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2021年度(令和3年) 沖縄全戦没者追悼式

2021年06月25日 14時37分55秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

           「沖縄は6月23日「慰霊の日」 沖縄戦から76年、祈る平和」 合 掌
ブログの先輩「比企の丘様」の記事から転載させて頂き、
学ばせて頂きました。
今日6月23日は76年前・・・沖縄で日本軍の地上戦が終った日・・・そしてあの戦争は終わってない

今から76年前、太平洋戦争の終盤、沖縄では4月1日の米軍上陸進攻にはじまり壮烈な地上戦が繰り広げられ6月22日沖縄軍最高司令官牛島満陸軍中将が自決し翌23日日本軍の組織的な戦争は
終ったといわれています。
全日本軍にどれだけ通達できたかは不明(通信機能は壊滅していた?)で局地的に連合国の降伏勧告に応じず抵抗を続ける日本軍がいました。
これが6月23日以降も沖縄住民の死者を拡大します。最終的には久米島の防衛軍20名が9月7日に投降。

沖縄戦の事実上の終戦日は連合軍の勧告を受け入れ宮古島、奄美大島の軍部最高責任者が9月7日嘉手納飛行場で降伏調印式に出頭した日になります。
8月15日の天皇の敗戦の詔勅より遅れること20日余です。


沖縄戦犠牲者(Wikipediaより) 日本側19万人(うち沖縄県人12万人、米軍側1万数千人)。
※沖縄県人の犠牲者はこれを上回るといわれます。ちなみに当時の沖縄県人の人口は43~44万人と推定されています。 
 
1961年米軍統治下の琉球政府はこの日を「慰霊の日」として公休日と定め、1962年から沖縄県が主催する沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれるようになりました。
慰霊の日」は1972年本土復帰にともない「国民の祝祭日」から外されましたが、1991年沖縄県条例で「慰霊の日」が復活しました。


                  追悼式式場                   降りしきる雨の中、平和の礎に戦没者の追悼に訪れた人たち=22日午後、
                                                糸満市摩文仁の平和祈念公園(ジャン松元撮影)
より転載させて頂きました。
沖縄は6月23日「慰霊の日」を迎えた。
住民を巻き込んだ悲惨な地上戦で、かけがえのない多くの命や文化遺産が奪われた沖縄戦から76年。激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、午前11時50分から県と県議会主催の
沖縄全戦没者追悼式が開かれる。
新型コロナウイルスの影響で参列者は30人に絞る。
大幅に規模は縮小されたが沖縄から20万人以上の戦没者に思いをはせ恒久平和を願う。   

 追悼式では玉城デニー知事が平和宣言をするほか、宮古島市立西辺中学校2年の上原美春さん(13)が「平和の詩」を朗読する。
菅義偉首相と衆参両院議長からはビデオメッセージが送られる。
平和祈念公園内の「平和の礎」はことし新たに41人が追加され、総数は24万1632人となった。

     「みるく世を創るのは私たち」 追悼式典で平和の詩「みるく世の謳(うた)」を朗読した中学2年上原美春さん(13) 

  


          平和な世界は私たちがつくるのだ                   共に立つあなたに感じて欲しい
 

                                  「みるく世の謳(うた)」  全文

            宮古島市立西辺中学校二年 上原 美春

     12歳
     初めて命の芽吹きを見た。 
     生まれたばかりの姪は、小さな胸を上下させ手足を一生懸命に動かし瞳に湖を閉じ込めて

     「おなかすいたよ」、「オムツを替えて」と力一杯、声の限りに訴える

     大きな泣き声をそっと抱き寄せられる今日は、平和だと思う。
     赤ちゃんの泣き声を愛おしく思える今日は穏やかであると思う。

     その可愛らしい重みを胸に抱き、6月の蒼天を仰いだ時、一面の青を分断するセスナにのって
     私の思いは76年の時を超えていく

     この空はきっと覚えている
     母の子守唄が空襲警報に消された出来事を灯されたばかりの命が消されていく瞬間を

     吹き抜けるこの風は覚えている。うちなーぐちを取り上げられた沖縄を自らに混じった鉄の匂いを

     踏みしめるこの土は覚えている
     まだ幼さの残る手に、銃を握らされた少年がいた事を、おかえりを聞くことなく散った父の最後の叫びを

     私は知っている
     礎を撫でる皺の手が何度も拭ってきた涙

     あなたは知っている
     あれは現実だったこと煌びやかなサンゴ礁の底に深く沈められつつある悲しみが存在することを

     凛と立つガジュマルが言う
     忘れるな、本当にあったのだ暗くしめった壕の中が憎しみで満たされた日が本当にあったのだ
     漆黒の空、屍を避けて逃げた日が本当にあったのだ
     血色の海、いくつもの生きるべき命の大きな鼓動が岩を打つ波にかき消され、万歳と投げ打たれた日が
     本当にあったのだと

     6月を彩る月桃が揺蕩(たゆた)う
     忘れないで、犠牲になっていい命など
     あって良かったはずがない事を
     忘れないで、壊すのは、簡単だという事を
     もろく、危うく、だからこそ守るべきこの暮らしを

     忘れないで
     誰もが平和を祈っていた事をどうか忘れないで、生きることの喜び、あなたは生かされているのよと

     いま摩文仁の丘に立ち
     私は歌いたい、澄んだ酸素を肺いっぱいにとりこみ今日生きている喜びを震える声帯に感じて決意の声高らかに

     みるく世ぬなうらば世や直れ

     平和な世界は私たちがつくるのだ

     共に立つあなたに感じて欲しい
     滾(たぎ)る血潮に流れる先人の想い

     共に立つあなたと歌いたい
     蒼穹(そうきゅう)へ響く癒しの歌
     そよぐ島風にのせて歌いたい
     平和な未来へ届く魂の歌

     私たちは忘れないこと、あの日の出来事を伝え続けること
     繰り返さないこと、命の限り生きること
     決意の歌を歌いたい

     いま摩文仁の丘に立ち、あの真太陽まで届けと祈る
     みるく世ぬなうらば世や直れ、平和な世がやってくる
     この世はきっと良くなっていくと繋がれ続けてきたバトン、素晴らしい未来へと信じ手渡されたバトン
     生きとし生けるすべての尊い命のバトン

     今、私たちの中にある

     暗黒の過去を溶かすことなく、あの過ちに再び身を投じることなく繋ぎ続けたい

     みるく世を創るのはここにいるわたし達だ

以上、素晴らしい平和の詩「みるく世の謳(うた)」を何回も拝読したく保存させて頂きました。

コメント (6)
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