哲ノート

gentle heart!! ヤサシイココロ・オトナノココロ

死刑願望者に“死刑”判決

2009-12-19 00:50:41 | ちょっと気になる
「自殺は痛いから、殺人をして死刑になろう。」

いつから“このような考え”を持ち出したか、持つきっかけがあったかは知らないが、たぶん子供のときは(当然)ピュアな心を持ち合わせていたと思う。

家族という共同生活者がいて、学校という集団生活の場があって、まわりの人が助け合いながら日々の生活をおくる・・・・ひとりでは生きてゆけない世の中だから。

ところが、なにかを境に世の中を拒絶し、生活集団、社会行動をも拒否する考え・行動をとるようになってしまった。はてには“知能ある”“生物”である人間の尊厳をも否定する行動をとってしまった。・・・・・なんで!!

「死刑になりたい」というのは、あるていど本心ではなく何かのメッセージであると信じるが、「なにが彼をそうさせたのか」はいっこうに不可解だ。なにか違うメッセージをも持ち合わせないのだろうか。それでこの世から消えたいのか。

なにが・彼を・そう・させたのか。

死刑判決を願う殺人者に、願望通りの“死刑判決”というのも皮肉なものだ。
思うがまま(たてまえかもしれないが)になったのだから・・・・。

遺族の方々・被害にあった方も、極刑は望むだろうが、真相のないままこの世からいなくなるのは、なんとも収まりがつかないのではないだろうか。

以前にも記載したが、被告が望む「死刑」ではなく、望まない「有期刑」しかも減刑恩赦があっても「外」にでられない「実刑 何百年」という判決はどうだろうか。

その間には、なにかの真相解明につながるアクションがあるかもしれないし、被告の“望み”が果たせないし・・・・ただ国民の税金が彼の「生」を助けることになるのが腑に落ちないが。
コメント
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