独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

実年大学同好会 三七の会(18期+19期の会)2-2

2017年11月26日 00時07分48秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

「オトノハカフェ」にてのランチ後は隣接の 「講談社野間記念館庭園見学」へ

       
                  「講談社野間記念館」 http://www.nomamuseum.kodansha.co.jp/

(HPより)講談社創業90周年事業の一環として 2000年4月に設立されました。
展示品は、講談社の創業者・野間清治が、 大正期から昭和初期にかけて収集した美術品を主体とする「野間コレクション」。
明治から平成にわたり蓄積されてきた 貴重な文化遺産ともいえる「出版文化資料」。
さらに、講談社とゆかりの深い画家、 村上豊画伯の画業が見てとれる「村上豊作品群」の3つに大別されます。
これらユニークなコレクションから、 珠玉の作品をご覧いただけます。 閑静な目白の杜に囲まれた弊館で、 ゆったりとした時をお楽しみください。


       展示紹介 2017年12月17日()まで                   素敵な庭園を思い出に皆様の笑顔がステキ!です

「講談社野間記念館庭園見学」 「芭蕉庵見学」
 
                     文京区関口芭蕉庵 http://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/shiseki/bashoan.html

江戸時代を代表する俳人松尾芭蕉(1644~1694)が、2度目の江戸入りの後、1677年から3年間この地に住んだ。 
当時、旧主筋の藤堂家が神田上水の改修工事を行っていて、芭蕉はこれにたずさわり、工事現場か水番屋に住んだといわれる。 
後に芭蕉を慕う人々により「龍隠庵」という家を建てたが、これが現在の芭蕉庵につながる。 
その後焼失し、現在のものは第2次大戦後の建築である。(以上はHPより)

 
           紅葉が美しい芭蕉庵の庭園を散策                    「ふる池や蛙飛こむ水のをと」の句碑 (文字は直筆とあり)

「芭蕉庵見学」 → 「肥後細川庭園散策」
 

                         肥後細川庭園のご案内  http://parks.prfj.or.jp/higo-hosokawa/

 
                 庭園正門                                   庭園散策

 
          お嫁さんとお婿さんはモデルでしょうか?                           庭園散策

 
                  松の雪吊りがすすむ庭園                                                上記の素晴らしい写真 ↑ はHPから頂きました


                         素晴らしい!ライトアップのご紹介をさせて頂きました(HPより)

細川庭園散策 → 神田川 → 早稲田大学を通り → JR千葉駅到着16:00 の帰宅の途まで約7000歩の旅を楽しみました。

              神田川沿いを散歩する人                               神 田 川

 
          早稲田大学の構内も美しい!秋色に染めて                       早稲田大学の大隈公園の紅葉


                          大隈公園内にありました鐘楼の説明と寄贈されました鐘楼

           歴史倶楽部の「都電・荒川の旅」のご紹介 http://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/d/20100306

(代表幹事様より)
秋の三七の会、好天に恵まれ少人数でしたが秋を満喫した旅でした。
小春日和の一日、富士山麓の野菜満喫のランチ、美味しいスイーツに舌鼓。
講談社野間記念館庭園のモミジやたわわに実ったカリン、細川庭園の池の畔の雪つり、心地よい散策でした。
 
帰路、平成22年3月に「都電・荒川の旅」に訪ねました早稲田大学構内を7年ぶりに訪ねました。
大学構内・大隈庭園の紅葉が素晴らしかったですね。
先の歴史倶楽部定例会の折は、都電大塚駅→都電早稲田大学駅迄、よく歩きました。
過去ログを紹介頂きましたおかげで鬼子母神の川口屋のおばあさんの姿も、「鬼子母尊神」「鬼に角が無い」と言っていた皆様、想い出しても懐かしい。
大隈講堂前での学生たちの校歌、一緒に歌うシルバー学生。
未だシルバー学生も若い、100歳迄未だ20~30年あります。これからも楽しもう!ご協力に感謝。

        
                                       「鬼子母尊神」の鬼に角がないのは?

お役を務めて頂きましたkiharaさまより
N様、代表幹事の歴史散策コースの企画、とても素晴らしかったです。
”Oto No Ha Cafe” 三七の会のお手伝いをさせて頂き、うれしかったです。
デザート部門でCafeからの変更によりドキドキしましたが・・・
富士山麓の「オトワファーム」栽培の新鮮な野菜や果物、
11月ランチメニュー、ワイン、ドリンク、デザート等々お料理は最高でした。
また、皆さんと楽しく会話ができました事も幸せなひと時でした。

ブログ、野間記念館 、芭蕉庵、細川庭園、神田川~。
いつも素敵な写真を撮られて素晴らしいですね。何回も見て楽しんでます。
有り難うございました。

代表幹事様をはじめ役員の皆様のおかげで楽しい1日を過ごすことができました。
ご一緒させて頂きました皆様お世話様になりまして有り難うございました。 

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実年大学同好会 三七の会(18期+19期の会)2-1

2017年11月24日 00時11分04秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

               日   時 平成29年11月22日(水)  翌日23日(木)はあいにくの  でした。 
                   
参 加 者 13名(20名中)
【日 程】 
JR千葉駅09:00集合 → 江戸川橋駅下車 → 徒歩20分程度 → 東京都文京区「オトノハ」にてランチ  → 野間記念館 → 芭蕉庵 → 細川庭園(文京区管理)などを散策 →早稲田大学を通り → JR千葉駅到着16:00 の帰宅の途まで約7000歩の旅を楽しみました。

 
           先ずは、旧 関口水道町の案内板に出合いました               ランチ会場「オトノハカフェ」までの間に出合った「椿山荘」

「関口水道町の名称」は(HPより)=1966年(昭和41年)まで町名として存在していたそうです。
現在、この案内板がある江戸川公園を目白方面に抜けた辺りが文京区関口、目白通りを飯田橋方面へ少し行ったところが文京区水道となっています。
関口と言う名は以前に関口村があったと言われそこからの名、水道と言う名は神田上水を管理運営する人がすんでいたところから名が付いたと言われているそうです。
「椿山荘」について(HPより)江戸時代、上総久留里藩主黒田豊前守の下屋敷であった。
明治に入り山県有朋の邸宅となり、椿が多くあったところから椿山荘と呼ばれた。大正年間に藤田家の所有となった。
庭の築造は19世紀末といわれている。園内には広島県から移築された室町末期の三重塔がある。

ランチ場所  「オトノハカフェ」 11:00到着
 

                   野菜倶楽部 oto no ha Café (オトノハカフェ) http://www.otonoha-cafe.jp/publics/index/8/

「オトノハカフェ」(HPより)は、2013年5月、文京区関口にオープンしたカフェです。
椿山荘と講談社野間記念館に隣接し、緑豊かなエリアにあって、木の温もりを感じるスペースとなっています。
ここ目白台は「椿山(つばきやま)」とも呼ばれて、広重の江戸名所絵図にも描かれた往時からの行楽地。
高台に位置する椿山荘にその名が残っています。今も樹木が鬱蒼と茂り、都心とは思えない景観を保っています。
近くには東京カテドラル教会、永青文庫、水神社、関口芭蕉庵などが点在し、絶好の散歩道となっています。

残念!ランチの撮影を忘れました。
ランチは月替わりメニューですが、HPには11月のランチは掲載さていませんでしたので記念に記録したく思います。
※食前酒 : ハートランド、キリンフリー、グラスワイン(赤・白)

1.農園野菜と北海道ソーセージのグリルサラダ
2.バターナッツ南瓜とモツァレラチーズのグラタン
3.農園野菜と北海道産ホタテのフライ 野菜のタルタル(私が頂きましたランチです)

※ランチには、スープ、サラダ、ドリンクがつきます。

デザートはパフェ、ケーキなど種類が豊富でした。皆様のテーブルからお借りして撮影致しました
  

  
                       沢山のデザートの中から皆様が選んだ美味しい!デザートですが、イチゴのタルトが複数名でした


      「オトノハカフェ」の園芸店の美しいシクラメン                   「オトノハカフェ」のランチ記念にお幸せな皆様   

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ジョイントコンサートを楽しみました

2017年11月21日 13時29分05秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

                           
                            先生方のご紹介をプログラムより転載させて頂きました

3団体93名による混声合唱組曲「水のいのち」5曲を暗譜で歌われました 最後は近能先生のご指導を頂き「今日の日はさようなら」を全員で歌いました



ご一緒させて頂きました皆様からたくさんの感想をよせていただきました。
一部ご紹介させて頂きまして素晴らしかったコンサートをお伝え致したく存じます。
(指揮者先生のご主人様より)
皆様、この度は悪天候の中、お越し頂き感謝申し上げます。
私も同世代の出演者の飾らない今の姿を出し切った歌を感動して聴いていました。
今回は相当の覚悟をもって臨んだようで、出来栄えもそれ相当に満足している様子です。
これまでは次に向かって・・の気力を見せていましたが、今は淡々と、なるようにしかならないと何時辞めても良い・・の心境の様子です。
指揮者は普段、後ろからの姿しか見せないのが、今回は最後に?かなりの時間前を向いて好きなトークが出来てさぞ満足していることと思います。
OKO様のブログで会場の様子が割引なしで判明し、大変喜んでおります。今後とも宜しくお願い申し上げます。

(N様より)
本日は何時もと違い3組の小規模のコンサートでしたが、指揮者の企画が素晴らしく大満足のコンサートでした。
奥様お疲れ様でございました。
奥様に感謝、よろしくお伝えください、ゆっくりと温泉に浸かって下さい。
近能夫人のコンサートブログ掲載有難うございました。
皆様のコメントにあるように指揮者の指導力にも寄りますが、団員の皆様の歌唱力・覚えようとする意気込みにビックリです。

(W様より)
この度はありがとうございました。
感動の一日でした。 
音楽は嬉しいですね。
辛い事も哀しい事もそして悔しい事も和らげてくれる素晴らしい (*^。^*)

(A様より)
いつも鑑賞させていただいているコンサートとは少々趣が違いましたね。
あれだけの歌唱曲を全て暗記なさっての団員の方々の堂々ぶり・圧巻でした。
私には、とても不可能なことをやってのけている方々に刺激されました。
そして、奥様の本番までのご指導力、ぶっつけ本番のトーク力・素晴らしかった!です。
ありがとうございました。

この度のコンサートはご主人様と歴史倶楽部にご一緒の奥様がご指導されておいでのコンサートでした。
出演者93名の皆様が全ての歌を暗譜で歌われ、特に全員で歌われました混声合唱組曲「水のいのち」5曲を一気に歌われました時は本当に驚きと感激でした。
今日までのご努力に指導者近能先生から団員の皆様に  をお贈りしたいとのお話に客席からも全員で温かな大きな を贈らせて頂きました。
先生のご健勝をお祈り申し上げますとともにますますのお栄えをお祈り申し上げます。
奥様先生お疲れ様でございました。有り難うございました。

お詫びです。この度はカメラを忘れてスマホで撮りました未熟な写真で申し訳ございません。

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歴史倶楽部友の会親睦旅行 (3-3)

2017年11月05日 13時11分38秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

1日目最後の身延山久遠寺参拝 ~ 富士川を眺めながら  の旅 ~ 一路お宿の「下部 」 へ16:30到着

下部温泉郷とは(HPより転載)
五老峰と俗称川向山とにはさまれた山合いにあって、毛無山を水源とする下部川の両岸に、旅館と商店が並んだ下部温泉駅付近のことです。
下部温泉の歴史は古く、一説によれば景行天皇の御代(西暦71年~130年)に、国内巡視のために訪れていた甲斐国造(かいのくにのみやつこ)の塩見によって発見されたと
言われております。
そしてその頃「塩見の湯」と名付けられ、それが長い年月を経るうちに訛って、いつしか「下部の湯」となったと いう説がありおよそ2000年もの間、親しまれ愛され続けて
います。
また、武田信玄の隠し湯として知られるように、武田軍の負傷兵を療養させた湯と言われ、療養客や湯治客が多く訪れたのです。
大正初期頃は旅館9戸に浴室1箇所でしたが、その後旅館などの施設整備が進み、昭和31年には、全国有数の 温泉のうちから泉効が顕著であること、湧出量が豊富であること、
気候的に休養地として適すること、その他の条件に適合するとして認められ、国民保養温泉として指定を受けます。

又、昭和36年には、名優「石原裕次郎」が複雑骨折した際、2か月滞在し完治したそうです。
滞在した別館「裕林亭」は石原裕次郎が命名。館内には裕次郎ギャラリーがありました。 


      山間にそびえる下部ホテル全景               素敵な足湯コーナー 

18時より懇親会開始

         懇親会開始前の記念写真               友情の絆を誓って乾杯 

    美味しかった夕食のご馳走        夕食後のひと時、太鼓ショーを見学         下部ホテル宿泊記念の思い出の1ページ
2日目10月31日(月)

下部ホテル 8:00 スタート  ~ 駿府匠宿見学
歴史と伝統に育まれた街静岡には、その証として全国でも稀なほど数多くの伝統工芸技術が今なお引き継がれており、県が指定する「静岡県郷土工芸品」18品目の内、9品目
が静岡市の産業により占められています。
これら静岡市の伝統工芸産業は、時代の変化に伴い家具、仏壇、サンダル、プラスティックモデルなど、新たな産業をも生み出し、現在では他に例をみないほど多業種による
地場産業都市を形成しています。

又、丸子は日本紅茶発祥の地として、千葉県富津市出身の多田元吉翁により明治のはじめより生産を始め「丸子紅茶」の名前で全国に知られている逸品です。

施設内を見学しておりましたら下記の案内図がありましたので写真に収めてきました。
時間の都合上現地の見学はできませんでしたので帰宅後HPで調べてみました。


                   案 内 版                                             丸子城跡(まりこじょうし) (HPより)

丸子城は駿河国守護・今川氏の家臣である斎藤安元によって、応永年間(1394~1428年)に築城されました。
その後は今川氏拠点の駿河府中の西の入口を守る城として使われ、武田氏が駿河に侵攻してからは田中城とともに駿河西部の攻略拠点として使われました。
現在は曲輪、土塁、 空堀、三日月堀、堀切、竪堀、枡形、馬出し等の遺構が残されています。(HPより)

駿府匠宿見学 ~ いよいよお待ちかねの大井川鉄道SL乗車
大井川鐵道は日本で唯一、年間300日以上SLを営業運転している鉄道会社です。
SLの年間走行日数はもちろん、総走行キロや現役運行台数も日本一!大井川沿いののどかな風景の中を走るSLの醍醐味をぜひ味わってみてください。(HPより)


                       思い出の写真が撮れました

                             皆様無断で掲載お許しくださいネ

大井川を眺めながら懐かしい石炭の香り、真っ青な秋空に吸い込まれますようにたなびく白い煙、ポッポーの音、車内のおしゃべりも加わり、40分ほどの乗車でしたが
楽しい思い出となりました。

大井川鉄道SL乗車 ~ 石原マリンステーションへ(昼食とお買い物)
「年間45万人が訪れるお買物スポット 1階でお買物、2階には大食堂がある。
 2012年8月ミニ工場見学がオープン 加工現場は、原料加工の一部(主に削り加工: 成形)をご覧いただけます。
 昭和49年「かつおのたたき連続自動焼成加工装置」を日本で初めて開発し現在に至るまで「かつおのたたきの石原」として全国の消費者に食して頂いております。」
(以上はお店のコマーシャルより ) 


最後の訪問先は石原マリンステーションでした。
美味しいお魚の昼食に舌鼓を打ち、店内に所狭しと並ぶお土産品に家族のためにお財布も緩んでおりましたように見受けました。

石原マリンステーション 14:15発 ~ 一路千葉へ
に恵まれました2日目 10月30日(月)の日程も無事に済み、帰路の車窓から眺める美しい富士山に歓声をあげながらJR千葉駅迄3時間余のドライブを楽しみました。


                    友人にお願いして撮影して頂きました思い出の富士山です
1日目はあいにくのに見舞われましたが、2日目は素晴らしいに恵まれ、歴史倶楽部友の会思い出の旅に28名の皆様とご一緒できました事にお心遣いを頂きました
幹事の皆様に御礼を申し上げます。
今後とも思い出を重ねることができますように健康管理に努めて参りたく考えております。
皆様、お世話になりましてありがとうございました。

代表幹事様のメールより転載させて頂きました。
友の会一泊旅行ご参加の皆様
 発直前まで天気予報がとても気になりましたが、幸いなことに一日目は小雨程度で救われ、二日目はなんと素晴らしい好天に恵まれ、 感動的な景色にも出会え、楽しい旅を
することが出来ました。
 参加された皆様ありがとうございました。 そして4名の担当世話人のみなさん大変ごくろうさまでした。お世話になりました。    

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歴史倶楽部友の会親睦旅行 (3-2)

2017年11月03日 10時03分05秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

身延山・久遠寺:身延町(説明・写真はHPより)
日蓮宗大本山。1274年に波木井実長の招きに応じた日蓮により建立されました。戦国時代には武田氏や穴吹氏信仰を集めました。
祖師堂前と来客殿前にある2本のしだれ桜は、樹齢400年の巨木です。身延山の西側には海抜1989mの七面山があり、霊峰富士と対峙し、ご来光の遥拝地となっています。

(見学して)以前は延々と石段を登って行きましたが、現在は斜行エレベーターが設置され、直ぐに本堂に行けます。
あいにくの雨でしたが、本堂に上れば、廊下で繋がっていますので祖師堂、報恩閣なども濡れずに見学できました。
             

       日蓮宗・久遠寺・総本山                総   門              参拝記念のご朱印

               本   堂                                  祖 師 堂
久遠寺の「五重塔」
2009年5月、明治8年の大火による焼失より134年ぶりによみがえった宝塔。平成21年5月に落慶を迎えた木造の五重塔。
木材は全て国産を使用し、設計から工法にいたるまで400年前に建てられた元和の塔を復元・再建しました。

         残念!記念の1枚も雨にけぶって          ゴメンナサイ!ご本人のみが知る記念写真

歴史倶楽部で訪ねました折の10年前のブログ 甲斐の名将武田信玄公ゆかりの史跡を訪ねる旅(続き)2007年11月15日 

10年前のブログを久々に懐かしく眺めております。
写真の取り込みも未熟で整っておりませんが、旅の思い出は十分楽しむことができますことにブログを綴れました事に感謝を申し上げております。
この度の写真はその折の写真を一部転載しました。

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歴史倶楽部友の会親睦旅行に参加しました (3-1)

2017年11月02日 19時56分52秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

「下部温泉と大井川鐵道SLの旅ご案内」
じっとしていても汗が滴る、盛夏を迎えております。
会員の皆様にはお変わりなく、お元気でお過ごしのことと存じます。
昨年「友の会」としては初めての、信州上田・上高地方面一泊旅行が行われ、好評を博しました。
本年もこれに続けと、小湊鐵道企画の赤トンボツアーに参画し、一泊旅行を実施することにしました。
親交を重ねて来た仲間が二日間に亘って、寝食、行動を共にすることは、又格別です。
下記の通りご案内しますので、奮ってご参加のほど、お待ちしております。

上記のご案内に多くの皆様が参加され、久々にゆっくりと親交を深めることができました。

                  記 

 1.日   時 平成29年10月29(日)~30日(月)
 2.宿  泊  先 山梨県下部温泉郷「下部ホテル」📞0556-36-0311
 3.集合場所 旧千葉三越前(向かい側のNTT前ではありません)
 4.集合時間 7時45分集合 ⇒ 8時00分出発
 5.行  程 別添、小湊鐵道の旅行パンフレットをご覧下さい
 6.会  費 23千円(小湊鐵道旅行代金、1次・2次宴会費、通信費)
 7.参 加  者 28名(男性・女性ともに14名)
1日目10月29日(日)終日
 

笹一酒造(見学)

      国道20号、甲州街道沿いにある造酒屋           笹一ブランド商品が揃う酒遊館

大正8年創業の、山梨を代表する蔵元・笹一酒造。清酒はもちろんですが、ワインの味にも定評があります。
工場に併設されるショップ『酒遊館』で一番人気のワインは『オリファン にごりわいん(赤)』。
リフェノールが通常のワインの2.5倍も含まれていながら、アルコール分が6%と低く抑えてあるためジュース感覚で飲める新タイプの甘口ワインです。
また、別名パイナップルグァバとも呼ばれている新果実フェイジョアを使ったワインは、笹一オリジナル。
様々な果実をミックスしたようなフルーティな味わいを持つワインで、ビタミンCが豊富にふくまれ、その香りは、香水に例えられるほど豊かと評判です。
(以上はお店のコマーシャルより)
おかげさまで私たち一行は清酒、焼酎、そしてワインの試飲を楽しみました。

ハーブ庭園(見学)

                                 庭園にはコスモスが咲き乱れていました    ラベンダーのアイス
 

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秋の夜長に「聖断」を拝読いたしました

2017年09月10日 14時29分34秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

                  
歴史倶楽部でお世話になりました元会長様の永井様からご紹介を頂き、早速求めて学ぶことができました。

千葉県の偉人鈴木貫太郎氏と言えば、終戦時の総理大臣だった事。そんな鈴木貫太郎氏が、元海軍の大将であり、昭和天皇の侍従長までも勤めていた事実。
彼は『奉公十則』の精神を海軍、侍従長そして首相になっても貫き通しました。
その実直な精神は、彼の周囲の人ばかりでなく、時には敵対する人にまで影響を与え。人々の心を軟化させる力を持っていました

日本の憲政で、鈴木貫太郎氏ほど「もっと知られて良い人」ではないかと思いました。
日露戦争での大活躍、2.26事件での強運、奥様のたか様と昭和天皇とのつながり、そして昭和天皇の「ご聖断」を引き出した決断力。

総理大臣への就任にあたって昭和天皇に「お願い」をされた政治家は鈴木貫太郎氏他には存在しません。
高齢ながらその「お願い」を見事に実現された鈴木貫太郎氏、今の時代に鈴木貫太郎氏のような知性と決断力と人柄を兼ね備えた人材はどれほどいるだろうか。

本書の中で多く語られております昭和天皇と鈴木貫太郎氏との信頼感は読んでいて本当に感動致します。
その他にも、昭和天皇と白川大将との絆、鈴木貫太郎と阿南陸相との絆、極限の状況の中で、これほどお互いを信じられるのか…と、感動致しました。

本当にすばらしい本に巡り会うことができました。永井様有り難うございました。

過日、歴史秘話ヒストリー放映「天皇のそばにいた男」と題して千葉県郷土の偉人・鈴木貫太郎氏を学ぶ機会を頂きました。
千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成20年 9月定例会で見学致しました記念館内部の遺品・白川一郎画伯が描いた「最後の御前会議」の油絵等々が放映され、
千葉県の偉人鈴木貫太郎氏を偲ぶことが出来ました。

    歴史秘話ヒストリア 2015年8月5日 150805 【天皇のそばにいた男・鈴木貫太郎 太平洋戦争最後の首相】    
                   http://www.dailymotion.com/video/x3gf3ow  

昭和史研究の第一人者・半藤一利の傑作ノンフィクション「日本のいちばん長い日 決定版」を、「クライマーズ・ハイ」「わが母の記」の原田眞人監督が映画化。
1945年8月15日に玉音放送で戦争降伏が国民に知らされるまでに何があったのか、歴史の舞台裏を描く。
太平洋戦争末期の45年7月、連合国軍にポツダム宣言受諾を要求された日本は降伏か本土決戦かに揺れ、連日連夜の閣議で議論は紛糾。
結論の出ないまま広島、長崎に相次いで原子爆弾が投下される。
一億玉砕論も渦巻く中、阿南惟幾陸軍大臣や鈴木貫太郎首相、そして昭和天皇は決断に苦悩する。(HPより)

映画『日本のいちばん長い日』も鑑賞しましたので、本書読解の一助になりました。

    映画「昭和天皇の御聖断シーン」の映像がありましたのでご紹介させて頂きます。
                  https://www.youtube.com/watch?v=KAvsx0Hruws


        鈴木貫太郎記念館玄関             鈴木貫太郎のお墓                鈴木貫太郎略年譜 
                    ↑ 
上記3枚の写真は平成20年9月歴史倶楽部参加の折りに撮影したものです。
近能様から頂きましたメールのご紹介
相変わらず各方面でご活躍のこと嬉しく思います。
この度は近世史に真正面から取り組まれ、素晴らしいブログをご紹介頂き感謝申し上げます。
少なくとも私は、終戦前後の忌まわしい戦争に導いた人達とそれを阻止しようと努めた人々との葛藤は、自分なりの解釈で生々しく記憶に留めており、
そのことに触れるのを意識的に避けて来ました。
oko
様にお前は今どう考えているのかと正面から問われ、もう戦後70数年を経たのにやっと気が付き、避けていた近世史を紐解こうかな・・と考えています。
有難うございました。

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平成29年度 歴史倶楽部友の会 第一回 茨城県「取手散歩」 その2

2017年07月13日 22時03分00秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

                       平成29年度 千葉実年大学校歴史倶楽部 第一回 友の会開催
                        日
  時 平成29年7月8日(土) 気温
                        参加者 31名
        旧取手宿本陣染野家住宅見学
  茨城県取手市染野家住宅 https://www.city.toride.ibaraki.jp/maibun/shisetsu/038.html

江戸時代、水戸街道は、現在の足立区千住と水戸を結んでいました。大名が宿泊や休息した家を本陣と呼びました。
染野家は、代々取手宿の名主を勤めており、水戸徳川家から本陣に指定されました。
水戸徳川家の藩主だけでなく、水戸街道を行き来する他の大名や高位の武士も染野家を本陣に利用しました。
江戸時代、取手の宿場はたびたび火災にあい、現在の旧取手宿本陣染野家住宅は、寛政6年(1794年)の火災の翌年に、表門は文化2年(1805年)に再建されました。
現在の敷地はほぼ当時のままで、主屋・土蔵・表門・徳川斉昭の歌碑が残っており、当時の様子がうかがえます。 

  
        茨城県指定有形文化財・取手市指定史跡 染野家住宅                  土間の上部 梁はクロマツ

            取手市キリンビール工場見学のご案内  http://www.kirin.co.jp/entertainment/factory/toride/#tour

 のとても暑い1日でしたが、初めて尋ねました取手市について多くを学び、旅の終りは「きりんビール工場見学」の素敵な企画に皆様足取りも軽く暑さから解放されて
「試飲 杯」に喉を潤しました。素敵なランチも美味しく頂きました。
酷暑の中の散策でしたが、参加者全員、元気で帰路に着くことができました。
この度の「取手散歩」の企画に担当役員の皆様には下見から当日のお心配りまでお世話になりましてありがとうございました。

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平成29年度 歴史倶楽部友の会 第一回 茨城県「取手散歩」 

2017年07月10日 22時39分10秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

                       平成29年度 千葉実年大学校歴史倶楽部 第一回 友の会開催
                        日
  時 平成29年7月8日(土) 気温
                        参加者 31名


  立派なパンフレットを頂きました              忘れないように保存しました                長い階段をみなさん頑張って上りました


      鐘楼が保存されています山門(表)           鐘楼が保存されています山門(裏)                立派な御手洗
 


         山門脇のお地蔵さん               茨城県指定有形文化財 長禅寺三世堂                ご朱印をいただきに本堂への道

長禅寺は大鹿山長禅寺と号し、臨済宗妙心寺派に属しています。
慶安2年(1649)将軍徳川家光より寺領5石3斗を賜る朱印状の交付を受け、以後明治維新まで歴代の将軍より朱印状を受けています。
また市内に残る石造遺物の約6%がここにあります。
                                          


            本  堂                     思い出のご朱印                 山門前で説明に耳を傾ける皆様

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落語を楽しみました

2017年05月21日 09時38分02秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)


             頂きましたプログラムより                             「蘇我コミ通信」より転載

                      
                                       開演前の御席

平成29年度「歴史倶楽部友の会」幹事としてT会長W副会長のお手伝いをすることになりました。
この度、8月27日()開催の「蘇我亭」の落語会の下見に参り、真夏日の暑さから逃れて午後のひととき心に幸せな笑いを頂きました。
出演者は社会人で落語を趣味とされる皆様とお伺いいたしましたが、語りは熱く、わかりやすい演目に大きな  を贈らせて頂きました。
8月27日()の開催日に多くの皆様にご参加頂きたく、懇親会場探しにも歩を進め、皆様に喜んで頂けるでしょう  の素敵なお店に予約完了に
ホット致し、反省会を兼ねたティタイム  を楽しみました。

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2017(平成29年)とどけ歌声 被災地へ!コンサート

2017年05月08日 01時04分17秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)


              プログラムの表紙より                       プログラムの一部ご紹介

この度のコンサートには千葉市内各地より24組の皆様が晴れの舞台を彩られました。
私たちの近能奥様先生は各地域において多くの団員の皆様をご指導されていらっしゃいます。
今年度は、多くのご指導の中から4組のご出演に優雅に躍動的なご指導のお姿に観客席から「ブラボー」のご発声が叫ばれました。
私たち一同も大きな  を贈らせて頂きました。
近能奥様先生の素敵なご指導のお姿をご紹介させて頂きます。(  が未熟で申し訳ございません。)


   コーラス コスモス&華の皆様 「きんいろの太陽がもえる朝に」他     混声 ポコ ア ポコの皆様 混声合唱組曲「筑後川」より河口 他


       コーラス 松ぼっくりの皆様 「さんさい踊り」他  轟混声合唱団の皆様 混声合唱組曲集「落葉松」よりあなたとわたしと花たちと

次にご紹介のお写真とお言葉はいつもお世話になっております徳さん様より先ほど  に頂きましたのでご紹介させて頂きます。

京葉銀行文化プラザ音楽ホールで第7回「とどけ歌声 被災地へ!」に出演しました。
男声は二人ですが頑張って歌いました。
グループ名は「コール 野の花」です。
このコーラスは10人のこじんまりしたグループですが楽しく歌うことをモットーにしています。
本日は「おお 牧場はみどり」「アニーローリー」「森へゆきましょう」の3曲を歌いました。
大きな拍手をもらい、とても良いコンサートでした。
私たちの出演している舞台写真をありがとう御座います。
昨日のことがよみがえってきます。
徳さん様は隔月に行われております小湊鉄道 「歌声列車」 のアコーデオン伴奏を担当されてご活躍のお方です。


              私が撮影の です                         徳さん様が撮影の  です

 友人が参加の「加曾利コーラスクラブ」の皆様 「明日に架ける橋」他        最後の発表のグループと全体合唱のプログラム

                 
                                  指揮 近能 昭子先生
最後にご出演の轟混声合唱団及び参加者全員で全体大合唱を行って閉幕となりました。

ご一緒しました友人から頂きました  より

y.con様より
本日はお忙しい中、長時間ご参加下さいまして有難うございました。
今年で最後になるかも・・とのお話ですが、出演者には心に残る一日であったと思います。

N様より
早速の
掲載にビックリ! 掲載時間5/8(月)1時です!
近能先生の指揮する優美な姿、徳さん達仲間の楽しそうな写真、来年も引き続き開催されることを願っています。

W様より
何時もながら和やかで楽しい時間をありがとうございました。
近能奥様のご活躍に感動と偉大さが私にグイグイ!感じる一日でした。
此のコンサートが長く続く事を願っています。次回も皆様と楽しい会話とお食事がありますcon7会の長いお付き合いをお願い致します。

K様より
”とどけ歌声被災地へ!2017・コンサート”素晴らしいコーラスに感動し譜面、持たずに暗譜して歌うのは指導者の指揮・近能昭子先生が最高のレベルで
いらっしゃる
からですね。
コーラスの皆さんのドレスも素敵でした。
次回、コンサートの発表会を楽しみにしています。

A様より
本年も、近能奥様の指揮する魅力的な後ろ姿にうっとり!してしまいました。
そして、各団体の素晴らしいハーモニーをお聞かせいただきました。楽譜なしで合唱する日頃の鍛錬にも感心させられました。

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千葉テレビ 「ちば見聞録」より 千葉県 新川 ・ 花見川を掘る ~印旛沼掘割普請~ 

2017年04月17日 23時15分07秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

歴史倶楽部の元会長小西様より、父の故郷の歴史「花見川掘割における庄内藩農民の尽力」について興味深いお話をお伺いする機会を頂きました。
その後、ご丁寧に次のようにメールを頂きました。
「庄内藩農民の墓所の位置は下の地図上に印をしました。
 16号線の下横戸町の交差点から弁天橋・鷹の台GCに向かった狭い道路の三叉路にあります。


        庄内藩農民の墓所図              庄内藩農民の墓所(下横戸町共同墓地内)          山形県の方のお墓がなぜ千葉市に? 
 

印旛沼堀割普請を老中水野忠邦の天保改革として行いました。その時の話です。
遊佐郷大服部村(山形県遊佐町)の仁兵衛は 7 月 13 日に国元を出立して同 25 日に現地に到着し、9 月 24 日に病死しています。
57 歳でし た。墓は花見川区横戸町の共同墓地にあり、正面に「荘内大服部村仁兵衛墓」と刻まれて います。
向かって右側面には「下総印幡沼古堀筋御普請御用御手伝人夫の墓なり、天保十 四癸卯七月十三日羽州庄内を出て同九月二」、
続けて左側面に「十四日病死して爰に葬る、 後の人憐みてこれを発くことなかれ 法名観阿道哲信士」と刻まれています。

私がお墓を見たきっかけは、歴史が好きなこともあり佐倉市主催の「印旛沼の治水・花見川掘割」の散策に参加したことです。
また、私の生まれは、山形県鶴岡市(庄内藩・酒井氏)です。
徳川幕府隠居の家斉の庶子である川越藩藩主が財政困窮したことから老中水野忠邦が三藩国替え(川越藩→庄内藩→長岡藩→川越藩)を画策しました。庄内の地で大掛かりな
百姓一揆が計画され廃案となりました。
その跳ね返りが老中水野忠邦が考えた印旛沼堀割での庄内藩の普請となったようです。
そのようなことが、藤沢周平の『義民が駆ける』に表われております。参考になればと思います。」と頂きました。

以上に説明を頂きました後、13日(木)20:10~「ちば見聞録」に時間を合わせましたら、この度お話頂きました「新川、花見川を掘る~印旛沼を掘る~印旛沼堀割普請」についての内容でした。

「荘内大服部村仁兵衛墓」と刻まれた碑なども紹介され、本当に不思議なご縁に存じました。
故郷に流れる花見川の美しい風景を眺めながら「花見川掘割における庄内藩農民の尽力」などの長い歴史の足跡を初めて学ぶことができました。
konishi様、誠にありがとうございました。

次に千葉テレビで放映されました映像をHPに探すことができましたのでご紹介させて頂きます。

「新川、花見川を掘る~印旛沼を掘る~印旛沼堀割普請」の映像ご紹介  https://www.youtube.com/watch?v=6BCWZy53MZ8

又、千葉市小学校の社会科の孫の教科書にわかりやすく掲載されていましたので紹介させて頂きます。

「花見川を開く」は6ページで花見川と印旛沼の開発の歴史がテーマとなっており、次の6つの項目から構成されています。
●花見川サイクリングロードのたんけん・・・むかしは新川と花見川はつながっていなかった。
●昔の花見川のまわりと水がいの様子・・・印旛沼は水害に苦しめられた。
●人々のねがいと染谷源右衛門・・・新田開発と水害を防ぐため印旛沼の水を東京湾へ流そうとした。
●開発工事の様子・・・源右衛門は財産を全部売って大工事をした。
●花見川を開く計画とその後の開発・・・工事は引き継がれ、1843年の工事は84万人参加し、1968年に完成した。
●花見川・印旛沼とこれからのわたしたち・・・水田が増え、飲み水、工業用水としての利用、洪水を防ぐ。自然がいっぱいのいこいの場所。


             題字は千代倉 信子先生書                  画と文字は漫画家さとう 有作先生 (知人です)


                                                                                     弁天橋からの眺め

                                

 
         詳しくご説明頂きました先生です

 
                                         庄内藩からは1500人もの人夫が集まった様子図

              当時の人夫さんの姿図                         働く人夫さんの姿図

                     弁天橋の下を掘ることが困難だった理由及び弁天橋の下の断面図


                               花見川と新川がつながりました

                             素晴らしい公園の歴史を知る人は・・・?

                                               画と文字は漫画家さとう 有作先生

 は千葉テレビより撮影させて頂き、断片的に並べただけですので内容はご紹介のアドレスよりご覧いただきたくよろしくお願いいたします。
説明頂きました鏑木行廣先生のお言葉「現在の素晴らしい風景を醸し出す美しい川に歴史の足跡を訪ね、先人の知恵と多くの方のご苦労、犠牲がありました事に思いを馳せて
頂ければ幸い。」と。
最初の提案者の現在の八千代市の染谷源右衛門氏から始まり、2回目の提案もかなわず、3回めにしても遅々と進まず、江戸時代から昭和まで250年という時代を超えて完了
するも、その間にも多くの方の苦労、犠牲がありました事の説明に今、緑に囲まれて美しく流れる川に父を偲び、先人の皆様に改めて感謝の思いを致しました。

友人のyoshikazu様のメールより(2017.4.19)
「ブログ見させていただきました。近来にない力作です。
 残念ながら機械に弱くブログにはコメントが載せられません。
 三藩国替を題材にした藤沢周平の世界「義民が駆ける」は確かに読みましたが
 その後、庄内の人達が駆り出されて千葉で仕事をしていたなどは全く承知していません。
 身近に事実に基づいて歴史を紐解くことは本当に目の覚める思いがします。
 素晴らしい作品でした。」と有り難いお言葉を頂きましたのでご紹介させて頂きます。
yoshikazu様、ご覧いただきましてありがとうございました。
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歴史倶楽部同好会 三七会(18期+19期)懇親会 2-2

2017年04月08日 19時14分45秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

          日   時 平成29年3月30日(木)  当日のみ気温  
          参 加 者 17名(22名中)

2017年04月03日 に一部を綴りましたが、撮影した  がもう少しありましたので記念に綴りたく思います。
詳しくは下記 ↓ 佐倉市のHPをご覧いただけましたら幸いに存じます。

        千葉県佐倉市 佐倉城址公園 http://www.city.sakura.lg.jp/0000000987.html

佐倉城址公園は、佐倉城跡の中に設置されている公園です。
公園内には天守閣跡、空堀など城の遺構が多数残され、天守閣跡脇の樹齢約400年の「夫婦モッコク」(千葉県指定天然記念物)をはじめ、シイ、カシ、モミジなどの大木が
いたる所にある、緑多き歴史公園です。天守閣跡や巨大な馬出し空堀、水堀に守られた南出丸や西出丸は必見です。
園内には昔、乳母が若君を池のほとりで遊ばせていた際あやまって若君を溺れさせてしまったという哀しい話が伝わる「姥が池」や三逕亭(茶室)(さんけいてい)、桜や牡丹、
梅、菖蒲園、紅葉などもあり、四季を通じてお弁当を広げる家族連れの姿が見受けられます。


               馬出し空堀                        陸軍病院跡の看板を確かめる会員


佐倉城址公園は近世佐倉城があった場所で、それぞれ椎木曲輪、本丸・二の丸はじめ城の中心部、三の丸が配置されていました。
現在も堀や曲輪などかつての様子を示す数多くの遺構が残されています。
西に鹿島川、南に高崎川、北に広大な印旛沼があり、城は印旛沼から続く低湿地帯を眼下に見下ろす鹿島台地上に立地し、敵から攻めにくい場所にあったことがわかります。(HPより)


    「常磐木や   冬されまさる   城の跡」               「姥が池」に向かう緑豊かな広大な散歩道
     正岡子規句碑 (城址公園内)

        「姥(うば)が池」の悲しい説明板                  「姥が池」に
沢山の亀が甲羅干し

         7月には美しい蓮田になるそうです            「姥が池」見学を後にして美しい緑に囲まれた帰り道

佐倉城址公園散策を終えて、昼食会場の ランチ「シェ・ムラ」 (JR佐倉駅近く)まで万歩計は1万余歩を記録してくれました。
暖かな散策日和に恵まれ、程よい疲れにお腹もすいて  で喉を潤し、 の美味しさにも満足しながら楽しい語らいに友情の絆を確かめ合いました。
この度の担当幹事様の素晴らしい計画に感謝を申し上げます。有り難うございました。そしてお疲れ様でございました。
 

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歴史倶楽部同好会 三七会(18期+19期)懇親会 2-1

2017年04月03日 00時36分52秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

          日   時 平成29年3月30日(木)  当日のみ気温  
          参 加 者 17名(22名中)

【日 程】 JR佐倉駅10:00集合 → 佐倉城址公園散策 → ランチ「シェ・ムラ」 まで約1万歩の旅を楽しみました。

佐倉市について広く知って頂きたく 2008年05月16日 佐倉の旅 の記事をご覧頂きましたら幸せに存じます。

 江戸時代に堀田氏の居城であった佐倉城の城跡一帯を整備した公園。
城の建物は明治初期にすべて取り壊されたが、土塁空堀跡 などが残り、往時の面影をとどめている。
樹木の茂る園内には芝生広場や散策路、姥が池が配されている。
園内の桜は約740本、歴史民俗博物館の区域を入れると合計1100本以上にもなる花見の名所。と説明がありました。
本丸跡 の芝生広場には園児たちがお弁当を広げて楽しむ姿に出合いました。

 
       堀田正睦(まさよし)像                タウンゼント・ハリス像

【堀田正睦(まさよし)像】
佐倉ライオンズクラブが創立40周年記念事業として堀田正睦公の銅像を制作し、平成18年10月21日に市に寄贈されました。

開国の父とよばれた堀田正睦(1810~1864)公は、佐倉藩に西洋の学問を奨励し、幕末期の老中として、動乱の日本を開国に導いた佐倉藩主として知られています。
銅像は、佐倉城址公園内の茶室(三逕亭)前に設置され、大きさは台座を含めて約270cmあります。

【タウンゼント・ハリス像】
佐倉城址公園の二の丸入口付近に建つハリスの銅像は、佐倉ライオンズクラブが日米修好通商条約締結150周年を記念して建立、市に寄贈されたものです。同じく佐倉ライオンズクラブにより平成18年に建てられた旧佐倉藩主 堀田正睦公像の近くに建立されています。

【ハリスと堀田正睦】についてHPより転載
安政3年(1856年)、タウンゼント・ハリスは、アメリカ大統領の親書を携え下田に到着。
来日の目的は、アメリカ初代駐日総領事として他国に先駆け日本と通商条約を結び、開国を実現させることでした。
こうした動向が、当時幕府で老中を務めていた開明派の佐倉藩主堀田正睦を外交の舞台に登場させることとなりました。
ハリスと正睦により、幾度にもわたる直接交渉が行われた結果、安政5年(1858年)6月19日、日米修好通商条約が締結されました。


        咲き始めたばかりの芝生広場の桜                          参加者17名の皆様

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2016年けやき倶楽部公開シンボジウムに参加

2016年02月14日 16時00分47秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

    首都直下地震を生き抜くために ~災害時の 医・食・住 を考える~

    開 催 日 時 2016年2月13日(土)13:00開会 /16:30閉会
    会     場 千葉大学けやき会館
    主     催 千葉大学・千葉大学生涯学習友の会けやき倶楽部
    後     援 千葉県・千葉市
    参 加 者 数 約290名と伺いました


               モデレーターの中林一樹先生及びパネリスト5名の皆様

基調講演  「首都直下地震を生き抜くために」 中林 一樹先生
         明治大学大学院政治経済学研究科  危機管理研究センター特任教授

パネリストによるプレゼンテーションより
        災害時の医療(DMAT活動)と医療コーディネート 渡邉 栄三先生
        千葉大学救急集中治療医学准教授
 ご案内の  は両先生のスクリーンの説明から頂きました。

パネリストによるプレゼンテーションは全員で5名でした
 2番目の登壇 千葉県の防災・減災対策       浅尾 一巳氏 千葉県危機管理部主幹

 3番目の登壇 千葉市の食の備え          飯田 正夫氏 千葉市防災対策課課長

 4番目の登壇 地域の防災対策・家庭の防災準備  永井   明氏  けやき倶楽部会員 (元千葉実年大学校 歴史倶楽部会長) 


    お世話になっております永井 明様をご紹介させて頂きます 


  


               地域住民との連携を大切に実施されております防災・避難訓練の様子を紹介されました

5番目の登壇は吾が素敵な先輩 渡邊 雄子様のご紹介 元千葉実年大学校 歴史倶楽部役員 現在けやき倶楽部会員


       阪神淡路大震災の体験を語られた渡邊 雄子様               パネリストとして発言される渡邊 雄子様

渡邊 雄子様は「阪神淡路大震災を体験して」と題して貴重な経験談を語られました。
お話の中で以前にも災害に遭われましたお話をされましたので確認をさせて頂きました。
まず最初は1948年(昭和23年)に「
福井市で震災」に遭われましたと。
その後、「福井市で水害」に遭い、そしてこの度の体験談の1995年1月17日の「阪神淡路大震災」に、続いて2011年3月11日の「東日本大震災」と4回も災害の
経験をされましたとお話し下さいました。
以上の経験から得た大切な事は、「飲料水の確保」でした。また、不要と思えたことは「貴重品」でした。
なぜならば、自助努力で2日分ほどの確保が出来れば近隣の助け合いによって得る事が多かったからですと。とお話し下さいました。
今後5回目の災害がこない事を祈りたいと。
最後に「皆様方どうぞお元気に長生きしましょう。」と結ばれました。
傘寿をお迎えになられてお出での渡邊雄子様、ますますお元気にご活躍のお姿に敬意を表しますと共にご健勝を心からお祈り申し上げます。

この度は、永井明様、渡邊雄子様の素晴らしい発表に、そして長い間お世話になりました千葉実年大学校 歴史倶楽部の役員経験者の皆様方は、千葉大学 けやき倶楽部にも学ばれ、積極的なご活躍のお姿に接し、有意義なひとときを過ごさせて頂きましたことに心から感謝を申し上げております。
有り難うございました 


永井 明様から  を頂きましたのでご紹介させて頂きます。
この度はけやき倶楽部シンポジュームにお越しいただき誠に有難うございました。
arai
様たち幹事役のご努力により満席約290名のご参加を頂きました。

昨年2月頃より準備をはじめ、ご多忙の中林先生の予定に合わせ日時を決め、千葉大学、千葉県、千葉市の関係者との根回しを行い進めてきました。
幹事役全員で人集め、今回満席で皆様大成功と喜んでおられました。

oko様のブログに記事を掲載頂けること感謝します。
ブログ愛読者の皆様に是非、防災意識を持っていただくことの大切さをお伝えください。

本日、14日(日)は午前中暴風でしたが、近くの轟町小学校体育館で避難所運営委員会の訓練を行ってきました。
地域の方々約100名、役員や千葉市の担当を交え、訓練を行いました。
訓練は、段ボールを使った避難用トイレの作成を行いました。
同じ形の段ボール2個とごみ袋、レジ袋を使って作成しました。
昨日の中林先生のお話し、被災者はよく食べ、トイレを使うことが必要との話を思い出し、参加者に語り掛けました。
また、自助が必要なこと、常備薬を余裕をもって持つこと等お話もしました。

永井明様は、昨日のお疲れもみせずに、早速、地域の避難訓練の先頭に立たれ、中林先生のお言葉をお伝えしましたことを伺い、地域の皆様は安心してお過ごし頂けます事と存じます。
永井様、ご多忙の折にどうぞご無理のございませんようにご健勝をお祈り申し上げます。
この度は本当にお疲れ様でございました。
有り難うございました
    

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