着手できるようになり、手直しを加えた上で2009年に出版されることが決定するが、ただ書き終えただけの作品でしかなく、このままでは読者からお金を貰える作品たりえないと思い、出版を中止するという苦渋の決断をした。担当編集者は絶句していたという。再び『64』の改稿作業に入ったが、今度は突然、記憶障害に襲われ、前日に書いた原稿の内容が思い出せなかったり、主人公の名前さえ思い出せなくなってしまった。廃業という文字を頭に浮かべながら、どうしたらよいか分からず、庭仕事をし、いいアイディアや文章が思い浮かぶと書斎に駆け戻り、1、2行書き、また庭へ戻るという繰り返しだった。次第に筆が進むようになり、小手先の手直しをやめて全面改稿を重ねた。 . . . 本文を読む

漢字が読めない世代

2016-06-17 | 斯く書く
読めない、書けない、となると、言葉がどうなるか。ワープロを使えば文字を見分けるので、書かなくてよい、書けるかどうかではなくて、漢字タイプライターを使うと言うのは、古い発想をもってきている。言葉を学ぶということが、おおもとで考え違いをしている。漢字を書くこと、文字を知ることは、言葉を学ぶことであり、言葉がつかえるようになることである。かつては、読み書きとしてのことがらが、発音だけを慣用にして言葉とするような現代の若者である。その発音を正しく書くかどうかは、このキーボードを打ち込んで仮名文字に、漢字変換ができるかどうかとなると、それは実は、言うほどに簡単なことではないのである。仮名にして音韻をとらえる日本語には文字に書く規則があるので、その通りにタイプをしなければ、いくら打ち込んでも正しい文字は出てこない。それほどに融通が利かないので、漢字を探す苦労は、そこにはまり込むと茫然としてしまうようなことである。そこまでは現代のツールは、文字変換の候補を挙げて、文章解析から予測した漢字を見せてはくれるようにもなっているが、はたして、辞書機能を使うということは、文字が正しく並べられて、発音の規則をうつしてこそ、言葉の検索ができることであるから、辞書をひくことができるかどうかとなると、言葉を学ぶことの手っ取り早い情報であったから、それをしていない、することができないとなると、端末を触ってはいるが、そこに打ち込まれる文字列は、どうなのだろう。LINE文字とでも呼ぶものが、ありそうである。 . . . 本文を読む

4257

2016-06-16 | わくわく
4255、4256、4257、4258はまだないが、4257本のヒットを積み重ねたイチロー選手の数字である。日米通算という条件付きだと米メディアは書き、米国球界の記録に対して世界記録であると野球をグローバルに見る向きもあって、米国内は両論に分かれたが、数字そのものの記録としての偉業に変わりはない。このヒットを一本、一本と数えてきた事実は素晴らしいことだ。一つ一つと言うけれど、4256本はキャッチャーが捕球に走るゴロをイチローの俊足が一塁を駆け抜けていたから、その一つの意味はさまざま、イチローの野球神経が全開してのものである。 そして2打席の後に、4257本目を放つ。打球はライトまで一直線に飛んで2塁打となった。その瞬間がおとずれた。テレビ中継のアップに映し出された顔は平然としていたように見えた。しかし次の一瞬にダグアウトを見たイチローはほおを緩めて顔に手をもって口元をお覆うくしぐさで笑みを浮かべていた。待てよ、4256のときだったか、これは・・・・・・ . . . 本文を読む

配慮表現

2016-06-15 | 日本語教育
敬意表現、待遇表現、そして配慮表現と並ぶと、日本語をとらえる視点によって議論のそれぞれの変遷がある。敬語では敬意を問う考え方がだされて、敬語における謙遜また謙譲があらためて敬語表現に位置づけられる。待遇は敬語の敬意について広義敬語としての中に卑言罵詈表現を含めるので、それを待遇表現として取り入れている。待遇は本来、客扱いをする言語表現にあって、社会言語学が好んで取り上げる隠語俗語の類までをさすものではない。にもかかわらず、待遇を人間の上下関係にあてはめて議論をしているようである。配慮表現は日本語を配慮に拠る言語と規定するところから始まったが、実はこれをポライとネス理論と結びつけて、配慮することを人間関係の利益に結びつけて解釈するようなになろ、コミュニケーションを相手との関係で利益を得るかどうかの議論は日本語の言語習慣ではなじまないものであるのであるが、日本語をその視点で眺める理論が流行る。 . . . 本文を読む

日本語教師の役割

2016-06-12 | 日本語教育
役割を語としてみると、役割を果たす、役割をもつ、役割の分担、これは役割を担うこととなる。assume a role 、undertake a role 、役割りと書くと、分割のイメージがある。社会的に見ると、社会的役割となり、社会的行為に仮定されとして、>社会の中の分業は異種の特殊化した位置(Positions)の間で相互作用の形式を取るが、これを私達は役割と呼んでいる。 社会的な役割は、一般的に知られており、そしてそれゆえにこれらの役割において適切な行動への期待を決定付ける社会規範によって誘導された適切で、許容された行為の形式が含まれる。ほかにも、行為者、役割規範などである。それでは、日本語教師の役割は何か。 . . . 本文を読む

日本語教師の仕事

2016-06-11 | 日本語教育
仕事は、することである。仕事と書けば、職業、労働の意味になる。理科の方で定義を持った言葉となる。それは、仕事、物理学では、物理学における物理量、また、仕事、熱力学では、熱力学における力学的なエネルギーのことであり、仕事、電気は、電場中の電荷がする、たとえば、電力量、電気回路における電気エネルギーととらえる。ウイキペディア、曖昧さ回避より。そこで、日本語教師が職業として成り立つための条件をその労働でみると、何をするか。教室で日本語を教える、学習者とともに学ぶ、さらに日本語学習の支援をすると言うことが挙げられる。ともすれば日本語の先生であることは、教室という現場をもって学習者とともに時間を過ごすことと、そのための教科書、プリント教材などを準備すること、というふうにだけ、思い込みがちなのであるが、それだけではない。教師の仕事、教育の仕事であるから、その用意をしなければならない。ときには教室運営、学校経営にかかわることでもある。教務の係、学生の生活、そこにあるのは学習者の日本滞在のことがらである。 . . . 本文を読む

陳述、陳弁

2016-06-10 | 日本語百科
陳術は文法用語で、構文論の基礎的な概念の一、「花は美しい」の文においては主概念「花」と賓概念「美しい」とを結合統一する作用が表れているが、その言語的表明を陳述と呼ぶ、もと、山田孝雄の用語と見える。法律用語では、 訴訟において当事者やその関係人が関係事項を口頭または書面で述べることである。大辞林第3版の解説。陳弁は事情、理由を述べること、弁解することとも見える。陳字にはこれらの語で、申し述べることである。「陳謝・陳述・陳情/開陳・具陳」。これを、陳者、とする用法もあり、のぶれば と読むが、時候の挨拶、手紙文の書き出しにある。また、ひねもの、となると、陳者は老巧な者、老練な人のことである。 . . . 本文を読む

カリキュラムとシラバスと

2016-06-09 | 日本語教育
その用語を教育に求める。教育計画と学習計画、教育課程と授業計画、全体と科目の関係など、それは明瞭であるにかかわらず、コースという語ととともに、それぞれのデザインが説明されることになる。学校教育ではその用法は固定化したものと見えるが、改めてデザインするとなると、これまでの実態があらわになる。カリキュラムは学習指導要領によって学校教育の目標から設定されたことで、片仮名の語としてもわかりよかった。それは、戦後政策の中でアメリカ合衆国の教育課程の影響下にもあった。明治以来作り上げてきた日本の教育は1940年代後半に激変する。教育の理念そのものは変更を迫られて、少なくとも70年にわたってその改革は受け入れられた。そこにカリキュラムという語で用いる、時間数と学校年中行事を取り入れた全体計画としてとらえられてきた。一方でシラバスは、授業の項目、それを授業大綱という訳語でもって、綱目として大要に詳細綱目がたてられた授業科目のことがらであった。シラバスは今もそれ以上でもないし、変わったわけではないが、授業紹介に授業計画を記すようなことである。それが語学教育にあって、文法シラバス、場面シラバス、機能シラバス、会話シラバスのように細分化した科目のそれぞれの特徴をさすのに加えて、トピックシラバス、タスクシラバスと言ったふうに、さらに細かな内容を分け始めた。複合したシラバスを用いるのが普通に行われてきたことに、学習計画の一地におよぶようなことになっているのが日本語教育のシラバスである。 . . . 本文を読む