牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

清栄様のバプテスマ

2019-01-26 07:46:25 | Weblog
聖霊様の バプテスマのしるし
使徒2:1-4 五旬節=ペンテコステの日になって、みなが一つ所に集まっていた。
すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことば=異言葉話しだした。
聖霊様降臨のペンテコステの日、満たされた人々が異なることばで話し出しました。このことばが異言です。聖霊のバプテスマの証拠です。
10:44-47 ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。
彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。そこでペテロはこう言った。
「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」
そして、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼らに命じた。
19:2-7 「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。
「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。
そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。
これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。
パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。

日数を満たそう

2019-01-25 04:53:51 | Weblog
昨日は岡田歯科医院へ歯のメンテナンスへいった。3ヶ月ぶりに岡田哲也医師会えた。
榮牧師、完全に直っているよ。開口一番そう言う。
歯のことでは無く、足のことです。交通事故と脳内梗塞で左右とも少し不自由。
歩きにくく、杖も必要と返事する。
牧師の書いた本を持ってこようか。自分で書いているではないか。そのとおりに説教しているでしょう。
癒やされ直っているのに、脳外科の名医のことばがや、周りのことばに支配され、まだまだだと思い込んでいる。
その思い込みを、今日ここで全部かなぐり捨てて、来月はもっと元気で会いましょう。
ちょうど2日前に、ローマ人への手紙8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。のことばが強烈に響いた後だったので、岡田哲也医師のことばをその証として受け取った。
今朝のチャペルでも語ろうと願いながらの朝です。
出エジプト記23:25 あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。わたしはあなたの日数を満たそう。





すごい働きが

2019-01-25 04:32:54 | Weblog
聖霊様のバプテスマと使徒たちの働き
使徒1:4-8 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

使徒2:1-4 五旬節=ペンテコステの日にになって、みなが一つ所に集まっていた。
すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
2:38-47 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」
ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。
そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。
信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
*2章全体も読んで下さい。

聖霊様のバプテスマ

2019-01-24 05:41:03 | Weblog
聖霊のバプテスマ
イエス様のお働き
ルカ3:21-22 さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」
ルカ4:1 さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、
4:14 イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。
4:18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」
使徒の働き10:38 それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。
イエス様は神様ですが、聖霊様のバプテスマを通して、公の働きをなさいました。その癒やしも奇跡も、不思議な事のすべては、聖霊と力を注がれての一言で言われています。
私たちもイエス様を信じ、聖霊様の力を注がれてのクリスチャン人生です。
Ⅱテモテ1:7 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

愛の実行

2019-01-23 16:59:34 | Weblog
愛の実行

新約の愛に生きようと、新しい年をスタート。
愛はギリシャ語では、主なことばが四つあります。
ストルゲー=家族愛です。子どものためなら何でもしてあげたい。ところが親が子を見捨て、子どもが親の世話もしない時代になりました。
エロス=男女間の愛。夫婦の愛が昇華されると、素晴しいエロスの愛の完成です。しかし、現実はエログロナンセンスが広勝手いる現実です。
フィレオ=友人愛。鉄は鉄を研ぐように、友はその友の顔を研ぐ。兄弟よりも頼もしい友もある。素晴しい愛の関係です。
アガペの愛は、神の愛です条件無しの愛。あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している(イザヤ43:4)
その神の愛が土台になるとき、家族愛も、夫婦愛も、友愛も実を結び完成します。

その愛を実行する事が黄金律=ゴールデンルールです。
イエス様は、受けるよりも与える方が幸です。何事でも自分にしてもらいたいことは人にしてあげなさい。
与えなさい。そうすれば与えられます。愛を教えてくれました。
何を与えるのでしょうか。愛を与えることができます。アガペの愛で家族に愛を与えましょう。
アガペの愛で夫婦愛和しましょう。
アガペの愛で友情をさらに深めましょう。
アガペの愛で神様を愛し、聖霊様を歓迎し、イエス様の愛を伝え続けましょう。

愛とは?
1, 相手をあるがままで受け入れることです。相手を受け入れることがすべての関係の秘訣です。人の心の奥底にあるのは、愛されたい、分かって欲しいと言う欲求です。
愛を与えるとき、相手が満足するだけで愛した側も満たされます。愛があるとき、生きている実感があります。あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。(雅歌8:7) 私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした。
愛は理解します。お互いには話したり、いっしょに過ごす時を持ちます。
愛は時計で測ることができます。愛は見ています。子育て中の母親は、いつも子どもを見ています。ちょっとした変化にも直ぐ気がつきます。
奥さんのヘアスタイルが変わったり、キレイな花が活けてあるのに直ぐ気付く愛です、
愛を与えるのは聞くことです。愛はウサギのような耳がりあります。
耳が二つ口が一つあるのは、話ことの2倍聞くためです。愛は聴きます。
しっかり自分の気持を、表情を添えて相手に伝えます。
イエス様の愛は、自分のいのちを十字架に捨てることによって、その大きな愛が現されました。
1ヨハネ3:16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。

いのちを捨てる=いのちをけずることそれが愛です。命を削る=時間を、お金を、自分がしたいことを止めて尽くすことが愛です。
礼拝を毎週日曜日ごとにいのちを削りながら守る。
毎日の聖書朗読や祈りも、命を削るように実行したら、大きな愛に包まれて恵みの生活です。

2, 愛を与える人生を生きる力を聖霊様は豊かに与えてくださいます。
ローマ5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

パレスチナにはガリラヤ湖と死海があります、ガリラヤ湖は流れ込む水を豊かに受け、淡水魚の宝庫です。死海はその流れ出る水を全部受けます。海面下440メートルの死海は受けるだけ。文字通り塩分だけの死の海になり、生物も魚も生息できません。
死海のような受けてばかりの人生から、ガリラ湖のように上から注がれ、豊かになり注ぎ出す愛の人生を歩みましょう。
特に、毎日を愛の笑顔で家庭に職場に、世界に愛を与える日々を祈ります。
水野源三は、歩くことも何もできない。まばたきだけで、あいうえお図表を見ながら、多くの人に感銘を与えた詩を6000も作り、多くの人々がその詩に触れてクリスチャンになりました。彼は6畳一間の30年の生活から、愛を与えだし続けたのです。
水野源三の詩―ありがとう
ものが言えないわたしは、ありがとうの代わりにほほ笑む。朝から何回もほほ笑む。
苦しいときも、楽しい時も、心からほほ笑む。
心からの愛を与え出す。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝です。


元気で歩こう

2019-01-23 12:47:03 | Weblog
放送ベストセレクション、書斎の机に、身体の智恵袋から
人生百年元気で歩こう。切り抜きが置いてあった。
理学療法士の田中尚喜(55歳)は百歳まで歩くの著者。
2007根に羽自身が脳梗塞で香れ、右半身まひ、失語症の状態を経験。
リハビリを重ね、現在は仕事に復帰。自分が実践したきんいくトレーニングも含め、元気に歩き続けるハウツーは筋肉を鍛えること。
百歳まで歩くための新常識。
1.大また歩きはおすすめしません。毎日ゆっくり歩きで、家から院長室まで。ゆっくり方向。書斎が家にあるので、午前中数回往復で、万歩計5000歩越え。
2.一日1万歩を目指さない。歩数にこだわらず、自分の心地よいペースで歩く。昨年4月までは1万歩の歩行を20年間継続。昨年5月よりペースを落として、毎日平均6000歩くらい。それでも毎日5000歩~7000歩。
昨日は8000歩。
3.杖は60歳ごろから使おう。
2013年から、主治医の白戸誠爾医師のに厳しく厳命され、杖歩行中です。
4.足に当らない靴は実は危険。
幸い、1993年からドイツ製の靴を、靴屋で採寸してもらっています。
足の甲の部分がしっかり覆われていて、かかとが安定している靴。8:28 あなたは私のともしびをともされ、主、私の神は、私のやみを照らされます。

神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。
まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。
この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。
彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。
こうしてあなたは、御救いの盾を私に下さいました。あなたの右の手は私をささえ、あなたの謙遜は、私を大きくされます。
あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした。詩篇18篇より

柔和

2019-01-23 05:41:56 | Weblog
聖霊様の実
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。
ガラテヤ5:22-23
自分への実
誠実
民数記23:19 神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。
申命記4:31 あなたの神、主は、あわれみ深い神であるから、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、あなたの先祖たちに誓った契約を忘れない。
黙示録2:10 あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
誠実とは、私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。また、そのさま。誠実な人柄。
同時に忠実という意味もあります。誠実な人生は、人にも物事にも忠実人生です。

柔和
マタイ5:5 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
エペソ4:1-34:1 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。
謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
民数記12:3 12:3 モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた。
さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。

自制
1コリント9:25 また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
ガラテヤ5:16-17 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
聖霊様の実は、イエス様の人格です。聖霊様に導かれて、Ⅰヨハネ3:2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。

実を結ぶ

2019-01-22 09:29:29 | Weblog
富雄の狭い庭に、柿の木が二本ありました。
桃栗三年柿八年。その小屋のような家に住んで3年目に、柿が実をつけました。ちょうど8年目だたのかどうかは別ですが。
きれいに色づくのを待って、美味しそうだからガブッとかぶりつきました。
その苦さといったら、いま書きながらでも渋が広がる感じです。
渋柿だから当然です。
人間も理想を追い求めながら、直ぐ失敗したり躓いたりするのは、根が渋柿のように、原罪のある罪人だからです。
イエス・キリストをアーメンと信じた時、聖霊様がきて内在されたので、聖霊様の実を結ぶじんせいになりました。
とってつけたような実では無く、内側から結ぶ実です。
愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制の9つの実です。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
詩篇1:1-3



寛容、親切、善意

2019-01-22 07:47:58 | Weblog
聖霊様の実
人に対する実=寛容、親切、善意
寛容=
1ペテロ2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

エペソ4:2-3 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
ピリピ 4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。

親切=エペソ4:32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。

善意=
エペソ5:9 ――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。――
ガラテヤ6:9 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。
6:10 ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。
エペソ2:10 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。

無くしたカードがホームに

2019-01-21 16:40:25 | Weblog
昨日JR天王寺駅から鶴橋駅までピタカで改札を出る。
美味しい行きつけのキムチ屋で、大根キムチとキュウリキムチを買う。
近鉄改札に入る前に文庫本を2冊買う。鶴橋駅のコンビニで、PHP=いいことばがいい一日をつくるを420円で買い、座席に座れ読んでいるうちに生駒駅着。
改札でカードが無いのに気付く。
駅長室で親切な担当駅員が、奈良駅に通報し座席をチェックするが見つからない。鶴橋駅からの電話で駅のホームにピタカがあったので、確認に行きますか。そこまでの気持は無く、改札をフリーパスで出してもらい帰宅した昨夜でした。
今日の午後、駅長室で鶴橋駅ホームで見つかったカードが出される。名前も書き込んでいないが、使った駅名と料金がバッチり。書類に署名してピタカを返却してもらう。
デパートで接客のため美味しい寿司を買い帰宅。お帰りになっていたので、寿司が一つ余る。自分用は買っていなかったので、久しぶり=1年ぶりくらいに、美味し寿司の夕食。
紛失した一枚のピタカが、あの広い鶴橋駅で耳つかる恵みに感謝の午後。
聖霊様、ありがとうございます聖霊様を歓迎する、今日もまた天国の一日です。感謝です。