微妙なことである。言語の使い手、その担い手は、民族でああり、地域と民族によって言語は形成される。形成というのは世代を継承してその言語が維持され保たれていくと、そこに言語そのもが民族によってあるということである。民族と言語か、言語と民族か、民族を先とする考えであるが、民族とともに言語があったのである。それを言語あってそこに民族があるとするなら、言語が先で民族がついてくるというのは、考えにくいが、そのような状況も想定してみて、民族にあった言語というものが、そのあとの言語によって上塗りされるように、言語そのもののアイデンティティーをとるために、あとの言語によって明らかにされる、先の言語である。日本語は先にあった言語で、そのあとに来た言語は大陸経由の漢語であり、その漢語によって日本語が明らかになるという経緯は、仮名文字の発明工夫によって知られるところ、その仮名文字によって日本語が形成されることになる。このことは日本なら日本という地域だけのことではないが、より鮮明に漢字と仮名の関係をとらえれば先の言語にあとから来た言語がかぶさって、前の言語がなんであるかを明らかにしてきたのが日本語である。国語はその流れで漢語と対照し仮名文字で翻訳をしてきた。 . . . 本文を読む
思いやりの心という。ふっと、思いやるのは何に対してかと思った。類語を探ってみて、気遣いと出てくる。意義素には、相手に注意やもてなしの心とある。その対象を測るという、その心は、気持ちを思いやる、思いやりの気持ち、類語辞書に現れる。 . . . 本文を読む
ぼけ日記をやめたら、惚けの繰り返しで、記録をして修正するのがよいか。タイプミスのようすはこのブログに顕著であるから、書かずとも直すことである。その原因については雨だれぽっつんのタイプであったのが、両の手で早く打とうとして、ブライインドタッチができないのに、左と右の打ち方がずれる。というようになると、これは左右のバランスが崩れる運動神経にも似て危ないことである。タイプミスはその原因にあるわけではないが、それに近いことが起こる。割と左手が早く動いてしまうのは母音を右手で打ち切らないからである。文字変換では学習能力があれば、コンピュータのほうが誤変換の結果となってしまうミスタイプに対応できなくなるのかもしれない、というふうに、早く焦って打ち込むことをしなければよいかなど、確認作業に、はいる。 . . . 本文を読む