独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

平成25年度 千葉県遺族会女性部研修旅行

2013年09月20日 17時32分19秒 | 遺族会関係の旅

       1.日    時 平成25年 9月18日 (水) ~ 19日 (木)
       2.研修場所 福島県 磐梯熱海  華の湯
       3.参加者数 80名
       4.集合場所 JR千葉駅北口階段下    9時00分

              JR西船橋駅改札口前    9時30分
【日 程】
1日目 9月18日(水)
千葉駅 → 西船橋駅 → (鬼高PA休憩) 首都高速道路 → 靖国神社昇殿参拝

      
          平日のために静かな靖国神社             靖国神社昇殿参拝記念御朱印

岩崎部長様は卆寿を迎えられ、益々お元気にご指導を頂いておりますことに遺児の一人として感謝を申し上げておりますところです。
ご主人様は26歳で硫黄島で戦死され、部長様は22歳で未亡人に 悲しみを乗り越え、ご苦労を重ねながらもお二人のお子さまを育てるために会社を設立され、
ご商売にご尽力されましたことを伺いました。
現在はご子息様のご家族に囲まれ、今日の繁栄と幸せに感謝をされていらっしゃるご努力の部長様に敬意を表しております。
今も多くの役職にご多忙の中、自叙伝を執筆中と伺いました。
是非、拝読させて戴きたい
上梓の日を心待ちにしております読者の一人です。
昭和28年戦没者妻の会 「婦人部」 を発足する迄のご苦労から現在までのご尽力に想像を絶する多くがありましたこと。

恩給復活の28年は当時ヤミ米1俵8000円の時代に年間23,000円の給付でしたこと。
お仲間の中にはご苦労のままに、ご主人様のもとに旅立たれたお方も大勢お出でですが、平和な世の中に生有ることに大きな喜びですと。
以前、お話しを拝聴させて頂きましたことも思い出しながら、今年も岩崎部長様のお元気なお姿にお目にかかれました喜びと、県内各地から参加されました遺児の皆様と
親しくご一緒出来ました幸せに感謝を申し上げながら靖国神社昇殿参拝に多くの英霊の皆様に心からのお祈りを申し上げることが出来ました。 合掌


      昼食会場の東天紅(HPより)           より東京タワーを望む
上野東天紅(昼食) → 首都高速道路 → 東北自動車道 → (羽生PA休憩) → (那須高原PA休憩) → 磐越自動車道 → 磐梯熱海  華の湯 到着


        研修会及び懇親会場            初めてお願いしましたお宿のサイン 

旅の思い出集について
ご存じのお方もおありでしょうが、私は今春の旅に義姉から「旅の思い出集」について初めて伺い、その素敵な記録集  に感激しました 。
女将さんが歌を詠まれるお方は、短歌や、俳句を添えてくださったり、又、季節の風景を墨絵で表現してくださったり、姉が持参した冊子で沢山の素敵な旅の想い出に
触れることができました。
お願いの方法は、夜のうちにカウンターに冊子を渡してお願いしますと のように書いてくださいます。
「旅の思い出集」とは私が名付けた勝手な題名ですので念のため申し添えます。
素敵な題名を教えて頂きたくよろしくお願い致します。
(注意)出発の時に忘れないで受け取ってくださいね
今までは御朱印を大切に収集しておりましたが、今後は楽しみが一つ増えました。

       
          岩崎部長様を囲んで             一夜さのお宿をご一緒した皆様 

2日目 9月19日(木)
ホテル
 → 磐越自動車道 → 飯盛山白虎隊の墓見学 → 鶴ヶ城見学(昼食) → 磐越自動車道 → 東北自動車道 → 那須高原SA(休憩) → 羽生PA(休憩) →
首都高速自動車道 → 京葉道路 → 西船橋駅着(17時40分) ・ 千葉駅着(18時05分)
1.飯盛山白虎隊十九士の墓見学
白虎隊は戊辰戦争で戦った16~17歳の少年たちでお墓は鶴ヶ城の北東飯盛山の中腹にあります。
火に包まれた城下を望みながら少年たちは若い命を散らしました。
本来は、藩主の警護にあたった予備兵力でしたが、全線から救援の要請があり、急遽、藩主の命令で滝沢本陣を出陣したものです。

会津若松 写真
           
飯盛山の名所「動く坂道」                           鶴ヶ城を仰ぎ見る少年の像
2.さざえ堂見学
正宗寺の僧郁堂が1796(嘉慶元)年に建立した奇想天外の建物で 国の重要文化財。
高さ16.5mの円柱状のお堂ですが、よくみると六角形という不思議なもの。
内部には階段がなく、右回りの螺旋状のスロープを上ると頂上に太鼓橋があり、橋を渡ると今度は左回りの下り坂で背面の出口に出る。
つまり通路しかないというもので、昇降を通じて建物を3度回ることから三匝堂 「仏教の礼法である右繞三匝 (うにょうさんぞう) に基づいて、右回りに三回匝る (めぐる)
ことで参拝できるようになっている」 の名がある。

中心部には 「本朝二十四孝」 の額が取り付けられていますが、その昔は西国札所の三十三観音像が祀られ、一度入ると巡礼を終えたことになるわけで、江戸時代、会津から
西国三十三観音参りに行くのは大変でもっと廻りやすいお参りというわけで町廻り三十三観音ができ、もっと簡単にというわけで「さざえ堂」ができたという事です。

 
              飯盛山に建つ旧正宗寺の円通三匝(えんつうさんそう)堂
3.戸ノ口堰洞穴見学
猪苗代湖から会津地方へ水を引く為に掘られた堰で元和年間から元禄年間まで工事が行われ天保3年から3年間は会津藩士である佐藤豊助が中心となり飯盛山の中腹から
トンネルを掘り進みました。トンネルの長さは約150mとなり工事に刈り出された人夫は5万5千人に達したそうです。完成後は2500ヘクタールの灌漑が可能になり
会津藩にとって大きな恩恵となりました。戊辰戦争の祭は白虎隊士中二番隊20名が鶴ケ城(会津若松城)に戻る際通った洞穴としても有名で、この後飯盛山から城下町が
炎上しているの見て自刃しています。

戸ノ口堰洞穴
                                  白虎隊が通り抜けたと言う説明板と洞穴
4.鶴ヶ城見学(国指定史跡)及び昼食
難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月、城は落ちなかった。
石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年のことである。
至徳元年(1384)葦名直盛がはじめて館を築き、改修を経て天下の名城となった。
たくさんの方々の寄付により鶴ヶ城がよみがえったのは昭和40年9月のことである。
平成23年春には幕末時代の瓦(赤瓦)をまとった天守閣としてリニューアル公開されました。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2013年(平成25年)9... | トップ | 日本遺族通信 平成25年9... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
…研修旅行・・・ (hana)
2013-09-21 07:36:12
oko様
秋空のもとお元気でご旅行を
愉しまれました事ようございました。
お写真拝見いたしまして安心いたしました。
有難うございました。
返信する
hanaさま (oko)
2013-09-21 10:56:26
お訪ねいただきまして有り難うございます。
お陰様でお天気に恵まれ、2年ぶりの交流に幸せな
思い出の旅になりました。
体力的に旅の記録は綴れないと思っておりましたが、
卒寿を過ぎてもご尽力を戴いております部長様及びお部屋を
共にした皆様に記録をお届けしたく綴り始めました。
まだ途中ですが、お彼岸などに多忙の折りに少しずつ
綴って完成させたく思っております。
有り難うございました。
返信する
よかったですね~ (matsubara)
2013-09-23 20:41:33
すっかりお元気になられ
旅行にも参加されて本当に
よかったですね。
以前と同じお姿で安心
しました。
返信する
matsubaraさま (oko)
2013-09-23 22:27:14
お言葉をありがとうございます。
体力的にはまだ不安がありますので健康保険証持参で参加しました。
お陰様で保険証を使用せずに無事に帰宅出来ましたことにホットしております。
返信する

コメントを投稿

遺族会関係の旅」カテゴリの最新記事